昨日、会社で具合が悪くなり
熱はないんだけど、なんかフラフラしてきて
座ってるのが辛い
気持ち悪いのもあって、
もし、インフルだとみんなに迷惑かかるからか
会社早退してきました
家で熱を計ったら、36.8℃
微熱だけど、頭がガンガン痛くって
ベットから動けず
朝方、熱は平熱になったけど
頭の痛さが消えないのよ
なので、今日は会社を休むことに
今年のクリスマスは、
世間とは程遠いクリスマスとなりました
さて、前回の続きです
今回の記事、なかなか渋すぎるチョイスです(笑)
興味ない方が大半だと思いますのでσ(^_^;)アセアセ...
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諏訪神社と、古い塀のある家を見た後に見つけたのが
日本最初の罐(缶)詰製造の地石碑です
場所は、日本銀行長崎支店横ですね♪
長崎も、横浜同様「日本初」多いですσ(^_^;)アセアセ...
まあ、唯一開国して外国と貿易をしていた街なので
そういうのは多くなるでしょうね
今から約150年前の1871(明治4)年に、
長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、
いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりだそうです
日本最初の罐(缶)詰製造の地石碑から、長崎図書館方面へ向かいます。
けもの道の様な道で怖かったσ(^_^;)アセアセ...
長崎図書館の坂を下ったところにあるのが
長崎県防空本部跡(立山防空壕)です
コチラの防空壕は、中を見学できます
今まで、防空壕をいろいろと覗いてきましたが
中に入るのは初めてかも!!
観光客なんて誰もいなくって
いるのは管理のおじさんが、小屋の中に1名
恐る恐る入ってみたら、
凄いヒンヤリしていて・・・
私は霊感なんて全くないし、そういうのに疎いのに
【体が持って行かれる】感じを強く受けて、
走って、防空壕を出てきた次第です
それまで、原爆遺構や、潜伏キリシタンの資料館に行こうと思ったけれど
「こりゃ、気持ち持たない」と言うことで
ここを最後に、今回の旅は戦争から遠ざかりました
防空壕を出た後、どうしても見たいものがあって、坂をまたまた上ります
住宅街の中にある怪しい鉄柱
しかし、只今休業中で動いてる姿が見えなかった
こちらは、住民用の長崎市斜面移送システム
2号機 さくら号です
尚、市内には3号機まであります
※画像はお借りしました
本来は、こんな電話ボックス型のカゴが付いてて、
階段の上り下りに稼働しているそうです
呼び出しBOXがあって、乗りたい人はこれを操作して、乗るそうです
動いてるところ見たかった
何故、長崎って地名だかわかりますか?
ブラタモリの本曰く、長い岬から来ているそうです
(長崎氏から来た説など、諸説あります)
切り立った山ばかり
元々平地がない地形でしたが
江戸時代に日本で唯一の貿易拠点だった「出島」建設から、
埋め立てが一気に加速します。
江戸時代から、長崎は埋め立て大国だったんですね。
長崎=平坦な場所は埋め立て地と思った方がいいほど、
とにかく山に囲まれた、想像以上の坂道が多い町となっています。
なので、自転車保有率は、日本でワーストワンです
電動自転車でも登れないような坂も多いし
そして、とにかく階段も多い!!
足が悪いご老人が、杖を突きながら長い階段を登る姿を多く見ました。
そのいう現状なので、長崎市斜面移送システムというのは、
必要なんでしょうね
尚、長崎県は47都道府県中最も島が多いことで知られています。
対馬、壱岐、五島列島などの島嶼(とうしょ)が1479あり、
※《「島」は大きなしま、「嶼」は小さなしまの意》大小のしまじま。の意
その数は日本一です。
また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから
海岸線の長さは47都道府県中第2位となっている
※1位は北方領土を含む北海道
渋い、乗り物を見る事が出来ませんでしたが
本当にあった!!という確認は取れたので
先を進みます
コチラも今回行きたかった場所
サンド・ドミンゴ教会跡資料館
小学校校舎建設工事に先立つ埋蔵文化財発掘調査により出土した、
江戸時代初期の貴重な教会遺跡です
1609年(慶長14)に長崎代官・村山等安が寄進した土地に
鹿児島にあった、ロザリオの聖母聖堂が移築され
サンド・ドミンゴ教会となりました。
しかし5年後の禁教令により教会が破壊されてしまいました。
写真撮影はOKなんですが、個人で楽しむだけとなっていて
SNS等へのアップはできませんので
※写真はお借りしました
井戸の石積みや石畳、石の排水溝など、とても興味深く見せていただきました
歩いていると、以前見た事がある石標を発見
幣振坂の文字
こちらは、筑後町幣振坂
前回は、鍛冶屋町の幣振坂
幣振坂って何本もある様です
この石標があると、私にとって
ヤバい坂認定となっております
登っても登っても墓しかない、
前回味わった、あの修行の様な坂道(笑)
でも、この筑後町幣振坂の先に
映画「解夏」で出てきた井戸があるというので
興味津々
しか~し!!!
登っても登っても階段なんですが!!!(泣)
しかもまた墓だし・・・
デジャブ(笑)
やはりデジャブ(笑)
結局、井戸は見つけられず
凄い長い階段・・・
これだけ登ってきた証よね
すごすごと降りて、地上へと戻ります
階段を降りたところには、また教会跡の石碑
サン・ジョアン教会/サン。ラザロ病院跡
1591年(天正19)に建てられますが、
やはりキリシタン禁教の為1614年(慶長14)に教会が
1619(元和5)年には病院が、破棄されました。
私は無宗派ですが、
信仰を絶たれるって、本当につらかったっでしょうね
しかも、それに背いたら即処刑です
次に向かった先は、
カトリック中町教会
長崎市では、世界遺産・大浦天主堂の次に歴史のある
カトリック教会です。
設立から120年経っているそうです。
建物は残念ながら、原爆で外壁と尖塔だけを残して焼失してしまいました。
1951(昭和26)年に、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され
そのためこの聖堂は、被爆遺構として長崎市の指定を受けています。
※写真はお借りしました
中がとても素晴らしらしいんですが
遅い時間だったようで、開いてなくって
見る事が出来ませんでした
マリア様と共にいたのは
迫害を受けた26聖人の中の少年3人の像でした
ホント、辛い歴史過ぎます
辛んだけど・・・
でもね・・・
お腹はすくんですよ(笑)
美味しい夕飯食べに行きましょう~
続きはまたのちほど