戦国大名武田氏の家臣団 信玄・勝頼を支えた家臣たち | 日本史四方山話

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読んだ本紹介。
丸島和洋・著
 
 

本作は数ある武田家家臣についての列伝・評伝の類ではなく、武田家家臣団の考証を元に、戦国大名と家臣団の関係を明らかにしていくという内容で、武田家を扱ったその辺のムック本とは内容のレベルが違います。
 

僕は戦国大名の中では、武田家に一番思い入れがあります
 
 
小学生の頃、日本史(というか戦国時代)に興味を持ったときにタイミング良く「信長の野望」というゲームに出会いました。
 
 
「信長の野望」は全国の大名一人を選んで天下統一を目指すというシュミレーションゲームで、今も続く名作です。
 
 
大名には家臣がいて、それぞれ能力が設定されているのですが、武田家の武将は他の大名の武将に比べて格段に有能な人物が多く、ゲームを進める上で大変有利でした。
 
 
勝つ戦いしかしない性格(笑)の僕にはうってつけの大名で、好んで使っていました。
 
 
その後、母方の家系が信濃(長野県)の名族の出で、武田家とも深い繋がり(信玄弟の信繁の息子が養子に入っています)があることを知り、武田家についてはずいぶん勉強したものです。
 
 
そんなこともあり、ひさしぶりにいい本を見つけたので、改めて武田家及びその家臣について勉強させてもらいました。
 
 
 

戦国期の大名と家臣の関係については、武田家と北条家が最も研究が進んでいるそうです。
 
 
しかし、それでも最近明らかになった事実も数多くあるそうで、歴史の奥深さと難しさを感じます。
 
 
その最たる例が名前。
 
 
「信長の野望」で当たり前のように覚えてきた武将の名前が、正しくなかったケースが多々ありました。
 

例えば、
内藤昌豊→内藤昌秀
高坂昌信→春日虎綱(香坂虎綱)
秋山信友→秋山虎繁
真田幸隆→真田幸綱
三枝守友→三枝昌貞
山本勘助→山本管助
穴山信君→のぶきみ のぶただ〇
 

左側の名前が今まで一般的に使われていたものですが、全て誤伝で右側が正しいとのこと。
 
 
左側の名前で親しんできた僕にとっては、右側の名前にアップデートするのが大変です(でも歴史は正しいものを覚えないとね!)。
 
 
 

さて、武田家(に限らず多くの戦国大名)の家臣団には、いくつかの種類があります。
 
 
①一門・親類衆
②甲斐出身の譜代衆
③他国出身の外様衆
④国衆

 
 
①は武田家一門、②③は信玄・勝頼直属の配下です。
 
 
ここで問題にしたいのは④の国衆です。
 
 
国衆とは各国の土豪層で、甲斐の場合、武田家とは同列とまではいかないまでも、その支配からは独立し、一地方を支配していた大名に準ずる存在でした。
 
 
戦国大名化するほどの力は無いのですが、かといって簡単に家臣団に組み込めるような存在ではなく、時には敵対し、時には従属するといういわゆる地方領主です。
 
 
これは甲斐に限ったわけではなく、全国すべての国に存在し、その国の戦国大名達は大いに心配らなければいけませんでした。
 
 
「そんなの滅ぼしちゃえばいいじゃん!」と思うかもしれませんが、国衆は武田家だけではなく、隣国の、例えば北条氏や今川氏ともパイプを持っているため、場合によっては国衆きっかけでよその大名との大きな戦いに発展する可能性があります。
 
 
それが現実化したのが川中島の戦いです。
 
 
武田信玄が信濃に侵攻し、村上氏や高梨氏といった国衆を駆逐したため、助けを求められた上杉謙信の出動を招き、川中島の戦いという大大名同士の戦いに発展してしまいました。
 
 
国衆の扱いというのは大変デリケートな問題だったのです
 
 
 

国衆は平たく言えば「強いものにつく」が原則です。
 
 
自身の権益を守ってくれる大名に従属し、代わりに軍役などを負担します。
 
 
大名にとってはそれなりの軍役を負担できる国衆の存在は戦争時にはありがたいし、国衆は領地の安全が大名によって保護されるというメリットがあります。
 
 
ときには美濃(岐阜県)東部の国衆、遠山氏のように織田家と武田家の両方に従属するということが許されていました(ただしこれは織田家と武田家が敵対関係に無い状態時のみ有効ですが)。
 
 
しかしこのバランスが崩れると、国衆は一気に離反してしまします。
 
 
それが現実となったのが、武田家滅亡の際です。
 
 
武田勝頼は、織田軍侵攻の際、姻戚関係にあった穴山信君や小山田信茂、木曽義昌の離反にあって滅亡します。
 
 
よく「家臣の裏切り」と言われますが、この3者はすべて国衆です。
 
 
この時点で確かに従属関係にありましたが、決して純粋な家臣ではありません。
 
 
穴山氏・小山田氏・木曽氏は「国衆の論理」に従ったにすぎず、彼らにとっては非難されるような話ではなかったのです。
 
 
実際穴山氏・木曽氏はその後も存続しました(小山田信茂はその裏切り方が悪かったせいか、信長によって処刑されてしまいました)。
 
 
国衆の力が衰えるのは、豊臣秀吉が天下統一(つまり戦争が無くなる)し、「強い方に付く」という行動パターンが通用しなくなってからです。
 
 
国衆は一部独立した大名化できたケースを除き、その国を統治する大名の完全な家臣となるか、没落し農民化するしかなくなりました。
 
 
 
 
武田氏に限らず、戦国大名の直轄地というのは意外と多くなく、国衆の支配領域を組み込んで領土を維持しているというのが実情でした。
 
 
そして領土拡張というのは、各地に跋扈する国衆の領地をいかに組み込んでいくかという作業でした。
 
 
国衆は家臣ではありませんので、戦国大名の領土経営や戦争の方針に参画することはほとんどありません。
 
 
ただ従属している大名の指示通り動くだけ。
 
 
その代わり自身の支配領地の自治権はある程度認められていました。
 
 
 
 
戦国大名とその配下は、ゲームやマンガにあるような単純な殿様ー家来という一元的な関係では無かったのです。
 
 
国衆の存在に対する理解をしない限り、戦国時代を理解することもまた不可能です。
 
 
本作は新たな戦国時代を見る視点を与えてくれて、大変勉強になりました。
 
 
 
 
そのほか直属の家臣たちの役割とその成果についても詳しく書かれており、武田好きとしては大満足の一冊でした。
 
 
しかし著者が自分の1歳上で、こんなすごい本が書けるのかと思ったら、なんかモヤモヤした気分になりました(笑)