もう先月の話になってしまいましたが
今日は定例の通院記録とある本についてφ(.. )
ここ1年ほど定期的に血液検査をしています。
11月の初頭、3カ月ぶりの病院。
血液を採取してから受診までちょっとあるので、時間をつぶさねば![]()
ちょうど読みたい本
があったので持って向いました。![]()
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有名すぎる名著、V.E.フランクルの『夜と霧』
大学時代にたぶん買ったと思うのですが、結局読まないまま
引っ越しを繰り返すたびに、いつか処分したのでしょう。
今年になって、妙に気になり、読みたくなったので蔵書を探してみたのですがみつらかず。。
結局、いい機会だからと本屋で新しく買い求めました。![]()
新訳ではなく、古い版(資料編こそ読みたかったし、内容が内容なので読みやすさより重厚な硬い文体の方がしっくりいったのでこちら にしました。)
待合室で順番を待ちながら、ゆっくり本を開く。
描かれている情景と、時代背景、数字の規模が、現代の日本に生きる身としては非現実的すぎて
ともすれば紙面に書かれた単なる1行2行の描写に成り下がり、スッと読み過ごしそうになります。(内容は…省略しますね)
でも、そのたびに深呼吸し、あえて情景を思い浮かべながら読みました。
広大な収容所と広がる情景。
多様な立場の人間とその表情、心情――
前半の資料編だけで気分が悪くなりました。
ときどき休憩しながら読んだにも関わらず。
そうこうするうちに、テンション下がった状態のまま診察室に呼ばれ、聞きたかったこともあっていくつか控えていたのですが聞く気分にならずw
その日は先生の都合で時間が押していたこともあり、いくつか確認しあってお開きとなりました。
若い頃の自分であれば、この気分を数日間引きずっていたでしょうが... ←間違いない![]()
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そのとき頭に浮かんだのは、何をすればいいか、ということでした。
まず、食べよう。と思いました。![]()
最悪の情景にさらされていましたが、生きている者は食べなければならない。
そして、歩こう。と思いました。![]()
その辺はあまり知らない土地だったので、結局1時間超散策して、いろんな景色をみて、
疲れて、焼き肉を食べて帰りました。
心にショックが起こったときは、体を酷使し、よく食べ、できるだけ多くの、新しい、様々な種類の視覚・感覚情報を重ね、よく寝ると良い気がします。(観に行く景色も一種類より複数。行動も単一より混合=映画を2本見るより、1本みて、あと1本分の時間は新しい場所に行って体を動かすなど)
こうすると、あくまで私の場合ですが、ただ休むよりもずっと心の回復がはやいです。
ショックの“傷”はたしかにあるのですが、その上にたくさんの視覚情報や喜楽の記憶を重ねることで、少し緩和されるのかな?参考まで(^-^)
・・・
翌日、読了。
後半のフランクル編は、フランクル本人による体験記です。だから、資料編以上の覚悟をもって頁を繰ったのですが... こちらの方がつらくなかった。
それは意外な読後感でした。
資料編では俯瞰した全記録を前に気持ち悪くなったけれど、
一囚人で、一心理学者の経験をとおしての文章は、経験や事実量がまず圧倒的に少ないのが救いだった(当たり前ですが)
でも不思議な感覚にとらわれた。
一人の経験なのに、中へ、中へ、…精神の深みや信仰に昇華されていく過程の絶対量が、資料編の圧倒的多数の情報量にひけを取らないほど、心を埋め尽くしてくれたからです。
そして懐かしさに似た感情。。次元が異なりすぎる話なので、こういう気持ちがわいてきたのが不謹慎というか動揺したのですが、遠くの木に心情を重ねる描写等には幼い日がフラッシュバックしました。生存権を奪われていたという意味で近似した瞬間もあったのか
資料編から、とおしで読んで良かったと思う。
人の尊厳、気高さと最低さ
神と偶然と必然と人の心理
お腹いっぱいだけれど
また読むかもしれない。
筋は知っていても読むべき本というのはあるけれど、夜と霧はまさにその類の本でした。
・・・ちょっとGIDとは外れてしまった感がありますが
でも、人の尊厳とは何なのか、今こうやって生きていることがどんなに素晴らしいことなのか、結局人間なんて良い人も悪い人もいるよねw 等々、再確認する作業はGID当事者こそ求められるような気もします。
変に卑下したり、不幸自慢したり、社会(世間)に過剰に左右される人間にならないためにも![]()
長くなったので、通院記録はまた次回m(_ _ )m
いつも読んでいただきありがとうございます![]()
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