金ではなく鉄として | ギッコンガッタン 

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日々、気の趣くままに綴る雑記帳


 亡き母の遺品から見つけた本です。森永ヒ素ミルク事件、豊田商事時間、豊島産業廃棄物問題などの大事件の裁判を手がけ、バブル後には、整理回収機構のトップとなり、平成の鬼平と評された名物弁護士である中坊公平さんの一代記です。時期としては、幼少期から森永ヒ素ミルク事件の弁護の仕事の所までです。朝日新聞に一年余り連載されていたものを本にまとめたもののようです。

 弁護士の家に生まれ育った彼は、勉強も運動も苦手で劣等感を抱いた少年時代を送ります。現代の目で見れば、京都大学出の弁護士だから、エリートに一見見えます。しかし、彼は、そこまでは、当時のエリートコースを外れた人生を送り、試験も運とギャンブル的な要素をもって受かって来たと言う感じなのです。弁護士も消去法的になるようにしたと言うのです。

 弁護士になってからすぐの彼は、これまでのコンプレックスの反動で悪友達と豪遊するようになります。しかし、結婚を機にそんな放蕩三昧の生活するから一念発起し弁護士として個人事務所を立上げるも貧乏な暮らしがあり、その後に京都市内の小売店の入ったビルの新幹線立退問題の弁護をきっかけに成長し、現場主義の行動方針を確立します。

 その後、彼は、弁護士として事務所を軌道に乗せて安定し大阪弁護士会の副会長になるまでの名声を得ます。そんな時に彼は、森永ヒ素ミルク事件の弁護団長を頼まれます。最初は、国や大企業を相手にする事への自分の仕事へのデメリットや依頼した弁護士がいわゆるアカ弁護士と世間に蔑まれている左翼系の弁護士である事もあり躊躇します。

 しかし、その事を父に話したら、父に一喝されて引き受けたのです。ただ、そうは言っても、かなり困難でしかも、残り期限2年で責任を回避するのに成功していた森永乳業と国に事件の責任を問わせ賠償に持ち込むと言う通り超難題でした。そんな中、彼は、現場主義で頑張りほとんど無休で働きました。そして、事件の結審を見たところまでで話しは、終わっています。

 タイトルが彼の生き様を示しています。何をやっても人並みに出来ず劣等感を感じていた筆者に父親が言ったことから来ています。つまり、金をいわゆるエリートに例えてそのように生きられない人間を鉄と例えています。鉄は、鉄なりの生き方があると言う意味合いです。つまり、劣等生としてやれる戦略を考えて生きていく生き様を、言ってあるのでしょう。

 だから、優雅にスマートには、しません。工場に足を運び工場の経営指南をしたり、足を棒にしてクライアントの所に行き、彼等の立場になり弁護をやって行く泥臭さ丸出しなのです。また、単純な正義感だけでなく、それなりに考えて前に進んでいく様子もよくわかります。何の整理回収機構のとこの事もあり、評価が分かれる所がある人物ですが、凄く波瀾万丈でドラマや小説に出来る凄い人物だと思えましたね。