まあ、世の中にはデリカシーもなくズケズケと簡単になんだかんだと聞いてくるバカが居るんだな~と思った動画
出だしからのそもそも「アルビノってなんですか?」などと訊ねるのもバカ臭たっぷりだし
そっから先もズケズケ訊いて来るようなデリカシーも無いバカってのが世の中居るんだな
昭和の頃ってさ
前にもブログに書いたけど
生活圏の身の周りにいろんな人がいました
きっと今の時代よりも目立つくらい
いろんな障害を持った人
そして今ほど障害者福祉も充実してなかったと思います(子供だったので知りませんが)
生まれつき障害がある人も居れば
当時は戦争帰りで手や足が無いような人がまだ40~50代でしたからね
アルビノのオッチャンも居ました
そのオッチャンもほんと白かったんですよ
当時オレも小さかったので親に訊ねた記憶があります、すると「アルビノ」だって教わった(当時は「白子」と言うほうが一般的だったけど)
今では影も形もない当時はあった漁協の前によくテーラーに乗ってやってきては漁師たちと仲良くしゃべってた記憶があります
当時なんて
漁師の家には軽トラすら持ってる家は珍しく、皆「リヤカー」で仕事してました
嫁や子供が港までリヤカー一杯の「ながの(長縄)」を積んで港へ、漁協の船が佐世保から戻れば冷凍サバや冷凍イカの餌を取りに漁協前へ、そしてそのまま港の石垣の階段に皆が集まってイカやサバのハラワタ出し、そのハラワタが港にたくさん浮いて空にはたくさんのトンビが腹を満たし、沈んだハラワタにはたくさんの魚たちが集まる・・・そんな活気のある風景がありました
今じゃ、港は死んだも同然ですがね
百姓の家にも軽トラひとつありませんでした、百姓の家はもっぱら「テーラー」
用事で船乗って佐世保に渡る時も百姓の家は家族がテーラーに乗せて船着場まで送ってくるような時代でした
タッタッタッタッ・・・と時速15km/h程度でしょうかね
当時は普通でしたが、今思うとスゴイ時代です
たかだか40~50年前です
話がまったく違っちゃいましたが
「アルビノ」で、いつもテーラーに乗ってやってきていたアルビノのオッチャンを思い出しました