家族が無くなったミーアウンさんから聞いた話です。  ミーアウンさんが住んでいた所は、村ではなくて、村から遠く離れた海の近くにある塩田の中の塩を作る仕事場でした。 家は仕事場の付近に密集して50軒ぐらいありました。 塩を作る労働者であったため、家族とともに仕事場の近くに住んでいました。 ミーアウンさんの家族は彼と奥さんと6歳と2歳になる息子とお手伝いの15歳の女の子と奥さんの両親と一緒に住んでいました。 ハリケーンの風が強くなり始めたのは、午前11時からです。 2時間後に塩田の仕事場や道中に水がすごく溢れて来ました。1時間後の2時ぐらいに家の出入り口の方から水が少しずつ入り始めました。それから だんだんと水の勢いは止まることもなく水が海の方からやってきて家も少しずつ沈んで来ました。 他の人の家は竹で作ってあったため、すぐに壊れてしまいましたが、ミーアウンさんの家は木で作ってあり、他の家と比べ丈夫だったので、他の家の人達も風雨を避けるため、彼のうちに集まりはじめました。しかしその30分ぐらい後、彼の家がすべて壊れてきたためそこにいることができなくなりました。 彼は彼の6歳の息子と他の家の子供を木材で作った箱に入れてそれで子供たちを運ぼうと考えました。  男の人1人が その子供を乗せた箱を持って避難できる高台を探している途中に、急に 猛烈な風と波が押し寄せ子供達を乗せた箱は押し寄せた海水の中に流されていきました。 皆はそれでも少しでも安全なところを探して歩きました。 水も腰ぐらいになり、だんだん 歩けなくなってきました。 彼も強い波のため、他の家族と別れてしまいました。 ミーアウンさんは村の米倉の柱に流されないようにつかまっていました。その後 水は もっと もっと 溢れて来ました。水は胸の辺りまで上がってきたのでぜんぜん歩けませんでした。 流されないように米倉の柱につかまっていると、周りでは溢れた水の中で浮かんだり沈んだりしながらたくさんの人が必死でもがきながら流され、家や木々にぶつかりその姿を一つずつ消していきました。 その時はどの人も神様に縋るしかすべはありませんでした。 しばらくして、米倉も壊れてきたためその場を離れて安全な場所を探している時、 彼は 彼の奥さんと2歳の息子に再会いしました。 それで彼は奥さんら2歳の息子を受け取り、奥さんと共に沈まないように子供を抱き抱えながら泳ぎましたが、子供はまだ小さいため、顔がちょっと水に漬かっただけで死にそうになりました。 他の人達も 目の前で 沈んだり 浮かんだり、強い風のせいで 何かにぶつかって 死んだり していました。 彼は竹で作った家の壁が流されているのを見つけたため、その竹の壁を必死につかんで自分と抱き締めている息子が生き残るように頑張りました。  でも、大きな波が来てで子供は手からすべり落ちてしました。 5分ぐらい後、水の上に浮かんでいた息子を見つけたので急いで抱き上げると息が まだ残っていました。 息子を抱きかかえながら、竹の壁につかまっていると、村に住む6歳くらいの男の子が 彼の首にしがみついてきました。可愛そうなので、彼はその子も抱き抱えました。 その子も彼の首を頼って抱きしめました。 奥さんが他の人達と一緒に流されているのが見えました。 彼は奥さんに息子はもうだめだと告げると、妻の顔はとても残念な表情でしたが、この状況ではその現実を受け止めざるを得ませんでした。 雨も風も波も今まで以上に強くなり、竹の壁も壊れてしまったため再び2歳の息子を抱え6歳の男の子に首つかまられた状況で泳がざるを得ませんでした。 しかし、そう長い時間が経たないうちに、2歳の息子は腕の中でぐったりしていました。 それでも子供を抱えたまま、浮かんだり沈んだりを繰り返し死にそうになっているとき、 大波によって頭の上に大きな板が覆いかぶさってきました。 頭上に板があるため、水の中で呼吸することもできず、思わず息子と6歳ぐらいの男の子を放してしまいました。 そのまま2時間ぐらい流され続けました。水はココナッツの木の頂点まで(14メートル以上)上がてって来ました。そうしているうちに1本のココナツの木にぶつかりました。ぶつかった木を頑張って 握締めました。その時は 体も弱くなって、その時に着ていた服も身に着けているものすべてがなくなりました。 今まで南東方面からだけ吹いていた風は、北の方角からの風と混ざり合いながら強さを増しました。 大雨とともに強い風と波で背中にも焼けどのように怪我もしました。木を握締めた手も もう疲れて、とても痛かったです。 一度の強い風に飛ばされて 一つの木材を握締められました。そのまま 水で 一晩中流されました。   多分夜9時ぐらいに水が少し下がりました。生き残った人達が、声を出してお互いの居場所を確認しながら集まってきました。道は見えないけれど声が聞こえる所へ集まると皆で12人ぐらい生き残りました。 その時妻や妻の両親の姿は無く一人お手伝いの娘さんだけが生き残っていました。 皆は強い風雨で着ていた服は統べてくなって裸になっていました。 そこから水が溢れていない安全な村へ行くため、腰ぐらいになっている水を渡して行きました。 途中で落ちている服やビニール袋を着たり、ココナツだけ食べたりで一日間後でやっと 村につきました。 彼は今
先日のジャンヌダルクが久しぶりに来た。

元気がなく一人雨の降る外の景色を見ていた。

明らかに何かがあった様子で、スタッフが聞いてみても

“だいじょうぶ”というだけだった。


冗談を言う雰囲気でもなく、しばらく成り行きに任せていたが

別の用件で呼び出して別室へ。

何かあったのかとはなしても“だいじょうぶ”だけだった。

俺もしつこく聞いたら、最近体調があまりよくないので

病院で検査してもらったら、深刻な病気らしい。

俺はこの国のことばが長くいる割りにぜんぜんだから

どういう病気かを聞くことができなかったし、

そういう雰囲気でもなかったけど。

彼女は泣きながら、体を、手を、振るわせて“I do not want to die.”と。

映画を見てるより、客観的な感情で彼女を見ている

どうすることもできない自分がいました。





ビザビザ更新のため、3日ほど国外脱出、ほんとうはもうひとつの国に行って
旅行かたがた1週間ばかしゆっくりしようかと思っていたが、出発の日に生徒がやってきて、生徒の住む村の惨状を涙ながらに語った。

彼女は、強い女で理にかなわないことはそれがなんであろうと断固として曲げず、自分が思い描いたことは、どんなに辛くてもやり通すそんな子だ。
といっても、もう20代後半にきてるけど。

それも、普通によくいるようなしっかりした子ってのじゃなくて、理にかなったことを言い、それについて違うことを言えば、それがなんであれ誰であれ納得するまで納得を得ようとする。そのまじめな姿は修験者のようでもあり、思春期をそのまま引きずってるもののようでもある。

さしずめ綺麗じゃないジャンヌダルクか。(すまん)

そんな彼女の田舎の村が、町から遠く離れて支援の手は届かず、政府から支給されたものといえば、一人当たり300円とプラスチックの安いトタン屋根が数枚だけ。
少し大きな町からの交通手段は船。小さな船で5時間ばかし行かないといかん。
そのため、村にたくさんいる妊婦たちは、病院で出産することもできず村で運を天にまかせ出産せざるを得ず、不幸にしてその運をつかみそこなったものは、母子ともどもこれ以上の苦痛があろうかという状態の中、生を断。
その他、その他。

ということで、急遽その村に出向いて、しっかりこの目で見ようと思いビザの書き換えを早めにして帰ってきた。
 まだ外国人が入っていないところ。

昨日の夜は久しぶりに国外で日本食。チーズかつ定食と生ビール2杯、むろん飯大盛りお変わり2杯。
 
この国に帰ってきてやっぱ蚊が多いわ。か