【2024年能登半島地震支援】被災地レポート④能登町柳田小学校にて | アジア太平洋子供救済センター・この指とまれ

【2024年能登半島地震支援】被災地レポート④能登町柳田小学校にて

【2024年能登半島地震支援】被災地レポート④能登町柳田小学校にて

            事務局長 津谷 幸子




◆2024年1月20日被災地レポート④能登町柳田小学校にて
石川県鳳珠郡能登町被災地の状況
1月20日輪島市から能登町に山道を通って入り、12時20分に能登町立柳田小学校に着きました。途中迂回路や通行止めのポイントには、県外からの警察の車輌が停まっており、警察官が立って誘導をしていましたが、この先の道をきいても分からないと困った様子でした。能登空港近辺を通りましたが滑走路のひび割れで民間機の運航はまだできない状態。どこを通っても段差や路肩の崩れが目にとまりました。小学校の駐車場に車を停めると自衛隊の車輌があり、ここで今日自衛隊よる演奏会が開催されるとの事。校舎の正面玄関には、トレーラーハウス型のトイレが1台ありました。男女入口が2つ別れていて、女性用のトイレ内は広く、身体障害者用のトイレもカーテンで仕切られ、便座の横には水の入ったバケツ3個とひしゃくが置いてあり、その水を使って水洗。手洗いの洗面台と除菌用品も設置、とてもキレイでした。しかし、便座がとても冷たかったですが、衛生面やプライバシーを考えると贅沢な事です。夕方5時にはこのトイレや正面玄関は施錠するそうです。裏口には簡易トイレがありました。自衛隊の方に、『このトイレいいですよねぇっ』て言うと、『そうでしょ!他の避難所の隊員は、簡易トイレを開けたとたん使用するのをちゅうちょするぐらい汚れていて、紙が流せない、数が少ない、汲み取りになかなかこれないなどの問題で衛生面が非常に悪化している』と話してくれました。このトレーラー式のトイレが1台でも増えていく事を望みます。



◆能登町で被災された方のお話し
その日私たちの車の横に1台の車が並べて駐車。自衛隊の演奏会を4人で聴きにきたそうです。小学生の女の子を連れたお母さんが岐阜ナンバーと言う事で話しかけくれました。『私大学が岐阜だったので4年間岐阜に住んでたの』『何市に住んでいたんですか?』と聞くと『岐阜聖徳学園大学だったので羽島市のアパートに』えっ~ビックリ!事務局から車で約5分の大学です。その女性に1月1日地震直後の様子を聴きました。
お節料理も並べ早目のお正月の夕飯をと家族皆んなで座って、ビールのフタを開けたその時地震!震度6強。右腕で娘を抱え外に出ようしたが、凄い揺れが収まらず、左手は壁に左足を伸ばして家具をおさえていると、後ろの食器棚から食器が次々落ちてきました。けれど石油ストーブの上の筑前煮の入った鍋は落ちず、ビールも倒れず、大掃除やお節料理の仕込みなどを終え、さあゆっくり家族とお正月を迎えようとした矢先で悔しくて悔しくて何で元旦に…倒れなかったビールを飲んでから避難したの。停電断水がしばらく続いて支援も全くこない間、たくさん作ったお節料理のお陰で食いつなげたわ。明るくお話しされましたが、家族親戚の安否が確認でき、震災から20日経ち断水してても電気がきたので避難所から第2避難→在宅避難生活になった事、1月22日月曜日より震災後初めて小学校に登校でき、給食も何か用意してくれるとの事。情報や状況も徐々に把握でき車での移動もできるようになったので、不便な避難生活なりに安堵してきたようですが、先の事まで考えられないと…。自宅から少し先はまだ断水と電気もきていない地域があるそうです。ストーブが倒れていたら?物がのっていたらどうなっていたのかなぁ?能登町の白丸地区は震度6強で地震発生から10分後には5メートルの津波で家屋が押し流されたり、強い揺れで多くの家屋の倒壊など甚大な被害がでたそうです。