リーダーシップ白熱教室 「変える」ということの意味 | GID memory

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FTMTSのGID関連ブログです。戸籍訂正が済んで、当時の気持ちを確実に忘れてしまいそうなのでここに記録しておこうと思います。
タイ滞在記ほか

みなさん、こんばんは!

いつもお読みいただきありがとうございますニコニコ

いいね!も毎回素直に喜んでます音譜←単純な人です。笑


今日は、少し前みたテレビのことを。ちょっと思うところあって書き残しておきます。

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NHKリーダーシップ白熱教室

ロナルド・ハイフェッツ教授(ハーバード ケネディスクール)

http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/leadership/archives.html



二週連続で拝聴。11/29、12/6。

真をついていて面白かった。4回目以前は見過ごしてしまいました(泣)


第5回目の内容で


何かを変えるということは

その変化の相手に、

今まで信じてきたものを捨てることを強いる。説得すること。


というくだりが何度も出てきたのだけれど、

そう。そうなんだよ!と深くうなずくことが多かった。

そして、そう思っていない人が多いということを再確認できたことが、私の収穫だった。




人と人の世に「正解」などない。

「正解」がある、と思い込むと、いろんなことを見誤ると、私は思っている。

「私が言っていることは正しい、だから、あなたもこうすべきだ」では、同質の者、うまくいっても近似的な者までしか仲間にできない。まったく異なる性質・価値観・背景の者とは、本人が無自覚なまま下手すると敵対の道しかない。




性別にしてもそう。


私は、完全なジェンダーフリー社会(性規範をとっぱらった社会)などありえない、実現しないと思っている。


なぜなら人間は、生物・動物だから。


生(生殖)の連鎖の果てに存在するのが我々だから。


――たとえ、己が血をつなぎ、次の世代をつくれなくとも。




民主主義の原則が、多数決と、それを補足するための少数意見の尊重だとしたら、

ジェンダーフリーは、あくまで少数派の権利擁護の範疇なのだと思う。


多数派には、なりえない。


それは、忘れてはいけない事実。


そして、何かを変えるときも――

“その事実”に立脚した戦略をたてなければ、

「差別差別」=守って守ってと言いながら多数派を攻撃するような醜態に、

そして、暗黙のまま多数派からの心を失うようなことに、なりかねない。。


そんな愚かな道だけは、歩んではいけないんじゃないかな...



何かを変えるということは


その変化の相手に、


今まで信じてきたものを捨てることを強いる。説得すること。



FTMの嫡出子訴訟の結果によって

今まで信じてきたことを、捨てることをしいられている人は、きっとたくさんいるのだろうから

それを、私たちも、忘れてはいけないのだと思う。





埼玉医科大が答申を出してくれたときもそうだった。特例法ができたときも。

感謝の気持ちと謙虚さとともに、いつまでも、今日の日を忘れずにいよう。