対価を求め合った生き方が、

全てを有償化し、

対価が無ければモノは一切手に入らず、

その対価の為に消費を促進させるが故に、

自然を必要以上に蝕むという

巡り巡って自滅行為だということに氣付き、

 

転じて、

 

自分の好きなことを通じて無償でギフトする生き方が循環することで、

お金の為だけに生まれている過剰な消費と

「値段・価格」というハードルが原因で生じる、

ニーズと供給のミスマッチ

(一方でモノが不足し、一方で大量廃棄されている馬鹿げた現象)がなくなることで、

 

地球にとっても、

その一部でもある和多志達人間にとっても

健やかかつ豊かなライフスタイルが送れる、

ということに氣付かされ、

 

 

それから

他人に対して見返りを求めない生き方を卒業して10年以上経った。

 

 

 

総評としては、ほんっとに辛い。

 

今のところホントに辛い。

 

 

自分を貫いて生きている、自分の選択、

と言えばカッコいいのかもしれないが、

 

実際ただきついだけ。

 

 

 

 

対価を求め合うことの本質、

お金の仕組みの本質を知らない人達が殆どで、

 

自分の生活に必要なモノ、求めるもの、

人生を豊かにするものの殆どを手にしようとすると、

 

周りのたちからは当然の如く、

対価の支払いを求められるわけで。

 

 

家族からのサポートがあるとはいえ、

正直、いつもギリギリな状況。

 

 

 

その月、せいぜい毎日食べられればいい方で、

食べられない日も月に何度もあり、

 

旅や衣服や娯楽に回す余裕なんて殆どない。

(おっと。ここで他人との幸不幸や苦痛を比較するのはナンセンスよ。

もっと食えない人が居るからまだマシとかいう視点は無意味だから。

相対的な幸不幸や苦痛は偽物で、誰との比較もなく、

絶対的に自分がどう感じてるかが重要とわたしは感じてる)

 

なんせ、無収入だから。

 

分かってる。

ほんとは和多志が無収入であることが原因なのではないことくらい。

 

 

 

 

そうはいっても、

 

やっぱり人の所為にしたくない。

 

 

 

自分がまだ重要な何かに氣付けていないからだ、

 

という想いもあるけども、

 

それでも心の中では

 

「もうやめてよ」って叫んでる。

 

 

 

 

空腹でなにもやる気が出ないし、

誰かを喜ばせること、ギフトも今は出来ていない。

 

自分が新たな循環の一部すら担えてないなんて情けなさ過ぎる。

 

 

 

氣付かなければ苦しかったであろう氣付きも、

 

氣付いてしまったからこその苦しみに今は苛まれている感じ。

 

 

 

仲間とか、氣の合う人も身近には居ないし。

 

もう誰かと何かをやるという氣力もない。

 

早く解放されたい、心から癒されたいという想いでいっぱいいっぱい。

 

 

 

ブログも書いてる途中で頭痛に苛まれることが多くなり、

 

投稿頻度も激減してしまった。

 

 

 

誰に何を伝えることも儘ならず、

 

頭も回らなくなり、

 

綴っていて楽しいとすら感じなくなってしまった。

 

 

 

かといって、

 

休んでいてもこの状況から抜け出せるわけではなかった。

 

もう何年も。

 

 

ホントに辛い。

 

誰に助けてって言えばいいのかもすら分からない。

 

 

 

 

 

 

和多志の人生って一体何なんだろう。

 

 

もう今の地球やだよ。

 

 

それが本音。

 

 

 

いくら知恵があっても、

 

それを使うエネルギーが無ければ意味がない。

 

 

 

 

周りに流されず、

 

恐れに囚われず、

 

自分軸を貫いて、

 

苦痛に耐えながら生きてきた。

 

 

 

 

だけども、未だに自分にとっての

 

夢中になれる程の、

創造的な自己表現も見つからず、

 

誰にもギフトができず、

 

それをするエネルギーもなく、

 

自分が変われるきっかけも見つからないまま、

 

それでいて、

 

変わらない現実に心身蝕まれている感じで、

 

もうしんどい。

 

 

 

このブログで書いてあるような、

 

大切な事みたいなものは全部やってるけど、

 

それでもダメみたい。

 

まぁ独りだからってのが大きいのだろうけど。。

 

そこは仕方がない。

 

 

 

 

心開いて話せる人が今は居ないから。

 

それに、やっぱ

 

和多志の様になって欲しくないというのが一番大きいな。

 

 

 

自分が身をもって、

 

他人に見返り、対価、報酬を求めない、

そのために何かをやるということをしない

 

という生き方を実践してきて、

その辛さ痛みを酷く痛感させられてきたから。

 

 

 

このブログで伝えてることを安易に他人に話すことも憚られる。

 

 

 

 

 

 

今更、お金を稼いで生きるとかいう

自滅的な在り方に戻る気なんかないけども、

 

ギフトに生きようとするのもまだまだ今の和多志には無理なようで、

 

自分の無力さに情けなさを感じつつ。。。

 

 

 

 

 

ちなみに、

 

すべてのモノやサービスが無料の、

調和文明、無償社会になったら何したいか?

 

 

和多志の場合、

 

日本全国のVegan料理を、

 

各地のVegan対応ホテルに宿泊したりしながら、

 

堪能したい。

 

まったり色んな交通手段をも使わせて頂きつつ。

 

 

 

そして色んな服が着たい。

 

オシャレがしたい。

 

丸1日じゃなくていいから

1人貸し切り温泉にも入りたい。

 

知らない場所に出向きたい。

 

Veganフェスで食べたいものを食べたいだけ堪能したい。

 

 

 

通訳さんが付いてくれたら、

 

その規模を世界中にまで広げたい。

 

 


そんで、

 

美味しかったお店、

 

素敵だった場所、

 

色んな人に紹介したい。

 

 

シェアしても、

 

「いいなぁ~」って指くわえて終わってしまうような人は、

 

この無償社会じゃ極まれと思うから、

 

こちらも気兼ねなく教えることができる。

 

 

 

和多志自身も、

 

教えてもらった場所に、

 

スグに向かえて、感想を伝えることができる。

 

そういうのがいい。

 

 

 

お金が無くて食べられない人、

 

という今のわたしみたいな仲間外れや、


 

お金が無くて作りたくても作れない人、

ギフト出来ない人、が生まれない。

 

一方で不足し、一方で過剰に捨てられる

という意味不明なことも殆ど起きない。

 

誰もが自分が必要とされなくても生きていくにも遊ぶにも困らない。

 

誰もが容易にVeganを選択し続けられる。

 

 

そんな社会を

 

和多志は心待ちにしている。

 

(ホントは自分の手で創造したかった。。。でもギフト出来るものもないし、

そもそもエネルギーが枯渇してて何したらいいか分からん)

 

 

 

今のわたしには、

 

こうして頭を極力使わずに

 

まとまりのない文字を打つくらいしかできないけど、

 

 

誰かにこの想いが、響き、届いていたらいいな。

 

 

 

無償社会だったら?って問うと、

 

やりたいこと沢山出て来るの笑う。

 

 

 

このブログを書き始める前は、

 

今の心持ちを伝えたい以外に

 

何もやりたいことなんて感じてなかったのに。

 

 

 

そうね、今は出来ないから、

出来ないなら見ない様にして、

出来ないことの辛さから距離を置いて見知らぬ振りしてただけ。

 

そういうのってあるよね。

 

どうせできないのならもう意識を注ぐのやめようってこと。

 

でもまだ完全に不可能じゃないって思ってる諦めの悪い自分も居る。

 

どっちなんだろうね。

 

 

 

既に完全にお手上げ状態なんだけど、

 

だから楽になったかというとそうではなく、

 

それでも苦しいモノは苦しいし、

しんどいことはしんどい。

 

それが本音。

 

 

 

さて、そろそろ限界なのでこの辺で終わりにします。

 

何か感じ取って頂けたものがあれば幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。