生きることはあくまでも手段。

 

生きること、 

 

地球で生きていくことが目的になってしまうと、 

 

人生はつまらなくなりますし、 

 

エネルギーは枯渇し、

 

心身病みますね。 

 

 

いつ死んでも構わないと腹を括り、

 

今ときめきを感じている体験優先で生きている方が

 

楽しいですし、

 

自然にエネルギーが湧いてきます。

 

 

 

生きていくために、

 

食っていくために、

 

誰かに評価され認めてもらうためにと、

 

好きでもないことをして生きていてもしょうがないでしょう。

 

 

 

遅かれ早かれ、

 

病や怪我や事故やハプニング等が、

 

人生の軌道修正をしにやってきます。

 

 

病は医療技術や薬で治すものだと刷り込まれてきましたが、

 

病こそが、治療そのものだったんですね。

 

病こそが自然治癒力。

 

宇宙による荒療治。


 

 

自分の人生の軌道を修正してくれているんです。

 

 

だからその病だけを取り除こうと

 

抵抗すればするほど悪化するだけなんですね。

 

その病が引き起こされた原因でもある

 

自身の在り方は一切変えようとしないのだから。

 

 

ただこの都合の悪い病だけ取り除きたいってのは

 

出来ないんですよね。

 

 

サインが小さい内は、

 

一時的にそれが出来たように思えることもあるかもしれませんが、

 

本当の自分を生きていない内は、

 

徐々にサインを大きくして

 

その病だったり、怪我だったり、

 

あらゆる形で、

 

似た様なケースで、

 

繰り返し繰り返し、

 

本当の自分が望んでいる人生に

 

軌道修正を掛けてきます。

 

 

 

つまり、自分が握りしめている古い習慣や、

 

自分を幸せにしない古い価値観を手放すと決め、

 

選択基準や行動基準が変われば、

 

病はその役目を終え、

 

去っていくということです。

 

 

どれだけ頭で抵抗しても、

 

いずれは、


本当の自分が望んでいる方向にしか行けなくなる日が来ると思います。

 

もう自分に嘘が付けなくなる、

 

自分を騙せなくなるということです。

 

 

 

 

「病み」というのは「止み」でもあり、

 

これ以上そちらの方向に行くことを

 

ストップさせてくれているんですね。

 

 

それは過去記事でも触れましたが、

 

集団レベルで引き起こされることもあります。

 

 

 

話がやや脱線しましたが、

 

そもそもわたしたち人間は、

 

やりたくないことを続けられるようにはできていないし、

 

やりたくないことをわざわざやりに

 

この地球で生きているわけではない様です。

 

 

 

 

それに、

 

好きでもない、やりたくもないことをして生きて、

 

それで長く生きられたとしても

 

それ意味ないよね、って感じます。

 

 

いくらそこに学びがあろうと、

 

それで身体は生きていても、

 

面白くなければそれは既に死んでいるのと同じです。

 

 

学びとは元々遊びであり楽しいことです。

 

遊びや楽しいことの延長で自然に身に付くモノ。

 

だからこそ無理なく吸収できる。

 

そして一度身に付いたら中々離れない。

 

身に付くというより、

 

「思い出す」とか「発揮」の方がより正確な表現かも。

 

 

 

楽しくない学びは身に付き難いし、

 

続かないので、身から離れるのも早いです。

 

人にやらされること、

言われてやることは大体これです。

 

 

 

 

 

まぁわたし自身、

そもそもこの星でこれ以上生きていくことを望んでいないというのもありますが、

 

だからこそ、

 

もう何時どうなってもいいやの精神で

 

やりたいことだけをやって今この瞬間に集中して生きるようにしています。

 

というか、常に今しかないのでね。

 

 

 

将来の為、未来の為、

 

そんなまだ来ていないモノの為に

 

今確実にあるものを犠牲にして生きるのはおかしなことです。

 

 

死も苦痛も来るときには来る。

 

起きることは起きる。

 

実際に起きる前から逃げようとか無くそうとか予防しようとか解決しようと

 

抵抗し、もがけばもがくほど、

 

今はまだ何もなかったにもかかわらず

 

今確実にあるこの瞬間が苦しいモノになってしまうのです。

 

おかしなことです。

 

 

 

ならいっそもう、

 

いつ死んでもいい、

 

どうなっても構わない、

 

なるようになると腹を括って、

 

過ごしたいように過ごす方がいい。

 

そうすれば未来にも誰にも何にも縛られずに済む。

 

 

 

確実にある今が、

 

未来という幻想に縛られた生き方ほど、

 

馬鹿げたことは無いと感じます。

 

 

 

そしてこの未来に縛られない生き方も、

 

調和文明(無償社会)の在り方の根本部分に

 

深く関わっています。

 

 

 

ギフトは、

 

自分が今この瞬間やりたいと感じていること、


自分の好きなこと、好きな在り方、

 

自分のペース(心地の良い過ごし方・過程)でないと、

 

無償で与えたいとも感じられないし、

 

それが実質的に誰かへのギフトにはなり得ないからです。

 

 

(より高い視点から観て、氣付きという意味合いにおいては

すべてがギフトとして後付けで捉えることはできますが。。。)

 

 

 

 

 

 

魂視点で、

 

自分の生・命が一体何なのかを俯瞰して観ることで、

 

何が自分にとって本当に大切なことなのか、

 

そうでないことなのか、

 

本当か嘘なのかが、

 

一目瞭然ですね。

 

 

 

 

では今回はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました(*´ω`*)