オレの手元にある写真ネタが尽きた | ぎっちょ31  

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蒼き時代より共に生きる

先日3月31日に

お袋のトコの週イチ面会に持参した「記憶の劣化を防ぐための想い出の写真」ネタが尽きて来た

そりゃそうだ、正月明けの佐世保の病院に転院で連れて来て以来、必ず週イチで面会に顔を出した際に5~10枚ずつ写真と5回に1冊は新しいファイルも持参し続けた

インデックスが5枚だし、写真用の厚手の光沢紙なのでインデックス5枚分になる頃には60~70枚になるので別ファイルも持参する

 

1月から毎週なので、お袋が観て「あ~~」と言うようなネタらしいネタが切れて来たのです

 

親父は、ここ1カ月くらいで、耳が更に悪くなって電話での短い会話「うん」すら聞こえなくなったので

サポートしてくれてる親戚に電話を入れて、親父に「古いアルバムを全部コッチに送ってくれ、デジタル化したらまた送り返すから」と伝えてくれ・・・と頼んでいた(その親戚は筆談で親父に伝えてるのです)

まあ、親父は「耳」が一番足を引っ張ってるだけで、あとは、まあ、90の健康体に近いが「耳がほぼ全滅」ゆえに、喋ろうともしなくなったし、近所の人も話しかけようともしないし(まあ、ご近所自体がほぼ居なくなってゴーストタウンのようになってるが)、再来週に佐世保の皮膚ガンの手術後の「半年後検診(医者は3カ月ごとと言ったが90の年寄りがやっとこさ船に乗って佐世保に来るのに、そう度々じゃキツイ。そもそも90の年寄り、ガンも出来るだろうし、たとえ再発しても若いモンのように半年で手遅れなど進行もしないハズ。もう90、再発したなら再発したでガンと共に余生・・・と思ってると伝えてる)

だから、再来週の佐世保の検診の際に「もう来るのも大変だから、こんかいを最後に」と言うつもりでいる

そんな佐世保行きのフェリーに乗っても、もう同世代は死んでしまってほぼ居ない

たとえ知ってる者が同じ船に乗ったとしても、そんな「耳」だ、一人ポツンと船に乗って来る間も「おそらく一言も発することなく」船に乗って来てるハズだ

そうやって、最近では「哀れやな・・・」と言うらしい

 

そうやって「耳」ダメなばっかりに、心が落ち込んでいるので

今回の写真を送る件にしても「もう、いらんけん、送り返さんでよか。そっちに置いとけばいい」と話したそうだ

 

そんなアルバムが送って来た

 

これが、親父&お袋の「人生」の厚みだ

昔は今のように、いつでもスマホで気軽に写真撮影・・・という時代ではない

「写真を撮ろう」は何か、それなりに意識してカメラを持参しないと写真として残ってないし

フィルムの時代、ムダなシャッターは現像代に直結するのでムダ押しはしないので、写真はそれほど残ってない

オレだって若い頃の写真なんて、カメラを持ち歩いた時だけだし、持ってる時にも24枚撮りだの36枚撮りだのだったので昔の人はそうそうシャッターは押さなかった

それでも、これだけの箱数が届いた

 

先日の面会のあとにも

社会福祉士さんと話したが、そろそろ「3カ月」になる

邪魔者のように、言葉を悪く言えば「たらい回し」

それも90近くなって、島から出され、知らぬ病院や施設を転々・・・できればしたくない

 

言葉が悪くなるが

実際問題言うと

「死にどき」はそこそこで逝くほうが自身のためにもイイと思ってる

親父が口に出したように、老いさらばえていくのも「哀れ」と感じるし

それすら感じないほど、人の世話にならないと生きていけないし、脳すらまともじゃない

それで「日々」は、キツイと思う