【facebookの投稿文を転載】

 

<以下、転載分>

 

「災害ユートピア」という言葉がある。

アメリカの作家、
レベッカ・ソルニットが紹介した概念で、
大災害によって経済や社会システムが一時的に機能しなくなると、
人は驚くほど自然に助け合い、
そこに強い連帯感や共同体意識が生まれるという現象だ。

普段なら、
サービスには対価を払い、
仕事には報酬が発生する。

でも災害の時だけは違う。
「困っているから助ける。」
ただ、それだけで人が動く。

今回の熊本地震で、
僕たちもまさに、その世界を生きている。

「何か手伝えることはありますか?」

その一言だけを頼りに、
何時間もかけて駆けつけてくれる人がいる。

瓦を運び、
崩れた家を直し、
泥だらけになりながら汗を流す。

作業が終われば、
みんなでご飯を食べ、
夜はお酒を飲みながら笑い合う。

昨日まで知らなかった人たちが、
いつの間にか昔からの仲間のようになっている。

本来なら、
震災なんて起きてほしくない。

失われたものも、
悲しみも、
決して小さくはない。

それでも、
その痛みの中だからこそ立ち現れ、
見えてくる景色がある。

「困ったら浮遊街においで。」

そんなことを、
少し格好つけて言ってきた僕たちが、
今は全国のみんなに助けられている。

なんとも皮肉だけど、
この復興の日々には、
僕たちがずっと目指してきた共同体の姿が確かにある。

立派な施設をつくることでもない。
便利なサービスを提供することでもない。

一緒に汗を流し、
一緒にご飯を食べ、
一緒に笑い、
「また来るね」と言って帰っていく。

人と人がつながるとは、
本当はこういうことなのだろう。

震災は、多くのものを壊した。

でも同時に、
忘れかけていた「人間らしい社会」を、
僕たちに思い出させてくれた。

災害ユートピアは、
災害だから生まれる奇跡ではない。

本当は誰の心の中にもある、
助け合いたいという衝動が、
平時の社会では見えなくなっているだけなのかもしれない。

だから僕たちが浮遊街で目指しているのは、
災害が起きた時だけ現れる共同体ではない。

何も起きていない日常の中で、
「困ったらお互いさま」が当たり前になる社会だ。

今回の復興ボランティアで感じた温もりを、
一過性の思い出で終わらせず、
これからの社会のスタンダードにしていきたい。

 

<転載終わり>

 

まず、この文章を投稿された坂井 勇貴さんには、

心より感謝と敬意を表します。

 

和多志も似たようなことをずっと感じていました。

だけども、自分自身があまりそういう現場に訪れることができていなかったため、

無責任な投稿は控えていました。

 

 

 

<以下、補足>

 

和多志達はその氣にさえなれば、
与えっぱなし、受け取りっぱなしの、
無償提供の循環で生きていけるという確信があります。

そもそも、自然界も共生と無償循環。
競争もごくわずか。
人が競争と錯覚してる事実さえもある。
人間の見返りを求め合う営みが、

動植物たちにサバイバル競争を押し付けてることさえある。

人間一人の體の中でも無償循環が行われて生きている。
もしも自分の体内の世界でさえも対価を求め合い、
モノやサービスを通貨という媒介物を用いて、
交換させるシステムで営まれていたら、
この肉体はとっくに滅んでいたことでしょう。


通貨が流れるところには大量にモノや労力が送り込まれ、
そこでは大量に資源が余り捨てられる一方で、
通貨が流れない所では常にモノや労力が不足し、
多くの命が失われてしまうからです。
現実世界も同じ。

お金がヒトや社会を支えているのではなく、
見えないどこかで誰かに何かを無償で与えている人達こそが、
”お互いを「対価(お金)を得る機会=仕事=生産=消費」に縛り付ける見返りを求め合う社会”、

の自滅性を最小限に抑え、
マネーゲームの存在さえも許容して来たのだと思います。

Veganのライフスタイルの人達が、
肉食の人たちの資源の浪費による自滅的な影響を最小限に抑えてる様に。

和多志達もその無償循環の自然に沿った在り方、
宇宙の在り方に還れないわけがない。
いい加減にそろそろ還るべきだとさえ感じます。
既にあちらこちらで限界を迎えていますね。
人の心、體、社会システム、絶滅寸前の危惧種、自然環境。
これ以上取り返しがつかなくなる前に。

各地で頻発して起こる災害も、
こうしたことのメッセージかもしれないとさえ感じます。

だけどももう災害に頼らずとも、

和多志達は常時ユートピアを営んでいけるはずです。