日本は世界一の重税国家とのこと。
税金の重さだけでなく、
その使い道にも疑問に感じている国民が非常に多い様子。
けれど、本当に大事なこと、要点って、
日本政府がどう在るかとか、
税率が何%かとか、
どこに税金が使われているかとか、
誰が首相かとか、
選挙で誰が勝つかどうかとか、
そういうことじゃないと思う。
いつも思ってた。
庶民はどうしていつも国家に従う前提でしか話を進めないんだろうって。
搾取される側の国民の方が圧倒的多数で、かつ、
力も能力もある人達の方がこちらの方が多いのに、
その気になればいつでもひっくり返せるのに、
どうしてそうしないんだろうって。
いや、分かるよ。処罰や逮捕を恐れてるからだよね。
酷い場合は暗殺とかもあるからだろう。
それに、分断されて、競わされて、
搾取される側同士でいがみあってるのも現状。
確かに、団結なんて考えにくいかもしれない。
でも、そうしたことを見て見ぬふりして、
彼らが敷いた道や用意したレールの上しか走らないようにしてきたから
ここまで生き辛い国になってしまったんじゃなかろうか。
子どもがいる大人達、
正直恥ずかしくないの?悔しくないの?
やりたい放題されて、
自分たちの子供達まで生活苦に巻き込まれて。
誰かが何とかしてくれるだろうとか、
誰かが政治を変えてくれるとか期待して、
搾取する側の彼らが敷いた「選挙」という土台で踊る事が
さも解決策の一つであるかのように錯覚したまま、
そしてそれを次の子供達にも布教している。
「デモ」も基本意味ない。
実際に何度も参加してみて体感した。
何故ならデモも政府の言うことに従う姿勢を捨てきれてなかったから。
単なるガス抜きに過ぎない。
要約すれば反対反対って言うだけで終わりの集まり。
すごい規模の数の人が集まってるのにもかかわらず、
新しい世界を何も創造できてない。
つまりいつまでも政府任せの姿勢。
それじゃ社会が何も変わるわけないよね。
それでよくなる方が不思議だよ。
世帯単位、個人単位で何億円稼げたからリタイアとか、
今収入がいくらだから安心だとか、
実際はそんなことは何の解決策にもならない。
いくら持っていても、
金融政策という名の下に、
その貨幣価値を無くされては意味ないし、
日本に生産者がいなくなってしまえば、
お金の使い道など非常に限られてくる。
常に命綱を預けている状態なんだよね。
しかもいつでもその命綱を自分たちの手に取り戻せる状態なのにね。
これは日本だけではなく、世界中でも同じ。
やり方はともかく、
まだ諸外国の国民の方が従わない姿勢を見せてる方だと思う。
日本人は、争いを好まないといわれてるけど、
それが今は裏目に出てるね。
争えとか政府を倒せと言いたいわけじゃない。
争わずともこの状況はひっくり返せると言いたいのだ。
チャンスがあるのはおそらく、
政府が完成されたAIロボットを人間の警察官等の代わりに導入するまでだと思っている。
今は、取り締まる側もまだ一般庶民であり人間だ。
その人間がもう必要ないとされた時、
もう無理だとは言わないが、
今よりもひっくり返すことは更に厳しくなると思う。
取り締まる側も、実際は搾取されてる側。
大企業で働く人たちもそうだろう。
お金や生活を人質にとられて働いているようなモノ。
だからこそ、無償提供の循環を創造し、
取り締まる側の人達をもその循環に招き入れられたなら、
怖いものはほとんどなくなるだろう。
口では簡単に言えるけど、
やっぱりその無償提供の循環の創造が難しいよね。
やりたいことだけで無償提供とはいえ、
与える側が少数のままだと、
すぐにリソースが尽きて循環が途絶えてしまう。
かといって、また与えるモノやサービスに値段をつけ始めたら、
貨幣社会の歯車に戻ってしまい、
他人にも対価を稼ぐ必要性を植え付けてしまい、
息苦しい社会を促進させてしまう。
けど、実際にそうなってるのが現状。
個人単位で無償提供する人たちは今もいるけれど、
できても、不用品の与え合い。
だが、それではまだまだ遠い。
なので、今本当に必要なのは、話題性だと感じている。
お金のいらない国、無償提供の循環が話題になること。
そこから実験する人たちが増えること。
そればかりは、わたしがどうこうできることではないけれど、
話題になること、そして、そこから繋がり合ったり、
無償提供の連鎖が始まること。
税のことに詳しい人が居るならなお心強いはず。
何故なら、無償提供の循環には課税されないが、
一番ネックなのが、
商売などしていなくても勝手に生じる固定資産税などの税金の支払いだからだ。
もはや、個人レベルではどうにもできない。
自分だけ無償で与え続けて、
でも勝手に税金として取られて、
それを支払わなければ取り締まられる。
そんなことは分かり切ってる。
でも、分かり切ってることから逃げないことこそが、
今最も重要なんじゃないかなと思う。
逃げないというのは、だから税金を払い続ける、のではなく、
どうしたら払わなくて済むようになるかを考えてみること。
だから、色んな人が話題にして、ゲーム感覚でもいいから、
仲間をつくっていって、できないをできるにしていくことが、
本当に今後の地球の社会を左右する。
残念なことに、この13年間、わたしは、仲間を作れなかった。
本当に情けないし、無力さや人望の無さを痛感しています。
だから、この文章をここまで読んでくれた誰かに託します。
もしも「あいつらとならやれるかもしれない」という仲間が居るなら、
わたしの代わりにやり始めてみて欲しい。
お金の仕組みや無償循環の社会についての話で、
疑問に感じてる事があればわたしに尋ねるのもよし。
自分たちでゼロから問い直すもよし。
(一度こっちをしてからわたしと考えをすり合わせる方が面白いかも)
もうね、リラックスして自分らしくただ生きてたら
人生上手くいくとか、そういう言葉もね、
戯言だって感じて来たね。
なーんにも上手くいかないわ。
常にお金での悩みが付きまとう。
常に飯を食うのにも困る。
次第にエネルギーもやれることもなくなっていく。
スタグフレーション(不況下時の物価高騰)により、
次に新しいPCを買うことはおそらくかなり厳しいだろう。
だから、まだここにPCがあり、文章が書けるうちに、
本当に大切なことについて書きました。
もう一度言う。
大事なことは、日本政府がどう在るかではない。
日本が誰に操作されてるかではない。
和多志達一人ひとりが、どう在るかだ。
それは、選挙に行くか行かないかとかいう、
とてもありきたりな、
与えられた土俵で踊るか踊らないかということではなく、
そもそもその土俵で踊ることの無意味さに氣付き、
搾取される側で居ることから卒業し、
搾取されてる側同士でいがみ合うのもやめて、
自分たちで新しい暮らしやすい社会を政府に頼らずに築いていくことだ、
というお話。
是非、無償提供の循環社会になったらどうなるかの議論もして欲しい。
確かに完璧ではないだろう。
課題も多々ある。
だけども、貨幣社会だからこそ起きている問題のすべてはなくなる。
使いもしないのにお金の為だけに土地やモノを所有する人も居なくなる。
無理やりお金の為に仕事=生産=消費をしなくてよくなり環境保護に繋がる。
仕事が無くても生きていける。
人の心にも體にも余裕が生まれる。
人の仕事を不要とする高度な技術が台頭しても、
仕事が無くても生きられるので歓迎できる。
ヒトやモノやサービスも今本当にそれを求める人達に行き渡る。
そのモノ自体が欲しいわけではなくて、
専らお金稼ぎ目的で存在している転売屋も居なくなるからね。
自分の子どもの世話も自分でできるようになる。
生活費の為に子供をどこかに預けて働くという動きも採らなくてよくなる。
仕事のペースもいつでも自分の意志で変えられる。
生活費に追われることもなくなる。
学校というものの教育制度も今とは丸っと変わる。
就職の為の通過点やステータスとしての学校ではなく、
各個人が学びたいものを学ぶための機関になる。
本来の在るべき姿に立ち還るといっても過言ではないかもしれない。
学生は学生としての本業に集中して打ち込むことができ、
学費や生活費の支払いに追われて
アルバイトをしなければならないということにもならない。
貧困のために潰されていた才能のほとんどが開花するようになるだろう。
その能力は、お金稼ぎの競争の為に使われるのではなく、
人々の豊かさに換言されることだろう。
そうした人達が仕事をしたいと感じてやるので、
仕事のイメージが貨幣社会とはまるで違ったものとなる。
根本的に問題を解決してしまうと食っていけなくなるということもなくなるので、
問題の根本的な解決もできるようになる。
利益の為に意図的に問題を作り出したり放置したりする動きもなくなる。
つまり、この世界で生きる人の悩みのほとんど(特に医療関係が顕著)が
根本から解決されていくということ。
医者や病院の数が大幅に激減するだろう。
病も激減する。
人々の(特に仕事での)ストレスが減り、
やりたいことも貨幣社会とは比べ物にならない程やり易くなる。
お金の為に無理に嫌な人間関係を維持し続ける必要もなくなり、
環境を変えやすくなる。
当然ながら、お金が絡む犯罪の全てがこの世界には存在しない。
動機そのものが生まれないからだ。
無償社会になれば奪い合いになると心配する声がたまにあるが、逆だ。
お金の(対価を求め合う)社会だからこそ奪い合う社会になっているのだ。
無償社会ではそもそも簡単に真の純粋な欲求が満たされるので、
誰かから無理やり奪おうという動機そのものが生まれない。
まず、金品の強奪や強盗はないし、
モノも多く持ったところで、
自分の生活に必要以上を持っていても邪魔になるだけ。
人からモノを奪うのは、
飢えている人か、将来を恐れている人だ。
そのどちらもこの世界には、
貨幣社会に比べるとはるかに現れにくい。
個人単位、世帯単位、国単位の「サバイバル」ではなく、
地球規模での全人類、全生命との「共生」なので、
安心感が比にならない。
災害が起きてもケガもなく命さえあれば、
すぐに立て直せる。
お金が無いから立て直せないとか、
補助金だけでは足りないということにもならない。
災害を機に仕事を失って人生路頭に迷うということもない。
誰もが借金の返済にも追われない。
そもそも借金という概念さえない。
タダで受け取って終わり。
タダで与えて終わり。
タダで受け取りっぱなし。
タダで与えっぱなし。
「全てがタダなら誰も働かなかなくなる」という意見もたまにあるが、
それは貨幣社会での仕事のイメージを、
無償社会にも持ち込んで見ているからこその思い違いだ。
この世界での仕事は、やらされてやるものではない。
やりたい時にやりたいことをするだけだ。
そこで生まれたモノやサービスをそれを求める人に
与えたいという意志に基づいて与えたい分だけ与えること。
それが仕事になる。
雇用という概念も消失しているに等しい。
お金の為に無理にやりたくないことをするなどの必要はない。
それに、同じ仕事を毎日する必要もない。
仕事の内容が毎日違ってもいい。
仕事を全くしなくてもいい。
でも、だからこそ何かがしたくなる社会。
貨幣社会は、仕事=対価を稼ぐことが、
生きる為に強制されている社会。
だからこそ、やりたくない。
基本、人は強制されるものを楽しめないし、やりたいとは思えない。
そこから無理に楽しみ方を見つけようとする人も居るが、
中々、心が楽しめないと感じているものを無理やり楽しめるモノにするのは至難だ。
無償社会では、仕事をしている人の殆どが活き活き溌剌(はつらつ)としている。
その仕事が好きだからだ。
何の為でもなく、純粋にそれをやること自体が好きでやってる人ばかりだからだ。
出来ないことがあっても、ロボットなどを無料で使える。
うちの会社にはないとか、お金が無くて導入できないなどと、
困ることは基本ない。
そのロボットがあるかどうかだけが争点となる。
ロボットがあるのにもかかわらず、
お金が支払えないから使えないという、
意味の分からないことは基本起きない。
・・・・・・・
さて、思いつくままに書いてみた。
最後まで読んでくれてありがとう。
あなたは、すべてが無償の社会で、
どう生きたいですか?
何もしたくないですか?
それもOKです。
お金が無くて諦めていたこと、
やりたかったことをやりたいですか?
お金が無くて行けなかったところ、
行ってみたいですか?
お金が無くて食べられなかった物、
食べてみたいですか?
お金稼ぎに追われずに、
ただ何か集中して勉強・研究に没頭したいですか?
趣味に没頭したいですか?
子どもに還った気持ちで、
想像してみてください。
きっと、無償循環社会での人々の
「今日は何しようかな?」の想像力とその規模は、
とてつもないものでしょうね。
全ての人が才能を花開かせると思います。
一秒でも早く、無償社会にしたいですね。
何も問題はないとは言い切れませんが、
少なくとも、貨幣社会よりは大いにマシだと思いますよ。
それでは。
PS:
どうせ既に死にたいと思う程苦しいんだ。
それにどんなに足掻いても最後は皆死ぬんだ。
だったら、
政府への愚痴や傷のなめ合いだけで終わらずに、
一緒に腹括って新しい世界の実験してみようよ。
その方が、よっぽど楽しいと思うけどな~