ギグヒロです。

ピアノ弾き語りを多少得意とするサラリーマン、ギグヒロです。

 

作曲家キダ・タローが5月14日に93歳で亡くなったそうで。

普段、誰かが亡くなってもブログでわざわざ話題にしないのですが、キダ・タローにはちょっと思い入れがありまして・・・。

 

私の出身である関西では、キダ・タローは音楽家という枠を超えた超有名人なのですが、関東ではそれほど有名人というほどでもないので、あまりご存じのない方のために少しだけプロフィールを書いておくと。

兵庫県出身、大学中退後ピアニストとしてキャバレーなどで活動、20代前半から本格的に作曲活動を始め、坂田敏夫の「アホの坂田」の他、「かに道楽」「出前一丁」「アサヒペン」といったCMソング、「プロポーズ大作戦」「ラブアタック」などのTV番組テーマ曲などを作曲、手がけた作品は5000曲、浪花のモーツァルトと呼ばれた。

 

しゃべりもうまく、辛口なコメントが特徴的で、そこが関西人には受けていたと思います。歌の審査員とかやるときも、普通ならへたな人にはオブラートに包んでコメントするのに、この人は直球で「あんた、へたくそでんなー」って言っていたような記憶があります。

そんな浪花のモーツァルト「キダ・タロー」と、実は直接お話したことがあります。40年以上も前の話ですが。

 

高校2年のときでした。

もうなんの番組だったのかよく覚えてないのですが、ラジオの朝日放送の深夜番組で、素人ミュージシャンが出演して演奏して、でも最後にキダ・タローにぼろくそに言われる、という15分くらいのコーナーがありました。

当時、バンドを組んでた私は何を思ったか、この番組に応募して運よく出演することができました。

そうなんです。この番組の収録でキダ・タローと30分ぐらいお話しをしたのでした。

 

場所はよく覚えてないのですが、大阪市内のどこか、天井がとても高い大きなスタジオで、観覧席には100人ぐらいいたかなぁ、1回の収録で5バンドぐらいをまとめて撮っていたような気がします。

本番では、私のオリジナルと別のメンバーのオリジナルを2曲を演奏しました。キダ・タローは30秒に一回ぐらい笑いを入れてきて観客席はドッと笑いが起きるのですが、緊張する私たちは笑えるわけもなく・・・。

 

まぁ、演奏はなんなくできたのですが、よかったのかよくわからないけど、「へたくそ」とか辛口のコメントは言われなかったんですね。高校2年頃のバンドがうまかった訳がないのですが、さすがに子供相手に辛口コメントは可哀そうと思ってとどめてくれたのかな? 確か「みんな元気一杯ですな~」みたいなコメントでした。

 

大阪で、かつ、音楽をやる人間からすると、当時から神みたいな人だったので、キダ・タローに演奏を聴いてもらったというだけで舞い上がって、しかもヘタとか言われなかったことにさらに舞い上がって、「今日の演奏を気に入られて、『ビッグにしたるから弟子になれ。高校はやめろ』とか言われたらどうしよう」なんて、1000%ありえない無駄な妄想をして帰途につきました。全くもってアホな高校生でした。

 

この収録が2ヵ月後ぐらいに放送されたのですが、高校の同級生が結構このラジオの深夜番組を聴いていたようで、放送の翌日、学校に行ったら、

「おまえ、昨日ラジオ出てたやんけ! キダ・タローに聴いてもらったんや。すっげーっ!」と何人かから言われてちやほやされて、ちょっとだけ気分がよかったのを覚えています。

 

お亡くなりのニュースを聞いて、そんな若くてせつない40年以上も前の自分を、ふと思い出しました。