レトルトカレーといえば
オレ等の世代は「ボンカレー」
「ボンカレー」と言っても「ゴールド」じゃないほうだぞ
王さんの「ゴールド」はあとから出たやつだから
オレはレトルトカレー特有の味がどうにも好きじゃなかった
それは昔から
最近、4個パックってのが売ってますが
目立ったところだと
「ハウス」と「SB」の二代メーカーがそれぞれ出してますね
「プロクオリティ」と
「ホテルシェフ」
パッケージまでうっかりすると買い間違えるくらい似てます
味もなかなか似たり寄ったりな気がしますが
「ホテルシェフ」のカレーが「オレの中の記憶の味」に似てる気がします
「気がする」だけで、もし、当時にタイプスリップして当時のカレーを食うと「意外と違うんだな」ってなるかもしれませんがね
むかしむかし
小さな島で育った「ぎっちょ少年」というか「ぎっちょ幼児」は
たまに佐世保へ親と一緒に「おのぼりさん」していた
当時小さかったオレにとっては佐世保は遠い遠い地
今でもフェリーで直行でも「2時間半」、まわり(ほかの島にも寄る)だと「3時間半」だが
当時の船は当然のごとくもっと遅かった
現在就航中の「フェリーいのり」1,400トン
スタンダードの2等客室
島民も減ったので大概はガラガラ
有人の国境離島の補助金が無けりゃとっくに船の航路など維持できない
しかし、昔から思えば、この2等客室は天国のようです
これが当時の船
車も載せられない400トンほどの小さな船
当時、新しい船とは思わなかったが進水から数年しか経ってない新しい船だったんだな
客は、戦後の引き上げ船のように(乗ったこと無いが)船底に下って行ったペンキ臭というかオイル臭というかやたら臭い客室だった(その臭いでまず酔ってたんだがね)
島は今の3倍は人口も居るような時代に今のフェリーよりも小さな船が就航していたんだから、大概は満員
横になるのさえ気を遣うような客室で佐世保までをガマンした
小さい頃はオレは病弱だったし乗り物酔いも酷かった
船はもとより車もダメだった
佐世保は「苦」の先にある都会、と小さなオレには思っていた
そんな佐世保に行った時に(大概はお袋と一緒)(親父とチョロチョロした記憶はない)
メシを食うんだが
小さかった頃は、決まったように「カレー」と言っていた
それをお袋が「こんなトコに来た時くらいウチでは食べられないものを頼みなさい」とよく言ってたのを覚えてるが
「ウチのカレーとは違うやん。味も違うし、色も黒い。コレが食べたい」と言って頼んでいた記憶がある
二階席に料理を運ぶエレベーターがあってね
「さすが都会は違うな~」と島の子供は思ったものです
オレが佐世保で(有)KAMIKAZEを立ち上げた頃はまだやってたんだけどね
その後やめちゃったね(まだ表の回転焼とレストランだった頃)
今は「回転焼」のみになってしまいましたが変わらぬ味です
佐世保は佐世保バーガーばかり有名ですが
一休の回転焼、ラビアンローズのサンドイッチ
そんな小さな体で苦痛の「おのぼりさん」の末に辿り着いた佐世保で食っていたカレーに似た味なのです
これまで普通の皿で食ってましたが
いや・・・なんか違う・・・
昭和らしく、せっかくなら「ステンのカレー皿」で食いたいと思い
ネットでポチッとな
届きました
何千円も出すのはちょっともったいないと思い安いのしたら
なんかエッジが効きすぎだし、プレス工業製品感がキツイ
早速、食ってみた
うん、やっぱ昭和レストラン風のカレーならステン皿で食うに限る
「おうちのカレー(バーモントカレー)」は普通の皿ね