読書感想になります。

 

「根っからの悪人っているの? 被害と加害の間」

 

私、対談形式の本は、あまり好きじゃなくて普段は読まないんですけど、今回はパラパラめくったら目が釘つけになっちゃって・・・最後まで読んでしまった本です。

 

前半は、犯罪加害者と高校生たちとの対談。

 

後半は、犯罪被害者と高校生たちとの対談。

 

前半については、犯罪加害者の生い立ちや、刑務所の生活、刑務所で受刑者が受ける教育支援の紹介。支援と言っても、特別なプログラムで、日本でそれを行なっている刑務所は2箇所しか無いとか。少な過ぎ!

 

生い立ちは・・・やっぱ悲惨な人が多いです。だからって、人を傷付けることが許されるわけではない。それこそ、鬼滅の鬼たちじゃないですが。

そして再犯を起こさないためにも、教育支援があるわけで。高校生と対談した犯罪加害者は社会復帰した人で、再犯はしてません。

 

後半の犯罪被害者との対談。こちらは、バスジャック事件で死にかけた人との対談です。

犯人は少年。被害者は、少年より年上の子供を育ててる人。そしてお子さんの中に不登校児がいたため、殺されかけたとはいえ、少年のことを他人事には思えなかったとか。少年院の先生が、被害者に会ってみませんか?と。結果、少年と面会することが出来たという、加害者と被害者が何度も面会し話し合うことが出来た数少ない事例。

少年の生い立ちも・・・悲惨ですね。前半の加害者たちは、親からの虐待サバイバーですが、こちらの少年はイジメサバイバー。それこそ、同級生に階段から「飛び降りろ」と強要され、腰椎骨折。高校から不登校になり、精神病院に入院〜仮退院からのバスジャック。学校にも家にも居場所が無くなったと感じた末路の悲劇。1人が亡くなってます。

この子がやってしまったことは許されないけど、あまりに酷い学校。読んでて、少年よりも、いじめ加害者や学校に憤りを感じちゃったよ。

 

被害者は少年に、「つらかったね」でも「許されないよ」と。

 

死にかけたのだから、許すことは出来ない。それは当然のこと。一方で許すことと、少年の辛さを受け止めることは別。許さないから、加害者の生い立ちなど知ったことではない!という捉え方ではない被害者。

 

日本は、加害者と被害者の間に壁を作ってしまって、加害者は被害者の痛みを、被害者は加害者の痛みを知る機会がないと、被害者の人は高校生たちに話してました。

無論、被害者が加害者に直に会うことは無理。第3者が必要です。そして会うタイミングも重要で、裁判での質疑応答は日本でも開始されたけど、あれは加害者も反省とか大変なことをしてしまったという意識が薄い状況では、被害者も傷付くだけで、どちらもケアには程遠い。少年院や刑務所に入って、ある程度の更生プログラムを受けた後でないと、そして被害者も憎しみだけの状態からある程度、脱した状態でないと面会は時期尚早とか。

修復的司法と呼ばれていて、海外では広まりつつあるけどまだまだ黎明期。日本では数えるほどしか事例が無いそうです。

 

 

 

 

愛着障害の本では、心の安心安全基地という呼び方をしていましたが、こちらの本では、「サンクチュアリ」と海外の呼び方をそのまま使われてました。

この「サンクチュアリ」が壊れてしまっている・・・要は愛着障害を拗らせた末路が、人を傷付ける、最悪、死に至らしめるってことなんだろうな。

 

サンクチュアリっていうと、私が思い浮かべるのが、ノートルダムの鐘でカジモドが叫ぶ場面、日本語だと「ここは聖域だーー!!!」なんですけど、英語版だと、"Sanctuary!"の連呼なのよね。