公共の福祉からみれば個人の権利なんて軽いもの ①国防 | ギッコンガッタン 

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日々、気の趣くままに綴る雑記帳

 最近、また沖縄のアカメディアが飲み屋での馬鹿話を垂れ流し大騒ぎしています。やっとのこと自民党時代に決めた普天間基地移設問題をルーピーがちゃぶ台をひっくり返したことが諸悪の根源ではありました。しかし、もっと根源の部分で論じられなければならないことがあることがまずメディアも政治家もいいません。


 何かと言うとそもそも国の根幹に関わる防衛と言う大事なことを日本全人口1億2千万の内の120万人の県の県民が文句を言うことばかりを尊重すると言うことにおかしいということを誰も言わないことです。言うなればたった1%あるかないかの国民の我がままで国防がボロボロになるのです。


 例えばの話し、この普天間問題がこじれて日米安保体制が崩壊し更に米軍基地が撤退してシナ軍が侵攻してきたらどうするのでしょうか。いやシナ軍だけではありません。ひょっとしたらロシアや南北朝鮮まで一斉に攻める事態もあり得ます。さあそうなった時に基地を嫌いと言った沖縄県民は責任取れるのですか。


 またお花畑の人々は沖縄の人の意向を無視してはとか沖縄は苦しい思いをしているとか言います。しかし、沖縄が日本の国防上大事な場所に有るのはどう見ても明らかです。国を攻められる時に一番やられやすいのでかなり守りをしっかりと固めなくてはいけないのが沖縄が日本領である上での宿命なのです。


 つまり本土の人間にとってみればここを敵国に押さえられたらやばいのです。大東亜戦争で沖縄防衛戦が熾烈を極めた理由はそこにあるといっていいでしょう。沖縄を守ると言うことは日本国全体を守ることにつながるのです。つまり挙国一致すべきことです。1%くらいの人間の我がままで家族を死に追い込みたくありません。


 つまりこの防衛の問題は憲法でいうところの公共の福祉で解決すべきことなのです。沖縄県民はまず自分達の位置がどんな位置であり基地の存在が周辺の悪徳国家に対しての抑止力になってると言うことを自覚しなければいけません。また本土の人間も沖縄がやられたら明日は我が身と言う危機感が必要なのです。


 極端な話し、仮に沖縄県民全員が米軍基地に反対していたとしても国防上は政府が力ずくで押さえこんでも本来は構わない問題なのです。だって国の根幹にかかわるのですから。現状では沖縄の防衛をして行くに当たって米軍基地の存在は不可欠なのですから。


 でも私はこの問題の本当の根幹は沖縄にいる声ばかり大きいシナの工作機関メディアにあることはわかっています。普通の沖縄県民がシナの植民地になりたくないことはわかっています。もっと言えば沖縄県民は基地が無くなることが嫌な人が本当は多いことだって理解しています。


 しかし、いやだからこそ私はまず沖縄の防衛問題を解決する策は沖縄を政府直轄にすることだと思うのです。つまり沖縄県内は全ての行政機構を選挙で選ぶ知事や市長のような首長も廃して国が握ることです。もちろん、未来永劫そうしようと言うわけではなく沖縄県内の赤狩りが済むまでですがね。


 もっともそれと同時に大事なのが政府が しっかりとした国家感を示して憲法九条と言う寝言を無効にして普通の国防軍を作ることでしょう。そうした上で国内の赤狩りも大いに進めることも有ります。それから公共の福祉と言う概念をもっと国民が共有しましょう。そうすれば反日組織に手玉に取られることは無いはずですから。