雪見だいふくが好きだったあの頃は
季節も情緒もわからず、毎日を短パンで過ごせてて
そこらじゅうに広がる田園風景と灰色の背の低い空があればよかった。
僕が地元を出るまでセブンイレブンなんて便利なものもなかったから
5km先のスーパーまで地元民はこぞって車を走らせた。
山口県のみらしいオレンジ色のガードレールに座って案山子とにらめっこしてたらいつの間にか好きな子が隣にいたり、
野犬の喧嘩を見つけて目を追ってるうちに日が暮れてたりした。
朝4:00なんて、年に1回あったスキーの日の朝以外起きてなくって
ローカル朝番組を見る機会もその時の特別なものだった。
広島まで運ばれてる途中に必ず決まってあのローソンに立ち寄って
何かおなかにたまるものを買いなさいと言われて手に取ってたのは雪見だいふく
馬鹿やってんじゃないのとシーチキンおにぎりに持ち帰られたあの感覚は忘れない。
いつかの思い出に浸ってあのころはよかっただなんだと
爺臭いことは後ずさり以外の何ものでもないから好きではないけど、
たまたま松屋の帰りによったコンビニでふと食べたくなって買って、懐かしくなっただけ。
感傷的でも別にないけど文字にして表すと残り香が海馬を襲う。
辛いけど、癖になってるからと、放置気味にする悪い癖。
耳をびたんと叩くと視界がぼやっと揺れるくらい寒い時期
店の外に出た瞬間口からこぼれ出した白い小さなもやが、
悪戯に僕の海馬を触っただけなんだね。
そうさ、きっと。
難しい熟語や複雑なカタカナとか用いて会話ができ始めて
物事をより具象化しようと努力してる昨今だけど、
好きなもののなぜ好きになったかを詮索するのは馬鹿馬鹿しいし
キライなものをなぜキライになったかを詮索するのは億劫だ。
昔の、その感覚的抽象的視野を恐る恐る思い出しながら
ぼーっと、してる。
今、ちょうど4:44になった。
どこかの旅館で親戚のおじちゃんが、部屋を暗くして「学校の怪談3」を見てて
怖いものが苦手だったリトルアナンくんは布団に顔をうずめてただただ早く終わってほしいと望んでたの。
気づけば朝になってて、
その間に、おじちゃんが化け物と入れ替わってしまったら、
はやまた、僕自体が違う世界に飛ばされたら
なんて怖くなって、朝食に出された目玉焼きですらびくびくしてたな。
いまだに、4:44にはなんだか特別な感じがある。
この時間を過ぎて起きてると、陽が昇ろうが夜の感覚が足枷のように働く気がして、
おぼつかない足取りが加速して一日をめんどくさくする。
この季節の東京は、
排気ガスのおかげで暖かい。
息苦しい街の中でめいいっぱい深呼吸すると、どきどきする。
不安と好奇心でいまだにどきどきする。
さて、
誰かの寝顔ができるころ、誰かは寝癖に気がついた。
夜。