三河雑兵心得: 2 旗指足軽仁義 | ギッコンガッタン 

ギッコンガッタン 

日々、気の趣くままに綴る雑記帳

 

 

  足軽仁義シリーズの第二弾です。喧嘩で人を殺し、故郷の村を追われるようにして出て行った茂兵衛は、当時の三河国主・松平家康配下の夏目次郎左衛門の配下の足軽になります。当時の三河国を騒がせた一向一揆の騒乱の渦中でした。そんな中、君主と

歯向い一向宗側に与した夏目家の足軽として茂兵衛は、奮闘します。しかし、一向一揆側は、敗戦します。

 

 かくして、立身出世の道は、断たれたかに見えた茂兵衛でした。しかし、一向一揆を抑えた家康は、直属の軍隊を厚くする策に出ます。このため、配下の城では、選りすぐりの人物を家康の居城・岡崎城に出す必要がありました。次郎左衛門は、戦での働きが目覚ましかった茂兵衛を抜擢し、岡崎城の家康直属軍に送りこみます。友の辰造と弟の丑松も一緒です。

 

 岡崎城に送り込まれた茂兵衛は、家康配下の幹部クラスでも随一のいや戦国時代でも随一といえる猛将・本多平四郎忠勝の配下の足軽になります。一向一揆から4年が経ち、松平から徳川へと名前が変わった家康は、隣国・遠江の攻略を進めていました。体の丈夫さと勇猛さを認められた茂兵衛は、軍旗をもって進軍する旗頭をやっていました。

 

 しかし、勇猛果敢に敵を打ち取る茂兵衛ですが、敵の首を持っていき、手柄を誇ることを嫌がります。それもあってか、供としてついてきた商人出で理にさとい辰造からは、だから、4年経ってもお前は。出世しないんだとこぼされる始末です。そんな中、一向一揆で茂兵衛が殺した武将の息子が同じ軍に加わります。彼は、一瞬、怖い目線で茂兵衛をにらみます。

 

 徳川家康の今川領の遠江攻略は、武田信玄が今川領の駿河攻略という取り決めで進んでいました。しかし、野心家で戦略家でもの武田信玄は、遠江までも狙うような動きをみせます。家康は、より急ピッチに遠江攻略を進めるために掛川城の攻略を急ぐ必要がありました。しかし、掛川には、駿河から逃げていた今川氏真がいる上に戦上手の忠義の名将が城主で攻略は困難でした。

 

 掛川城の戦いは、長引きます。そんな中、掛川城主が時に奥の御殿から出て城内の兵に会うと言う情報を聞いた茂兵衛は、その際に城主を狙撃する案を思いつきます。それでも、当時の鉄砲では、難しい距離です。しかし、茂兵衛は、かつての同僚の銃の名手を呼びこの策の実現にこぎつけます。策は、当たったのですが、茂兵衛は背後から弾が当たり茂兵衛は、重傷になります。

 

 この茂兵衛の策が当たったのがきっかけになり、掛川城の攻略は、順調に行きます。しかし、それを尻目に鉄砲で重傷を負った茂兵衛は、掛川城から離れて先に攻略済みの曳馬城に引き上げることになります。途中で立ち寄った村で曳馬城攻略の際に助けた城主・田鶴姫の侍女だった綾女と運命の再会をします。綾女も茂兵衛のことを覚えていてまんざらでもなさそうに見えました。

 

 子供の頃から、暴れん坊で人に嫌われることは、あっても好かれることは無く、長じても武辺物であった茂兵衛の生まれて初めての恋でした。彼は、この恋のおかげもあってか、傷が十分に回復して行きます。遠江攻略が一段落した家康は、今度は、信長の援軍に近江から北リ方面へと遠方に駆り出されるようになります。そして、戦国史上に名高い姉川の戦になります。

 

 茂兵衛は、この戦でも死にそうになりながらも獅子奮迅の戦いを繰り広げます。最初は、劣勢に見えた織田徳川連合軍も勢いを盛り返していきます。そして、戦況がはっきりと徳川優勢に傾いたその時に茂兵衛の身に危機が訪れます。果たして、茂兵衛の身は、如何なることになるのか、また、茂兵衛の初恋の行方や如何にと言ったところでしょうか。

 

 相変わらず、茂兵衛の無骨さと勇猛果敢さが目を引きます。戦の中での目まぐるしい動きの描写が見事です。また、茂兵衛の綾女への純粋な恋も見ものです。そして、今回は、乙部に次ぐ、展開へのスパイスとなる以前倒した武将の息子の存在も面白くこの語の展開につながるところも見事です。また、時代考証がしっかりしていてより臨場感が伝わり相変わらずのト書き風の「」も健在でよかったです。今後のシリーズも楽しみですね。