幼稚園の年長組の頃だろうか。
ちょうど物心がついた頃。

ある日の夕食、笑顔の一家団欒。

突然母が笑いながら私に言った。

「お母さんは男の子がほしかった。
あんたが生まれた時、看護婦さんに女の子ですって言われて、心底がっかりしたのよ。」

一瞬何を言われたかわからなかった。

「そんなこと言わないで!」
とかなんとか言ったと思う。


だが母は気にも留めず続けた。
「親戚の叔母さんで子供のいない人がいてね、あんたはその家にもらってもらう筈だったんだよ。
でも結局その話はいつの間にか消えちゃってねぇ。」

残念そうに母は言った。


私は何と言えばいいかわからなかった。
でも、とても悲しい気持ちになった。


私が明るく陽のあたる道から、暗くジメジメしてカビがはえ嫌な虫達がはいまわっている道に落ちていった瞬間だ。


一度落ちたらもう二度とは戻れない。





私は4人姉弟。女、女、女、男。
第3子。


女2人生まれ次は男の子を!という気持ちは理解はできる。
昔のことだし、嫁は跡取り息子を産んでなんぼの時代だ。

理解はできるが、何故それを当人の私に言うのだろう?





幼稚園、当時は送迎バスなんて便利なものはなかった。晴れた日は園庭で遊びながらお母さんを待ち、お迎えが来た子もそのまま遊び続けていた。

だが雨の日は部屋の中でお迎えを待つ。
時間になり、きちんと定刻に迎えに来る母親達とみんな帰って行く。
迎えが少し遅れる何人かの級友と遊んで待つ。
一人、また一人とお母さんが来て帰っていく。
私はいつも最後だった。

最後に一人になってからがとても長い時間に感じられた。
先生もいつも遅刻する母のことを呆れているのではないかと不安になった。

もうお母さんは永遠に来ないような気がした。






小学校に上がった頃、朝いつものように「お母さん、今日の服出してー!」
と母に言った。

母は少し考えた後言った。
「ふゆちゃん、あんたはもう小学生になったんだ。これからは自分の身の回りのことは何でも自分でやりなさい。」


「え…… なんで……」

また悲しい気持ちになった。

それ以降、母は本当に私に自分のことは全部自分でやらせた。そして私に無関心になっていった。

それに比例して、年子の弟のことを猫可愛がりした。
弟を抱っこし、身の回りの世話を焼き、何でも買い与えているように見えた。
目の中に入れても痛くない、そんな感じがした。


母は私のことは何でも否定した。
いや、私だけではなく、全てに否定癖がついていたのかもしれない。

何かを言ってもすぐに否定された。

母は笑いながら言葉のナイフで私をズタズタに切り裂いた。
いつ残酷な言葉が飛んでくるのか予想がつかず、ビクビクした。


私はいらない子だったんだ。
お母さんは私が生まれて心底がっかりしたんだ。
私がいなければもっと暮らしも楽だったに違いない、そうお母さんは思っているんだ。

小学校低学年から夜中に目を覚ますと布団の中で声を殺して泣いた。

何故かわからないが、泣いていることは親にはバレてはいけないと思った。


いつも否定され、私は言葉を奪われた。

自分を奮い立たせ、伝えようとしたこともあったが、何も聞いてもらえなかった。結局何を言っても無駄なんだ、通じないんだと思った。

気持ちを、思いを伝える、ということを
教えてもらえないまま大きくなっていった。

コミュニケーションがわからなかった。

友達とどうやって良い関係を築くのか、何のモデルもなく、全くの手探りだった。

結果、変わった子と見なされ、陰口を叩かれたりした。




小学校1年生の国語の授業。
先生の問いかけに対して、みんなが元気いっぱい「はいはーい!」と手を挙げている。

教科書の簡単な物語の感想を先生が質問。

「ひよこ達が楽しそうに歩いていると思いました。」と誰かが発表する。
先生が褒める。

私はわけがわからなかった。
カルチャーショックだった。
そんな何の意味もないことを発表してどうなるのか? なんで褒められてるのか?わからなかった。


大人が子供にどういう振る舞いを望んでいるのか、子供らしいとはどういうことなのかさっぱりわからなかった。


ここでも何故だかわからないが、普通にならなければいけない、と強く思った。

とにかくコミュニケーションがわからなかったので、必然的に大人しい子になるしかなかった。


何人か友達はいた。
一生懸命『普通の子』の擬態をした。



勉強はできた。

両親譲りだと思う。

父は難関国立大学卒、財閥系の銀行マン。
母は腰掛けだが高校教師だった。

私は聴覚優位?だ。

聞いたことはそのまままるっと覚えている。

録音機だ。

小学校の授業は繰り返しが多いので、先生の話を聞いていると、全部暗記できた。
家で宿題以外の勉強は何もしなかったが、いつもテストは100点だった。
それが当たり前だと思っていた。

先生が突然
「今からテストをしまーす!」
「えーーー!!!」みんな大騒ぎ。

テストの何がそんなに嫌なのか理解できなかった。
テストは楽ちんじゃん、発表の方がよっぽど嫌だ。

コミュニケーションが苦手なので発表は大嫌いだった。
認められるという経験が著しく乏しかったので自信もなかった。

ちなみに勉強はいつもクラスで1〜2番だったと思うが、その時点で先生にも親にも一度も褒められたことはない。

だがよくよく友達を見ると、100点などめったになく、70点ぐらいが普通らしかった。

それに気付くと、わざと間違えて70点台を狙った。
時々狙い過ぎて60点とかになってしまい、バカバカしかった。
でも『普通の子』になるために頑張って続けた。


また、先生の話を一言一句覚えていたが、『普通』は先生の話をそんなに覚えていないようだった。
「先生は何て言ってたっけ?」と友達に聞かれても、嘘をついて「なんだっけ?忘れちゃった」と言ったりした。






そして中学生になった。

初めての定期テスト。
母は定期テストがどんなものか教えてくれる…なんてことは全くなく、わけわからないままにテストを受けた。
だが、録音機は健在でテストの点はよかった。

一学期、初めての通知表、初めての5段階評価。
母は5段階評価がどんなものか教えてくれる…なんてことは全くなく、わけわからないままに通知表をもらった。
中を見ると5と4だった。

通知表のことはよくわからないが、アニメや漫画を見ている限り、4と5だけってすごい良い成績なんじゃないの?!
と嬉しかった。

帰宅して嬉しさを隠しつつ母に通知表を見せた。

母は通知表を見て

「ま、こんなものか。」

とだけ言った。

褒めてもらえるとばかり思った私は、
また悲しい気持ちになった。


これを読んでいる人は
「もっと褒めてよ!」とか言えばいいじゃん!ってきっと思うだろう。
私も今ならそう思う。

だけど、無関心、否定され続け、言葉を奪われ、どういうふうに自分の気持ちを表現したらいいのか、
いや、そもそも気持ちを伝えるという選択肢が頭の中に浮かぶことは微塵もなかった。


中学では周りにいろんな種類の子が増えた。
そして2年生である子と仲良くなったことをきっかけに、わかりやすくグレた。

自分はもうグレてしまって家に帰らなくても、どうなろうがお母さんは何の心配もしないだろうと思った。