【youtubeより転載】

 

 

【あとがき】

 

和多志自身、発信者においても、大切な姿勢だと感じたメッセージ。

 

誰にでも手を差し伸べればいいわけではない。

 

 

そして、今の和多志が大切にしたいと感じていることは、

和多志自身が導き出した答えを与えるのではなく、

和多志が共有する情報や氣付きや学びが、

読み手・聞き手・その人自身にとっての、

自ら答えを導き出せるきっかけとなる材料としての発信に留めておくこと。

 

これまで貨幣システムを学び、

無償提供で循環する社会について独自に研究し、

お互いにモノやサービスを交換・取引によって

やり取りし続けていては自滅すると察し、

無償提供で循環する社会にしたいと感じた。

 

畜産業の実態や環境への影響、

人権問題や痛覚の有無、

実践可能かどうか、健康への影響、

食事を楽しめるかどうかなど、

様々な視点・角度から判断し、

Veganのライフスタイルに移行した。

 

これらの根底にある想いは、

皆と豊かに幸せに生きていきたいというもの。

 

 

しかしながら、

和多志と同じことを知り学び得たからといって、

誰もが和多志と同じ答えに辿り着くとは限らない。

 

その一人ひとりが出した答えを尊重したいと感じているし、

まず、一人ひとりが己自身で答えを導き出して、

どう生きていくかを選ぶ権利を奪ってはならない。

 

手を差し伸べたり、手を繋いだりはしても、

その人の人生のリーダーはあくまでもその人自身なのだから。

その人の人生の課題(今世でクリアすると決めてきたこと)まで

肩代わりしてはならないと感じている。

 

 

 

そして本題はここから。

 

こちらの問い。

 

全てのモノやサービスを無償で与え合う社会では、

 

人々は堕落してしまうのだろうか?

 

自分の人生の課題を放棄してしまうだろうか?

 

それは、前記した余計な人助けに該当するのであろうか?

 

 

それとも、人々を活かすエネルギーとなるだろうか?

 

お金を稼ぐ必要性という余計な雑務や足枷が外れて、

 

より一層誰もが自分らしく楽しく豊かに生きられるだろうか。

 

他の存在に豊かさを与えることをさらに楽しんで遊べるだろうか。

 

皆さんはどちらだと思いますか?

 

 

 

和多志なら、きっと、

 

行きたいところに無料で遊びに行けて、

 

美味しい食べ物も無料で食べられて、

 

社会に元氣にして頂いたら、

 

自分もより一層自分に苦なく出来る範囲で、

 

何かをポンポン与えると思うんですよね。

 

 

人助け、としてではなく、

 

自分が与えたいから与える感じで。

 

それで相手も喜んでくれるからこちらも喜んで差し出す感じ。

 

それは、相手の人生を全て背負うということではないと思うし、

 

相手自身が体験すべきことや選択、

クリアすべき課題のクリア体験などを

奪うということにはならないと思うし、

 

何か一つのモノや、

何か一人のヒトや、

何か一つの組織や国家に依存するような、

その人を貧しくするようなことにはならないと思うんですよね。

 

むしろ、お互いにますます豊かになっていくと感じます。

 

無理に働かなくてもいいからこそ、

働くということが重荷に感じられない。

 

誰もが軽やかに自分のペースでやりたい時に出来る範囲で、

天から授かった才能や體を活かして、

他の存在に豊かさを与えることが出来、

それがまた自分自身への喜びや体験となる。

 

 

今回紹介させて頂いた「人助け」とは似て非なること。

今はちょっと言葉に出来ないけど伝わってるといいな。

 

 

それでは今回も最後までお読み頂きありがとうございました。