サブタイトルは、性自認=生き方ではない理由。様々なファクター、です。
前回記事 「セルフ・アイデンティティ(自己同一性)のなかのジェンダー」では、研究分野の課題という視点で書いてみたので、今回は当事者視点からやわらかい言葉で書いてみます。
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みなさんは、
性自認=生き方だと思いますか?
つまり、FTMなら男として生きる。
。。。
性同一性障害と思った人にある迷い
臓器に腫瘍ができた、とか
足が折れた、とか
そういう物理的な、目に見えるものではないから。
頭の中にあることだから
心の中にあることだから
この「迷い」、「悩み」という言葉
当事者のなかではごく普通に使われます
「迷い」と聞くと、すぐ「性別違和に迷いがあるのかな?」と思いがちだけれど
そうではない。
このブログでは何度か触れていますが、生きる道を選ぶときに決め手となるのは、何も性別違和の強さだけではないですよね。
(但し、苦痛が非常に強い者の場合、本当は選択の余地がないのも事実だと個人的には思っています。)
その性別違和だって、身体的な性への違和もあれば、社会的性の違和もある。
「体と心の不一致」にしても、一人でいても勝手に本人の内から沸き起こる動物的な違和感もあれば、社会を介して募る理性的なものもあるでしょう。
原因も、TSが主訴とする生物学的要因もあれば、
きっとそれだけではなく、人によっては心理的・社会的要因もあるのだと思います。
そんな、性自認、性別違和といったものを基礎とおきながらも
本人の「人生」。
どう生きるかは、本人次第です。
性別違和の重軽やその内容は、人生の根幹にかかわる大変重要なことです。
しかし、それだけで生き方が決まるわけではない。
自分は何者である、というセルフ・アイデンティティ。
男(女)として、あるいは性を超えた存在として――
どう生きるか影響を及ぼすファクターとしては、
性自認、性別違和の苦痛の程度以外にも
・ジェンダー観
・本人の性格、気質
・宗教観、倫理観
・信念、人生観
といった価値観もあるだろう。
・健康状態
・経済面
・家族(親子、配偶者)関係
といった条件や他者との関係性も影響を及ぼすだろう。
つまり、性自認=生き方では必ずしもない。
変化するものもあれば変化しないものもあり、本人の問題もあれば他者が関わってくることもある。
様々なファクターが、からみあい、その人の人生の選択に深い影響を及ぼす。
そして、(先のニュース の話ではないけれど。。)心のなかで起きていることは、時間がたてばたつほど、きっと複雑に絡み合い、それがどこからくる苦痛だったのか、外因だったのか、内因だったのか、、元々の性別違和は何だったのかもわからなくなっていく。。
自分自身の人生を、どうするか。
そのなかで、自分の性別違和をどう位置づけるか。
ある者は、治療の道を行き
ある者は、未治療の道を行く。
性別違和が振り切れて強烈な苦痛がある者は、自●願望が高まったり、性格が捻じ曲がったり、自分の本心を見失う前にはやく腹をくくって人生の決断をした方がいい。
(「いつ」と、時限を設けることで、今すぐにそれが実現できないとしても、数年がんばることはできるものです)
でも実は、性別違和が強すぎない者でも、できるだけはやく人生の決断はした方がいいのだと、最近思うようになった。
人生の決断は何も治療の道だけではない。治療する道、治療しない道だけではなく。「あいまいで行く!」という選択肢も大いなる決断です。
まあ、決断とともにその道を進んだとしても、人生何があるかわからないわけですが。σ(^_^;)
運命に巻き込まれて自分の人生を歩めない人間は世界にどれだけいますか?今あなたが悩んだり逃避したりできるのはある意味では幸せなのかもしれないです。m(_ _ )m
不本意な人生を送らないために、できることからひとつずつ
やっていけるといいですね^^
おわりに![]()
性同一性障害はステレオタイプだけではない。
性別違和にはその内容も、程度にも随分違いがある。
そして性別違和以外にも、「どう生きるか」に影響を及ぼすファクターはたくさんあるから...
複雑に絡み合ったこれらを少しずつ解きほぐそう。
「~すべき」や「外因」の板挟みになって、自分を壊さないように( ´・ω・)ノ(´ノД;`)
内なる声に耳を傾け、どう生きるかを考えるとともに、生きる自身を受け入れ、赦そう。
せっかくこの世界に生まれてきたのだから
人生を謳歌し、自分自身を幸せにしてあげたいですね(*^ー^)ノ