1:お金の実体
この地球から今一斉に「お金」が消えたとしよう。
しかし、その後もまだ、
人々が互いに見返りを求め合った条件付きの取引を行い続け、
それを生き方として採るのならば、
必ずまた何かが別の形で「お金」となる。
この様に、お金の本質・実体とは、
現金や口座に書かれた数字そのものなのではなく、
単にお互いが条件付きの取引を円滑に続けるためのものに過ぎない。
見返りを求めた生き方をするところに必ず生じる「概念」なのだ。
逆に、無償で与え合う循環の中において、
お金は全く意味を為さない。
つまり、お金とは「エネルギー」ではなく「概念」なのだ。
2:通貨とは
次に通貨について。
更に、円やドルなどの「通貨」が「通貨」として価値を持っているのは、
「税金制度」とそれを支払わないと処罰を与えるという「法」、
そして、その法に従い支払い続ける者たち。
この3つがあるからだ。
法律に従わない者は処罰される。
それが嫌だから処罰を受けないようにするために
人々は税金を支払う。
支払うために世に出回っている通貨を欲しがる。
そうして、「通貨」は「通貨」としての価値を持ち、機能している。
もしも、税金を国に治めなくてもまったく処罰がないなら、
大部分の人がその税を国家に納めはしないだろう。
そして、税を納める必要がなくなるということは、
誰もその税として指定されてあるその国の「通貨」を欲しがらないということ。
わざわざ国が指定した円やドルなどの「通貨」を「お金」として扱う必要が無い。
昔の様に、塩や米などの誰もが実際に欲しがるものを「お金」にすればいいからだ。
だがそうなるとその国の「通貨」の価値は無いのと同じ。
だからこそ、人々を従わせ、必要とさせる必要があり、
その為の法律と罰則とそれを執行するための税務署や警察や裁判所などの各機関と
そこで働く人たちが用意されているのだ。
法律があっても最終的には、
その罰を力づくで執行する人たちの力が無ければ、
その法律は効力を持たないからだ。
要約すれば、「通貨」とは、
国家が決めたことに背いた際の暴力と、
それを受けたくないために国家に従う者たちの納めがあって初めて
皆が欲しがる共通のモノとして扱われ、「お金」としても機能している。
3:お金についてのまとめ
この様に、お金とは、
わたしたちが生きていく上で必要な「エネルギー」なのではなく、
お互いが見返りを求め合う条件付きのやり取りが形成されるところに、
必ずセットで生まれるただの「概念」である。
そして「通貨制度」「税金制度」もまた、
人々が「お金」を必要とする強い一因となっている。
それに次いで、信用創造という借金によってお金が作られる「借金制度」もまた
人々が「お金」を必要とする強い一因である。
社会にとってのお金が、人間にとっての血液に喩えられるが、
まったく異なる逆の性質ををもったものだ。
貨幣社会において、人やモノやサービスは、
その支払い能力のある所だけに偏って流れていく。
そして大量に余らせ、大量に廃棄する。
その一方で、支払い能力が無いところには、
どんなにそのモノやサービスを必要とする人が居たとしても、
そこにヒトやモノやサービスは流れず、常に不足している。
さらにそこに、お金を得る為だけに、
自分では一切使わないにもかかわらず、
転売目的で買う人が現れたり、
土地や物件などを所有する人まで現れる始末。
それが今本当にそれらを欲してる人達に行き渡らないという、
循環の行き詰まりにさらなる拍車を掛ける。
この様に、お金という概念によって、
健全な循環が妨げられているのだ。
しかし、血液はそうではない。
必要な所に流れていき、
必要な所に必要なエネルギーをきちんと届ける。
この様に、お金とは血液とは異なる真逆の性質を持ち、
わたしたちに必要なエネルギーなどでは一切なく、
見返りを求め合う社会でしか存在意義を持たない単なる概念に過ぎない。
3:お金のいらない国(無償循環社会)へのシフトの鍵
1と2と3より、
地球が「貨幣社会」から「無償で循環する社会」にシフトする際に
必要なことを挙げてみる。
第一に、
極力自分が今やりたいこと、好きなことだけをすること。
そして自他のそれを尊重すること。
それにより、互いに見返りを求め合う精神が発揮されなくなる。
人はやりたくないこと、好きでもないことをすると、
見返りを求める精神がはたらく様にできている。
つまり、見返りを求める意識とは、
自分が本当に生きたい在り方からズレている時のセンサーの様なもの。
第二に、無償で提供する。
そもそも与えたくない物は他人に与える必要はない。
したくないことを与える必要もない。
自ら与えたくて与えられるモノやサービスにおいて、
無償で提供する。ただそれだけ。
人々が見返りや報酬を求める大きな原因の一つには、
何を得るにも生きるにも、
他人や社会からその対価の支払いが求められるから、
というものがある。
何かを提供する相手に対価の支払いを求めるということは即ち、
その相手にもその対価を稼ぐ必要性を植え付けるということだからだ。
これが巡り巡って全てのモノやサービスが有料となってしまい、
お金が無いと生きられない、
「お金を稼ぐ機会=仕事」がないと生きられない、
という世界に身を置くことになる。
自分だけでなく子々孫々にまでその世界に生きることを強いてしまう。
これこそが人々の生き辛さの根本原因だと捉えている。
なので、まずは自分が人々に対して、
対価を稼ぐ必要性を植え付ける側に立たないことが肝である。
第三に、税金制度の無効化。
これが一番ネックに感じられるかもだが、
この税金制度に従っていては、
正直いつまで経っても「通貨」や「お金」というものから、
完全に卒業できない。
お互いに無償で与え合えば、確かにそこには課税されない。
これもひとつの無効化で必要な動きだ。
しかし、固定資産税や住民税など、そうしたものは、
無償提供の循環だけでは、無効化できないものもある。
それを無効化するには、
処罰する側の人間を極めてゼロにする必要がある。
つまり、警察や税務署で働く人たちを、
無償提供の循環の輪に巻き込んで、
彼らの生活をも共に支えていくということ。
いわば法律の無効化である。
第四に、選挙に頼らない。
選挙ではまず社会は変わらないということを知る必要がある。
選挙制度というもの自体、
この制度を作った者達から与えられた土俵に過ぎず、
もはやここではその制度を作った者達とその親族や宗教仲間のみにとって
都合のいい政策しか採られない。
それはこれまでの歴史と現代をみれば明らかだろう。
第五に、今を生きること。
今を生き、生や死の奴隷として生きないことが一層大切だと思う。
生や死の奴隷とは、
生きていく為に、死にたくないからといって、
好きでもないことをして生きる人のことである。
だがそれはもう既に死んでいるのと同じことではなかろうか。
そして、今この瞬間を生きる。
基本的に、際限のない欲求の正体は、
未来への恐れや不安である。
恐くてもいい。
けれど、その恐れの言いなりにならないこと。
それに沿うと今必要ない物を際限なく求めてしまう。
そして、貨幣社会は、サバイバルな側面が大きいので、
経済的なことを筆頭に、
様々なことを少数あるいは一人で抱えなければならないと感じ易く、
その分、どうしても未来への恐れや不安も大きくなる。
それ故に、今必要もない物さえも、
いざという時の為に備えておこうと自己防衛を意識してしまう。
だが、それを皆がすると、
今それを必要としている人のところへ
モノが行き渡らなくなる。
そうなるとますます社会全体が恐れと不安に覆われてしまう。
ますますサバイバル意識が強まってしまう。
誰一人としてたった独りでは生きられないというのに。
本来手を取り合ってはじめて生きていけるはずの人達を苦しめてしまい、
結果自分の生活までも立ち行かなくなってしまうだろう。
この様に、恐れに従って進んでも、
結局は自分も誰も豊かにはならない、
むしろ自分も他人もより貧しくするということを知っていればいい。
この文章を読める人の多くは実際にその身で体験してることだろう。
4:まとめ
お金というものを通じて、
わたしたちは、様々なことを体験させられ、
氣付きを得てきた。
そして、この貨幣社会を卒業するにあたって、
決して外せないと感じる重要事項を簡単にまとめた。
あえてオブラートに包みこまず、
現実的に看過できないことまで明確に書いた。
これからを生きる上で参考になれば幸い。
なんとかしようとする必要はない。
むしろ意識のベクトルはそれとは逆で、
好きなことをして、好きに生きて、好きな人と繋がり、
好きな人たちと手を取り合って、
はじめは小さくとも無償の循環をつくっていけたら、
自ずと各地でそれは繋がり、規模は大きくなり、
法もお金も恐れも不安も無効化されていく流れは確実に生まれる。
サバイバル意識は萎み、
ワンネスやお陰様の意識、共生意識が常に在るようになる。
ただ注意なのは、
人との繋がりや自分が提供できることに対価を設定し、
収入に変えようとしようものなら、
それをどんなに感謝だの愛だのという言葉で繕おうとも、
あなたとあなたの家族の世界で、
常に対価の支払いが必要な社会が続くということ。
まぁそもそも他人に見返りや報酬を求めだす時点で、
自分が本来やりたいことや心地好いペースや生き方とは
ズレているという証なのだけども。
最後までお読み頂き感謝。
それでは。