日本とドイツの戦後処理に関する事 | ギッコンガッタン 

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 前の書評記事で書いた小説にでていたアウシュビッツ裁判のことですが、この裁判は、ドイツ人が同胞であるドイツ人を裁いた裁判として言われます。まあ、それは、その通りなのです。しかし、世間では、日本は、東京裁判で連合国からの裁判を受けたけど、自ら裁いていないというのことを言う人もいます。

 

 しかし、日本もちゃんと国内の戦争犯罪については、東京裁判で裁かれた人たちの赦免と言う形で下に示すように全会一致で決議し総括をしています。この赦免は、日本が独立を取り戻す際に行ったことなのです。確かに国民的な赦免運動が盛り上がる民意に応えた事もあるのですが、ちゃんと根拠があります。それは、当時の国内法に違反していないことです。

 

 

 考えてみれば、もっともな理屈です。東京裁判は、平和に対する罪と言う戦争当時では、無かった新たに作った罪で人を裁くという法治主義の根幹を崩す恐ろしいことをやったのです。当時の人々は、それが分かっていたし政治家もわかっていたのです。独立したのであれば、不当な裁判と思えばひっくり返していいのです。

 

 そして、重要なことは、この日本の国会決議に関して、外国からは、反対意見は出なかったのです。つまり、日本の戦争犯罪ガーと叫ぶ連中の意見は、この決議だけで論破なのです。もしも、外国が一独立国の決定を不服とするとすれば、それは、立派な内政干渉になるのだから、普通に道義のある国は、反対できません。

 

 さて、翻ってアウシュビッツ裁判について考えてみましょう。ドイツの戦後は、ニュルンベルク裁判と言う日本の東京裁判に当たるような連合国の裁判がありました。これで、裁かれたのは、国家のかなり中枢にいた人ばかりでした。末端の人々の裁きは、ドイツ政府に委ねられた恰好になったのです。

 

 ただ、中々その機会は訪れず、結局フランクフルトの検事長が中心になり動きこのアウシュビッツ裁判が実現しました。日本がいわゆる戦犯を名誉回復させてから遅れる事10年でした。そして、この裁判は、戦争当時のドイツ国内法に基づき行われたのです。つまり、東京裁判と違い遡及法では、ありません。

 

 両国の戦後処理での共通点は、そこにあるのです。結局、ドイツも日本も同じことを結果的にしていたのです。ただ、違う所があります。日本には、いわゆるアウシュビッツのようなものは、なくいわゆる戦犯は、東京裁判で丁稚上げられた罪で裁かれていたのです。この事があったのでパール判事の日本無罪論があったのです。

 

 だから、少なくとも日本は、ドイツに比べて反省していないと言うことは、無いのです。どちらも、ちゃんと普通に法治国家の一貫として末端の人間に対したことは、事実です。日本は、既にかなりの末端の人間が連合国に政治ショーと言うか見せしめの犠牲にされていたのです。ドイツのように18年間ほったらかしにされてはいないのですから。

 

 もっとも、だからと言って日独どちらが上だとかを論ずる気は、ありません。何故なら同じ枢軸国であっても、戦争に入った動機も戦争の経緯も違うのし、何よりか国情が多いに違うのです。だから、一概に論じにくいです。それも鑑みていえるのは、日本の戦争処理をいい加減ドイツと比べるのは、止めて欲しいという事ですね。