(独り言)
いつからか
私の中には小さい男の子の存在があった。
子供を産んだのかって?
そうではない。
ときどき、本当ときどきだが、昔の子供時代の自分を思い出す。
自分に子供がいたら、絶対男の子だったと思う。「どっちがいい?」と聞かれて考えれば、奥さん似の女の子がいいと思うわけだが、なぜかもしちゃんと子供をつくることができたら男の子だっただろうと思うのだ。
息子と、自分自身
投影してしまうのだろうか
小さい男の子が
膝をかかえて
校庭を眺めている
そんな情景が、何か月かに一度、浮かんだ。
大人である自分は、少し離れたところから、それを眺めることしかできない。
ただ眺めているうちに
無性にグリグリしたくなる
今思うと、大人たちがなぜあんなに構いたがったのかわかる気がする
触ろうとすれば、すっと避け
でも、完全に見えない場所まで行ってしまうのではなく、少し距離をとった場所でちょこんと座る。おぎょうぎよく。
しばらくはこっちを警戒しているけれど
何も危害を加えないことがわかると
少しずつリラックスして
また、自分だけの世界に入ってしまう
小さな背中
猫っ毛な
歳に似つかわしくない視線。
そんな子供だった。
年に一回とか二回とか、下手すると全然考えない年もあっただろう
でも忘れた頃に浮かんでくる情景
彼を背中から思いっきり抱きしめたら、自分自身が救われる気がしたのかもしれない。
恵まれなかった幼少時代、長い冬の時代
その想像の子供、心からの笑顔を見るためだったら、私は何だってしただろう
タイから帰国して、患部の痛みが落ち着いてきた頃ふと
(ああ、もう子供は絶対に得られないんだな。)
何年か前、卵子の冷凍保存について結構マジメに調べたことがある。もう忘れてしまったけれど、現実的ではないという結論に達し、諦めた。
そのとき、体外受精で、代理母で、誰かに産んでもらえないかと、ほんの一瞬だけ頭をよぎったことがあった。
誰か、友人にかたっぱしから声をかけたら。
代理母って有償で引き受けてくれる人がいるのだろうか。
腹だけ借りる気はない、子供を産んでくれれば心の底からの感謝で、母子ともに一生面倒を見る。
そんな思考が一瞬頭をよぎり、馬鹿馬鹿しいと首を振った。
勿論皆に声などかけなかったし、代理母の相場も調べたりなんかしなかった。
いろんな考えがあるし、答えがあるけれど
私にとって人生は、シンプルがいい。
もう十分複雑だから
ただ帰国して、あの男の子にはもう絶対会えないのだと思った夜
一晩だけ丸まって、少し泣いた