一日も欠かさずに
幸せになることへの疑問を感じる。
どうすれば人は幸せになろうと
自分に問いかけ続けるけど、
未だにその答えを見つけられない。
答えを見つけ出せないのは、
不完全人間にとっては
当たり前かも知れないなど
勝手な言い訳を無理やり
自分に言い聞かせたりしたけど、
それでは、心が空しくなるだけである。
去年の夏、
偶然、見つけた誰でも書けるブログ欄に
何となく、ブログを書きながら
何となくだけど、
探し求めえた答えを探し出せたような
気になっていた。
しかし、
それは紛れもなく
錯覚か曖昧な妥協だったかもしれないと
今になって気が付く。
半年の間、
夢中になって119個のブログを書いた。
少なくとも、
自分の苦しみはそれ以上越えないことが
分かった。
書き終えった時の達成感と
頭の中の数えきれない苦しみで
すこぶる不安だった私は、
その数の少なさに
正直、驚いた。
生きることって
誰もが
確かではない世界を
さまよいながら
死に向かうことは知っているけど、
でも、
気が付かないふりをしながら
人の痛みとか苦しみは見ようとしない。
私たちにとっては
何よりも
自分の痛みが一番大切だから・・・。
今までの月日は
痛みを曝け出すための
時間だったような気がする。
求め続けた答えを見つけ出したのではなく、
今まで覆い続けてきた苦しみを
一つ一つ掘り返したことに
過ぎなかったけど
それでも、
私はとても嬉しかった。
正体不明の不安と痛みと苦しみが、
想像以上に少なかったから私は
それなりの幸せを味わったからである。
神様
人が幸せになりたいと望み続けることは
許されないことでしょうか?