現代の社会では、「生きていくためには働く」という概念が一般的で、
不登校児も日々、「このまま不登校でいたら将来的に働けなくなって、生きていけない」や、
パニック障害で悩んでいる社会人も、「会社を辞めたら生きていけない」と、
日々「がんばって」暮らしているのでしょう。
私も、その一人です。
「がんばる」って自身が意識した時点で、
それって真の願望ではなくて、
心から自分がやりたいことではなくって、
諸々の理由をつけて「がんばらねば」という義務感にも近い感情だと思っています。
ちょっと自分のキャパシティを超えているとき
誰かに応援されたとき(応援されていることを理由に)
「がんばるね」って言葉を使っています。
本当に心から充足しているとき、心からやりたいと望んでいることをしているとき、
「がんばる」という言葉は使いません。
私は旅行がとても好きなのですが、
「がんばって旅行に行ってくるね」とは言いませんし、思いません。
けれど、パニック障害になって飛行機や電車がつらいとき、
会食恐怖で食事の時間が不安なとき、
大好きな旅行という事象に対しても、
「がんばる」という気持ちが生じます。
つまり、本来やりたいと思っていないことや少しでも不安が生じる事柄に対して
「がんばる」という気持ちが生じるのです。
「がんばること」は決して悪いことではありません。
がんばった分だけ見える景色が違うことも知っているから。
ただ、「がんばる」は時に自分への暴力になるということだけ認識をしています。
自然欲求に反したことをしようとしているときに生まれる気持ちであると思うからです。
いつもがんばってしまう人ほど、
一生懸命でまじめな人ほど、
時にはがんばらない選択を意識的にすることも必要だと思っています。
人は、本来もっとシンプルに生きていけます。
それが人工的な経済、政治システムによって
私たちは労働を強いられているだけです。
必要最低限であれば、心穏やかに暮らしは出来ます。
そのことを念頭に置くだけでも、心がふわっと軽くなる気がするので、
私はいつでも会社を辞めれるし、だとしても生活できると思って仕事をしています。
じぶんを大切に。
自分を大切にしてくれるひとたちを大切に。
何が大切かを見失わずに。