今回は、考察として、この週を目安とした雑記となります。この週で桜さんは、一つの転換点へとさしかかります。そして、中盤から後半、そして、終盤にかけて、怒涛の展開となります。
ところで先日、わたしが本ブログの雑記、最後の最後、最終話くらいじゃないかという場面の雑記で、アルセーニー タルコフスキー(映画監督アンドレイ タルコフスキーの父親)の詩を引用しました。
一方、15年前、当時わたしはモスクワに住んでいましたが、その時に、やはり、アルセーニーのこの詩をモチーフに、写真を添えてウェブページに仕立てたものが以下です。
“モスクワ郊外 (Jul. Aug. 2005) *Japanese
http://www5d.biglobe.ne.jp/~aurora/files/20050813/050813j.htm
※プライバシー保護の為、画像は小さく、また一部画像に処理を施してあります。
この、15年前作成のページは、私の人生の最初で最後にウェブページ作ってみたもの。それがモスクワ郊外の写真集。というか、週末、車で郊外の小さな町まで走り、その公園のベンチでのんびりしながら、または、気に入った場所で車を止めては野山に入り、そして郊外から帰宅後、写真を集めたら、たまたま偶然にもこの詩と符合した、というもの。
ところで、2020~2021年再々放送で純情きらりの初見のわたしですが、その終盤も終盤に近づくにつれ、この詩が閃いて来たのは、先日の、かなり最終週位のその”3”の雑記の通りです。
その時わたしは、この15年前に作ったページを探したのですが、実はわたし自身、もう10年以上も、自分で作っておきながら上記のページにたどりつく事が出来なくて。というのも、自分でわざとトップページ(形だけの)からリンクを切り離している、という仕様にした上に(つまり恥ずかしがりやなんですね)、古いパソコンの廃棄ともに、このページのアドレスも封印されちゃったという。また、いくら検索かけても、なぜか検索に引っかからないという謎。
という事で、今回新たにFTPソフトを再導入し、アドレス解析して(略)今回のこの物語の為に、やっとサルベージしてきました。わたし自身が、このページと10年以上ぶりの再会ですよ。
そう、タイムカプセルを開けた時の気持ちってこういうものだったのか!ホントに。
ところで、15年前の作成の際、それから暫くして、ある方から、このページによせられた感想を頂きました。そして、わたしが、その方(匿名)へのお礼にと返信したメールのコピーが、このページの一番下左のリンク”res01”に残されています。2005年10月14日付で。えらくクソ真面目な文体ですが、これは、まさにわたし自身が15年前に書いたものに相違ありません、ああ、このタイムカプセル感。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~aurora/files/20050813/050813j_res01.htm
そこから引用します。
(引用)------
--様
(略、このページの作成の意図、その種明かし、等)
…ご参考までに映画「鏡」に寄せられた評を以下に転記しますのでご参考になれば幸いです。
“黒澤明が逆説的に語る「幼い頃の思い出が理路整然につながっている筈がない。/ きれぎれの思い出の断片の奇妙なつながりこそ幼い頃の思い出の詩がある。 / そう思って見れば、こんな判りやすい映画はない」という言葉をそのまま受け止めるかどうかは別にして、この映画を見たロシアの女性がタルコフスキーに送った私信には 「あなたの『鏡』には感謝しております。/ 私にもあのような幼年時代がありました。・・・ただそれについてあなたが知っているはずはありませんね」と書かれていた。 つまり一見難解なこの映画の「私」はタルコフスキー自身であると同時にロシア人であり、ドキュメンタリーフィルムから引用される1934年ソ連成層圏飛行やスペイン戦争、 第二次世界大戦などロシアにかかわる歴史的現実を統合する「鏡」という作品は、まさに一個人の記憶を超えたロシアの時代的映画とも言えるのだ。”
(出典「タルコフスキー Testaments by Andrey Tarkovsky / WAVE26」発行:WAVE)
(引用終わり)------
さて、本題に入りますか。
引用の引用からの引用(!)になってしまいますが、”黒澤明が逆説的に語る~そう思って見れば、こんな判りやすい映画はない”。ここが今回のお題の鍵となります。
話は、題記の週での物語の方に移ります。この週で、桜さんはせっかく合格した音楽学校の入学を、家族の為に、辞退。そして、家族の為に、父の形見のピアノまで売り払う、という、極端な行動にでる。
さてそこで、黒澤明監督の言葉を、ここに、すこし替えて当てはめてみます。
この物語は『”音楽家を目指す一人の女性の苦難と成功の物語”ではない、そう思って見れば、こんな分かりやすい物語はない』
どうでしょうか?もし、上記”音楽家を目指す~”のフレーズが頭の片隅にでもあれば、この週で、その想いはスパっと断ち切ってみませんか。もし、そうじゃないと、後々不幸になると思います。
この物語の今回の2020-21の再放送中に、ある掲示板にて、このドラマに対して”話がふらふらして、ドラマの基本設計がない”みたいな感想を拝見しました。なるほど、確かに、そうかもしませんよね、”音楽家を目指す一人の女性の苦難と成功の物語”という視点で見ると。
つまり、今後もそういう視点でこの週以降を見続けると、不幸になると思うのですよ。見解の相違ですから。じゃあどうすればいいのか。
視聴者は、ただ、そこにあるものをただ受け取ってみる。先入観は捨てる。ええ、これから、中盤、後半から終盤へかけて、桜さん怒涛の展開となりますから。
いや、もちろんこの物語は、桜子さんにとっての音楽、というものが、今後も一つのキーとなって進行するでしょう。でも、だからといって、『桜さん、成し遂げたいよね。』『きっと成し遂げるよね。』と思い続けていると、肩透かしを食らい続けるんじゃないかと。
あ、そういえば、終盤あたりで桜さん、プチ成し遂げた場面はありましたよね。あれは桜さんカッコ良かった。
ともあれ、今後も要所要所で、桜さんと音楽が鍵となる場面がもちろん出てきますが、ここはひとつ、この週で頭を切り替えましょう。
いや実はわたし自身も『えーなんでせっかく受かった音楽学校を辞退するの?』『なんで父の形見のピアノまで売り払うの!』みたいに思いましたよ、はい。
しかし、これをもって、頭を切り替えました。
そうすると、ありのままのこの物語の真髄が、その広がりを見せてきます。
そして、もしよろしければ、この物語とともに、わたしのこの15年前のページでの、アルセーニー タルコフスキーの詩の一節でも、もしよろしければ、ですが、たまには思い出してあげてください。
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ところで、この詩、わたしは『えらく奥底のほうから召喚しちゃったかなぁ、好きなんだけどなぁ』なんて少々気にしていたら、なんと、今の世の中、これを含め、アルセーニーの生涯の作品を大量に日本語訳にまとめた本があるのに、びっくり仰天。まあウェブ検索すると出てくると思います。ただ、この”いのち、いのち”に関しては、そちらよりもWAVE版翻訳が個人的には良い。というのも、原文の朗読は映画でも聞けますが、そのロシア語の一つ一つが、ひたすら断定調なんですよ。柔らかい日本語の言葉にしてしまうと、個人的には違和感がある。本の著者の先生ごめんなさい。でもですね、私も、あの雑記で記述した経緯の通り、WAVE翻訳版の最後の2行のフレーズを翻訳しなおした際、詩の翻訳がこんなに難しいとは思ってもみませんでしたすみません。例えば、この原文でこの単語には2つの意味があって、この言葉はあれにかかって、とかいうのを、翻訳では表現しきれない、とか、たった2行でむちゃくちゃ悩みましたよ。はい。そんな翻訳を全部成し遂げられた著書の先生は偉大です。
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そうそう、ところで、わたしは純情きらり本編最終回を迎えた後、その原案本を読み始めました。時間の関係上、毎日少しずつなのでまだ文庫本上巻の序盤なのですが。
ところが、ここでまたまた想定外。読み進めているうち、なにか、この小説と、わたしが冒頭にあげた詩が挿入された、アンドレイ タルコフスキーの映画『鏡』との間の、妙な共通点が。
〇物語が時系列に沿ってない。というかパラレルに進行するのが『火の山』、もはや時間の概念さえ無くしかねないのが、『鏡』
〇どちらも、私的な物語の中に、唐突かつ必然的に、その時々の歴史的事件や出来事が挿入される。
〇監督アンドレイの父のアルセーニーの詩が挿入される『鏡』、一方『火の山」も詩を、というかなんでも挿入しまくり(笑)。
あと、エルゴーデンの所(注1)で桜さんは、マサさんと、八百屋の若いもんに絞めてもらったニワトリの羽むしって白い羽舞い上げますが、『鏡』では少年の母親、マリアが、訪問先の田舎女にほだされて、彼女から渡された斧でニワトリの首スパッ(ただしスパッそのものは写さず)。やはり白い羽舞い上がる。マリアの顔アップの目が怖っ…てこりゃ偶然の一致か。
いやいや、『火の山』の作者のお方も名高い文学者小説家だったら、タルコフスキーくらい観ててもおかしくないよね、というか絶対観てるだろ!という視点で読むと今後の展開が楽しみだ。
まあ、ひたすら自伝的な『鏡』に対して、有森家5代の歴史で人多すぎな『火の山』。両者、内容は違うけど、その”形式”は、なにか似てて、一方、その主題も、何か交差する所がありそう。
ともあれ、これからも何かみつけてやるふふふ!と読んでいくと、きらりの原案本も、ますます面白くなってまいりました。
■注記
注1、わたしはホントはまだその箇所まで到達してないのですが、この時空パラレルワールドな原案本の作者がその気なら、こっちだって時空を超えて、と、その少し先の未来を、たまにはつまみ読みしてます。