へっ!?
ミハエル・シューマッハも「冬」のウィンタースポーツで大事故をした
一命はとりとめたにしても
脳死だの、植物状態だの、ジェスチャーでの意思疎通はできるだの、様々な現在の状況が飛び交っている
元のような体に戻ることは無いのだろう
スピードスターだった頃
ケン・ブロックも「冬」のウィンタースポーツで命を落とすとは
スピードスターは「冬」に・・・なのか??
いつ、死んでもおかしくないようなドライバーであっても
クルマでは死なない
でもさ
オレも今くらいの「歳」になっていろいろと思うことがある
ましてや、自分の親も老いて、まともじゃなくなって、入院こそしてない親父であっても
脳がついてこないのだろうね、二言目には「わからん」と言うし、いろいろ言うと逃げる
そして、先月、お袋の手続きで数日帰っていた時も、耳がほとんど聞こえないから、オレにも話しかけないし、稀に話しかけてもオレが応えると「あ?」「は?」「わからん」
そして、毎日何をするワケじゃなく、見ていると、ストーブの前で寝てる&ジャンバーは熱で変色している、それを親戚のおばちゃんが「ほら、服が燃えるばい」って言うと「よか、よか」と鬱陶しがるし、はらかく(怒る)
毎日、毎日、そんな日々
朝7時半に起きてきて夕方5時半には寝る
食事は、味噌汁を鍋一杯に作る(若い頃には「味噌汁は味噌や豆腐を入れてグラグラ煮るな!うもーなくなる!(美味しくなくなる)」と言っていたのに)、味噌汁として仕上げてしまった後に卵を2~3個落として、その卵が固まるまでグツグツ煮る
ご飯も1人だろうと4合も炊く、それも食べるのは自分一人じゃなくオレが帰ってる時も自分の好みの水を2合ほど多めに入れたビチャビチャのメシを炊く(ボタモチの中身のよう、「はんごろし」のように粒すら消えかけたメシ)、ダンゴのようなメシをオレも帰ってる間は食べた
オレも硬いメシは好きじゃないが、粒すら消えそうな「はんごろし」のようなメシは好きじゃない、親父も若い頃は当然ながら自分以外が食べるメシなので遠慮する「頭も働いていた」が
ジジイになるとそんな頭は当然ながら働かない
ちょっとゴチャゴチャ言うと「わからん」とか、イライラしてはらかく
そして、一人であろうと(オレが戻ってる間は二人で食うので多少なり食う期間は短くなるが)4号の米を食ってしまうまで(おかゆの手前のようなベチャベチャメシなので量は5合とか6合近い量)、保温のメシを食う
食ってしまう頃には「ねまり臭い(腐りかけた臭い)」メシだが、それを親父に言っても、鼻すらまともじゃないので「知らん」と言うし、「保温メシなんかマズかろう!?炊いた時にタッパーに入れて1食ずつチンしたほうがメシが美味いやろ!?」と言っても「よか!」と鬱陶しがる
味噌汁も1人でしか食わんのに鍋一杯作り
朝それを食べ、昼にはまたその味噌汁をコンロに火をつけ温めて食べる、夕方にも同じ味噌汁をグツグツ温めて食べる
翌日にも当然残ってるが、入れた卵が無くなればまた卵を1個2個落として、それが黄身まで固まるまでグツグツ煮るてそれを食べる、まるで味噌煮込みだ
ご飯&味噌汁以外は刺身がちょこっとあればイイ
逆にそれ以上あってももう食えないようにもなってしまってるようで・・・
何度温めた??それも毎回グツグツ煮るほど温める、味噌汁は煮詰まり濃くなり、それでもグツグツ煮るし卵を新たに落とす
鍋の味噌汁が無くなるまでそれを続ける
でも、これで味噌汁に卵も落としてないのなら栄養失調だろう
味噌汁に落とした「卵」が最低限のカロリーを与えているとオレも考えて、何も言わない
日々
何をするワケでもないし
集落には、目上はもちろん、同級どころか、年下も居なくなって、近所を歩いても誰も居ない
たまに誰かに会っても話しかけても成立しないから、話もしない
オマケに真冬になると外は寒いので外に出ない(体温調節もできないようで、すぐに寒い寒いと言う)
なので、1日中ストーブの前で寝てる
それも「熱さ」も鈍感になってるのだろう、ストーブの目の前でジャンパーが変色するほど焼けても寝てる
だから親戚のおばちゃんから「火傷するばい」と注意されるが「よか!よか!」と鬱陶しがってはらかくという流れ
オレは何も言わんようにしてる
もし、そうやってストーブの前で寝てて、服に火がつき
その場で焼け死なないにしても、それが元で寝たきりになったり、命が縮んだとしても「それは貰うた命の範疇」と思うようになった
「火傷するばい」と注意されて「そうやな」とまだ行動でき、火傷を回避するうちも「貰うた命の範疇」なら、それすらワケわからんようになってたとえ言っても、言う通りにしないし逆にはらかいて鬱陶しがる者に、酸っぱく言って・・・何になる?
本人はもうすでに嫌がってるのです
子や、周囲の者の言う事すら聞けない&理解できないようになって、たとえばストーブで火傷して死ぬのも「貰うた命の範疇」と思う
じゃあ、もし、たとえはらかかれようとも、機嫌が悪くなろうとも
無理やりストーブからエアコンなどの火傷の心配のないモノに換えたりして
例えば、ストーブが原因で90歳で死んだ者が、ストーブを無理やり捨て去りエアコン生活に変えさせたことで92歳まで生きた・・・としたって、それが何になる?とすら思う
そもそも、昭和一桁の人間だ、今更「エアコンに変えたけん、寒か時にはコレば点けれ」と言ったって、やるワケがない
「ストーブは?どけやった?」としかならないのは目に見えている
ハナシの前置きは長くなったが
こんな状態で90歳や95歳、100歳とか生きて
そこにどんだけの意味があるのだろう?と思うようになった
自分も年を取って来て
まだ、頭も体もマトモではあるが
いずれはどっちもマトモではなくなってくる
それは「自分の親」を見てれば明らかな事実
オレも日々、そんなベクトルに向かって進んでるのです
そして、そんな親をここ数年見ていて思うことが
オレはこんななるまで生きていたくない
80歳のオレって、一体どんなになってるか想像はつかないが(いろんなパターンがあるしね)
その歳まで生きたって「そこに何がある?」とすら思う
いやね、たとえば「子」が居て
その「子」に「子」ができて
「孫」の顔を見たい、とか「見るまでは」などの何かしらの「思い」があるなら「長生き」の意味もあるだろう
それ以外でも80になろうが、90になろうが、頭も体も傷みは少なく、何か日々を楽しみに生きているんなら長生きの意味もあるだろう
オレが役場職員だった時は、ブログでご存知の人も多いだろうが
やめる前2~3年は福祉係に居た
そんで、以前も書いたように急遽「介護保険」スタート1年前に担当に変えられた
それ以外でも、年に一回、現況調査というか、島外施設(特養や養護ホーム)に入所してる島の爺さん婆さんに町長の見舞金持参で現況調査に伺う仕事もやった(本来は別の担当者なのだが、根っからの島育ちの職員は「都会は運転する自身が無い」とか言って、「山田くんが行ってくれんか?」となるのだ、信じられんだろ?ましてホーム関係の施設は電車やバスなどの公共交通機関ではアプローチがしにくい山の中などの街中から少し外れたトコにあることが多いので、佐世保に着いたらレンタカーを借りて10施設や20施設ほどを県内&県外を回るのです)
そんな仕事をしていても、訪ねる先々で「特養」は介護度の高い者が入る施設、ようは体も頭も、マトモじゃなくなった者ばかり訪ねていくワケです
オレもオレなりに色んなものを見てきましたが
この爺さん婆さんたちは「生きている意味があるのか?」とすら感じた
なんもワケわからんようになって、日々理解不能な行動ばかりし、施設の者に日々迷惑を掛ける毎日
もし「意味がある」パターンがあるとしたら、コレもこれまでいろんな家族も見て来たが
「親の年金をアテにしてる子」や、「戦没者の親で金をたくさん貰ってる者も多かった時代なのでその金をアテにしてる子」など
親に死んでもらっちゃ困るので、脳ミソは壊れてしまって人間じゃないような日々であろうと、身体も限界で心臓が止まりかければ薬で動かす、息すらできないならチューブでつなごうとも息をさせる、体じゅうチューブや点滴でつながれながらも「生かされる」
「死ねない」ことも不憫だと思う
こういうハナシだと大概の家族は「延命措置は結構です」という家族が多いかと思う
しかし、じゃあ、「どっからが不要な延命?」とも思う
先月、オレのお袋が救急車で運ばれた
もし、救急車などの対応が遅れたら、死んでいたかもしれない
そしたら「そこが寿命」だったハズ
でも、救急車で運ばれ島の診療所に入院して薬を投与されたら、心不全も落ち着いてきて、今では急に容体が悪化して死ぬようなことはまず無いと思われるような状態になった
しかし、そこで、拾った命の「せいで」とも言えるかもしれんが、死なずに命が伸びたがばっかりに、本来ならたとえば12月段階の痴呆の具合が10段階で「7」だとしたら、命が伸びたがばっかりに「8」とか「9」に「ただ進行するだけ」になる
ますます「母」が「母」でなくなるだけの「時間」
この「時間」を得て、母に何になるのか?とも思うし
残った家族の何になるのか?とも思う
心臓は動いているかもしれないが「母」は「母」では無くなってる
だから、オレもアラカンになって余計に思う
「長生き」ってなんだ?
決まり文句のように年寄りに「長生きしてね」ってよく言うが、長く生きればそれでイイのか?
20歳や30歳で死ぬのは流石に早いと思うが
オレも今の歳になったら、もし、死ぬようなことになっても「仕方ない」と、もう思ってる
逆に、ワケわからんようになって、周囲に迷惑しか掛けないようになってまで、心臓を止めないのはイヤだな・・・とすら思う
最近思うことは
まだ頭も体もマトモなうちに、自ら命の調整をしたほうがマシなんじゃ!?とすら思う
ケン・ブロック、55歳
よぼよぼのジジイになる前に、幕を下ろした(下ろせた)のも
考えようによっちゃ「良かったかもな」とすら、最近思う