前回の話
4人兄弟。
1番上の姉は私より6歳上。
第一子として両親から愛情を受けて育ったようだ。なんだかんだ長女タイプ。
2番目の姉は4歳上。
私と同じく中間子で割りを食った部分はある。
だが私が生まれるまでの4年は2人姉妹として相応の愛情を受けたと推測される。
2番目の姉はいわゆる優等生、秀才。
運動部で部長もしていた。
県下2番目の県立高校に進学し、国家資格で大きな会社に勤めている。出産後も仕事を続け、いわゆるバリキャリ。
また、ただの優等生ではなく、猪突猛進且つさそり座の女。
子供の頃はその優等生ぶりが鼻についたが、大人になってから見ているとなかなな面白い人だ。
物事に猪突猛進で常に正面突破しようとするのが時にクスッと笑える。
私はいつも裏口からスルッと入るタイプなので…。もっとうまい方法があるのになぁと思って見ている。が、物事へのアプローチは人それぞれだからね。
今から考えると姉は姉なりに母に負けずに自分自身で欲しいものを手に入れたんだなと思う。
第三子、私
末っ子、弟。
母の愛情を一身に受ける。
中学生になり中1の終わり頃、家が近くのえみと仲良くなった。
えみはスラッとした美人で、生まれつき髪が茶色く、くせ毛がふんわりカールしてとてもかわいかった。
アイドルのような華があり抜群に目立つ子だった。
容姿とカラッと明るい性格で男子から絶大な人気だったが、茶色の髪が不良っぽいことから軽い女と見なされ、変な男が寄ってくることも多かった。
えみは運動神経が良く、勉強は真ん中ぐらい。
当時はビーバップハイスクールが上映されヤンキーブーム。
不良っぽい子がヒエラルキー上位だった。
えみは不良に憧れがあるようで、服装や髪型を派手な感じにしていた。
同じような雰囲気の不良っぽい友達がたくさんいた。
そんなえみは私に急接近してきた。
大人しく目立たない私になぜ??
よくわからなかった。
えみはとにかく目立つ容姿だった為、上級生女子に呼び出され「調子に乗ってんじゃねーよ」と凄まれたり、
友達と思っていた女子からは「私の彼氏に色目使ってんじゃねーよ」と嫌がらせされたりなんてことは日常茶飯事だった。
そんなことから次第に同性から孤立していったのかもしれない。
えみと私は学校が終わったらいつもえみの自転車で二人乗りをして徘徊した。
田舎の唯一のショッピングセンターや友達の家。
しばしば男子から誘われるので、男子の家に一緒に行ったり。
家に帰るのが嫌で毎日ブラブラしていた。
悪っぽい友達がたくさんでき、悪いこともそれなりにした。
そんなフラフラ危うい私を母は
『反抗期』
の一言で片付けた。
2年生になると成績が5と4から急降下、オール3になった。
三者面談で担任の体育教師から通知表を見せられた母は絶句。
どういうことか?とかおかしい納得できないと言って半狂乱になり担任に食って掛かった。
私は冷めた目でそれを見ていた。
定期テストは何も勉強しなかった。
それでもそんなにテストの点数は悪くなかったはず。全教科の教師が成績を一気に下げたのが面白くさえあった。不良にはいい成績あげられないんだね。
しらけた気持ちだった。
母と担任の噛み合わない会話を聞きながら、夏休みの宿題をひとつも提出しなかったからか…とぼんやり考えていた。
私は不良になったのかもしれないが、中身は前と何も変わらない。
テストの点もそんなに下がってない。
不良ってレッテルを貼られただけで成績下げるんだ。
おかしな世の中だ。
面談は1人15分程度なのだが、母がいつまでたっても納得せず退室しようとしない。
30分は過ぎただろう。
水掛け論のようなことを担任と繰り広げ、担任はうんざりしている。
母の取り乱した様子が恥ずかしかった。
1時間は経っただろうか…次の人は大丈夫だろうか?と不安になった。
もういい加減にしてくださいといった様子で担任が無理やり話を打ち切った。
母は退室し、次の保護者に謝罪も挨拶もせず、歩いていった。
本当に恥ずかしかった。
家に帰ってからは大げさに嘆いたり、ネチネチ小言を言われたりした。
母は私に無関心で放置していたが、2つだけ私に過干渉することがあった。
1つは進学。
田舎なのでほとんどの子が市立中学に進む中、中学受験させようとしたり(抽選で落ちた)、高校受験、大学受験の話になると急に目の色を変えお受験ママに変貌した。私の希望なんて1ミリも聞かず常に勝手に進路を決めようとした。
父方の実家が優秀だったのでそちらへのプレッシャーだったのかもしれない。
もう1つは私の容姿について。
3人姉妹の中で私が一番見た目が良いと言い、何か自慢に思っていたようだ。
言っておくが特に美人でも何でもない、至って普通のどちらかと言えば地味な顔立ちである。
若い頃は若い娘特有のかわいらしさはあったかもしれないが、それでも十人並だ。
それなのに、
「あんたはかわいいから、将来はスチュワーデスになったら?」(※今のCA)
と真剣に言った。
目が点になった。
スチュワーデスになるにはどれだけの競争を勝ち抜かないといけないか知ってるのか?
またある時はニュースを見ながら、
「あんたは将来アナウンサーになったらいいとお母さんは思ってるんだよね」
と言った。
目が点を通り越し、恥ずかしくなった。
アナウンサーがどれだけ人気職業か知ってるのか?
大体私の声は低くて変だし。
先生に怒られたり、街をフラフラ徘徊したりしながら、基本は放っておかれた。
そして高校受験を迎えた。
私はえみや友達と一緒の高校が良いと母に訴え、大喧嘩になった。
母は当然だが進学校に行かせたい。
母は奥の手を使った。
私が言うことを聞かないから体調が悪くなったと寝込み始めた。
ずるいと思った。
体調をかさに取られたら私が何も言えないことを知っているのだろう。
結局私が折れ、勝手に受験校を決められる。
新設で今後上がっていくのが確実と言われている人気の県立高校を受験することが決められた。
しかし成績がオール3のため、担任は猛反対、内申点が足りないので絶対受からないと。
母は一歩も譲らず、
最後は担任が「もう勝手にしてください」と捨て台詞をはいた。
私はそのやり取りをボーっと眺めていたが、試験にはたぶん合格するだろうなと思っていた。