こんにちは!

 

 

Study GYM GIFEDの桧山です。

 

 

非認知能力について学びはじめてから

今までずっと気にしていたことがあります。

 

 

それは、

生徒にアドバイスをするとき、

「先生」による価値観の押し付けになっていないか、ということ。

 

 

先生と言う立場上子供たちに何かを教える機会がものすごく多いです。

これはいつまでにやるべきだ、

これをやらないとこれはできない、

勉強はこういう風にやるべきだ、

勉強に対する姿勢はこうであるべきだ・・・。

 

 

こういったいろいろな「〇〇するべきだ」という

自分の中の概念にとらわれて、

それをそのまま生徒に伝えてはいないだろうか。

 

 

・・・。

私は伝えていました。

 

 

だから

どんどんどんどん生徒たちは次に何をやるべきなのか考えるようになります。

 

 

これは一見主体的に見えるけれども、

全く主体的ではありません。

 

 

これが通用するのは高校生までであって、

大学生になってから全く通用しないんです。

社会に出てからはことさら通用するわけがない。

 

 

それなのになぜ社会で通用しないことを

私たちは与えてきたんだろうか、

与えているのだろうか。

 

 

ここにすごく疑問を持ちました。

 

 

もちろん、ある程度の導きと言うのは必要かもしれません。

でもそれが終了した後、

それとともに生徒が自分で考える力というのをつけていかない

彼らは社会に出てからびっくりすることでしょう。

 

 

「なぜ大人たちは”生き抜き方”を教えてくれなかったのか」と。

 

 

自分で考えるというのは

自分で算数の答えを導き出すとか、

国語の読解問題を解くとか、

そういうものだけではなく、

自分が苦手とするものを克服するには何をやったらいいのか、

自分に合う勉強の方法っていうのはどんなやり方があるのか、

自分が効率的に勉強するにはどんな生活習慣を身に付ければ良いのか、

そういうことを考えてもらうということも

立派な「考える力」を育てているということです。

 

 

これができない高校生以外に多かったんです。

もちろん、私自身も高校生時代にそんなことはできていませんでした。

 

 

これはある意味教育の弊害だと思ってます。

だけど、生徒が何をやりたいのか、

どうしたいのかを考える時間や

それを待っている時間というのは

私たち先生側にはあまりありません。

 

 

そんな時間があったら1つでも多く解いたり、

解決してあげたい解決させたいと思うのが普通です。

 

 

だって、

待つより教える方が楽だから。

 

 

 

 

限られた時間の中で

こなさなければいけないテキストがあります。

「待つ」と言うのはかなりきついものがあります。

 

 

生徒に考えさせても考えがまとまらない時もあります。

 

 

だから教えた方が指示を出したほうが楽なんです。

 

 

でも小学校中学校とそういうふうに教育をされてきた高校生たちは

大学受験に向かって迷うことがとても多くなります。

 

 

だからこそ、小学校中学校の時から、

自分の事は、自分で考えると言う習慣を持って欲しい。

 

 

与えられたものだけを淡々とこなすよりも

生徒自身がそれに気づけるようにするためには、

大人側がその気づきを与えられることができるスキルを持つ必要がある。

 

 

私の意見は私の意見。

生徒の意見は、生徒が出すものです。

先生が言っているから

「正解」なのではなく、

「参考」にしながら

自分の考えを出せるように

導いていきたいと願っています。