ずっと奥歯にものが挟まっていてもしょうがないので(?な方はスルーで)ここに記す事に致します。


物語では、何故、第22週終わりから23週の始まりの間で昭和20年8月15日の終戦をすっ飛ばしたのかについてです。なお、第15週と第16週の間にも2年半の歳月をすっ飛ばしていますが、改めてよく考えたら、この期間には、あの日本時間昭和16年12月8日、いわゆる太平洋戦争開戦がありました。


なぜこれらをスルーしたのか、筆者の考えです。物語の中に12月8日や8月15日が入ってしまうと、どうしても、登場人物にこの事について、何かを言わせたり、行動させたり、感じさせたりせざるを得ない。これらの日が入る以上、避けて通り難いイベントなわけです。


まず第一に、そういう場面が出ると、いろんなシガラミが出てくる。めぐり合わせが悪いと、誰かがイチャモンつけてくる。そして、そうなっちゃったら、多くの場合、作品を台無しに。■注1


第二に、そもそもこの物語での本質と本題からすれば、あの時代にそこにあった現実としての戦争を描くのは必然だとしても、では例えば『あの戦争は…』といわれても、それは関係無いんじゃないでしょうか。まあまるで無関係、とは言いませんが、要は、関わり方だと思います。
だから、物語の中では、そこにあった現実、として真摯に関わるけど、余計な事には首を突っ込まない。それは、不誠実なんじゃなくて、むしろ誠実だから。


さてここまで書いたから大丈夫だろう。ぶっちゃけて言うと、きらりの物語にどんなイデオロギー臭も手垢も無用だと思います。だから、例えていえば、極端だけど、きらりの中での大東亜戦(原案本流に言うと)は、当時の市井の人々ではどうする事も出来ない、一種の”自然災害”だと思ってみれば。


なお、原案本(以降”火の山”)では、日本時間12月8日の開戦を『火山のようなナチュラルフェノミナと違って、戦争は人間がある目的をもって恣意的に始めるものである。』(下巻冒頭部分)との記述があります。そりゃそうです。私の例えは、あくまで例えですから。では、別の例えで”超特大の大道具”かな。


”火の山”では、以降も勇太郎の言葉をかりて記述が続くのですが、事実を淡々と述べており、私の知る限りでは、全くもってその通りだと思います。それに、重要なのは、記述が実に淡々として、そこに”ヘンな匂い”のかけらもない。そこは、文章で表現出来る小説であればこそなせるもの。


しかし、これがテレビドラマという媒体となれば。しかも、某NHKの看板番組枠ともなれば、多くの方々の目に触れる。そうすると、いろいろ面倒くさ(略)


ともあれ、だからきらりでは『出征軍人ノ家』の表札とか、『ゼイタクは敵だ』の看板等々(ああそしてやはりわたしはあの看板に”素”を入れたい)、そこにあった現実は再現するが、余計な事には首をつっこまない。


例えば、23週の序盤、学校の先生の桜さんvsお弁当ドロボウ君の場面。『俺は今でもアメリカが憎い、だからジャズも嫌いだ!』『大人になったら、もう一回アメリカと戦って、カタキ討ちしてやる!』『アメリカの飛行機に俺んちは焼かれたんだもん』というのも、当時そこにあった現実だし。桜さんも、ごめんなさいって謝らないとジャズ弾かせてもらえないし。お弁当ドロボウ君恐るべし。


なお、これと似たシチュエーションは、23集第137話での、達彦さん夜のアメリカ兵との接触編、肩がぶつかり何やコラ、になりかけるシーンですが、これ、重要なシーンだと思います。なぜなら第24集冒頭での、”先週のおさらい”場面でも出てきますからね。さてここはアレと繋がって、というのはまたいつか、かな。お分かりの方には『あそこでしょ』と今はそっと思い出して下さい。


あと、八重さんの件は、あそこ(『わたしの事軽蔑する?』(純情きらり第18週104話) ※グロ注意)で記しました。


また、序盤の薫子、兄の入営/出征見送りの場面で”与謝野晶子バサッ”!も、その後出版社に就職した途端『戦争画描きまくってください』になっちゃうという薫子ハチャメチャぶり(いい意味でw)。■注2


まあ、現実世界の当時も、マスコミもアレなら多くの人達も結構ソレだったそうですから。これらも皆、そこにあった現実だし。そして、このぶっとんだ展開に、世の中の面倒くさいしがらみのつけ入る隙も与えないスタイル。


そう思えば、あの”付け文騒動”から一年あまりで急変、達彦さんとは他人事、みたいな風情の薫子ハチャメチャぶりも、”与謝野晶子バサッ”→『戦争画描きまくってください』へぶっ飛んだ性格設定付けの為だったのではないかと邪推してしまう位ですよ、個人的には。■注3


なお、盧溝橋事件は、物語の中でも出てきていますが、そこは、杏子結婚式、嫁入り道具張りぼて騒動ギャグとのかけ合わせで、最後はマサさんのシメで『こうして、杏子のピンチは、日本軍に救われたのです。』…もはやケンカ売ってんのかコラ(いい意味でw)。


長くなりましたすみません。続きは次回。次はこれを踏まえた上で、改めて、”火の山”との対比、第16集冒頭、第23集冒頭について。そして、それらを改めて見たらさあ大変、等々について述べようと思います。

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■注1:
近年(というか今や昔)での”やっちゃった”例では、NHKスペシャル大河化の『坂の上の雲』ですかね。わたしは文庫版全8巻を2周回読んで映像化を待ってたのに、散々なウヨキョクセツの末に(略)。ドラマ版全13回とも、総論としては素晴らしい出来だった、のに、作中のところどころに明らかに場違いのカットを挿入されるという。あれ、きっと有象無象のシガラミに巻き込まれた製作者が腹いせにわざとやったんじゃないか、とさえ勘繰れるほどの違和感。そして、しまいにゃ”大河”という名前も取れていた様で。それら経緯の全部はよく知らないけど、別に知りたくもないや。


むしろ二次大戦後からまだそんなに経たない頃の、例えば『明治天皇と日露大戦争』などという、実にタイトルそのまんまのすがすがしい映画を作っていた頃のほうが幸せだったんじゃないだろか。筆者のとある親類(戦前生まれ)も、若い頃あれ見て『よかった』と素直に行ってたし。あ~あ、なぜその後の日本ってこうなっちゃったんだかね。ま、いいか。


■注2:
与謝野晶子といえば一般的には”あれ”ですが、この方、第六潜水艇事故に寄せた歌もいくつか残しているようです。筆者は昔、第六潜水艇事故の事を某ミュージアムで知ったのですが、時は流れ、本日4月15日のニュースを見たらびっくり。4月15日のこの事故の慰霊祭の様子が映し出されていました。『?』な方はググって。


■注3:
そして、あの展開からいうと、”火の山”の”誰か”と似てる様な。


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おまけ
『宮城遥拝!』
杏子の必殺技。ニセ愛国少年君達を見破って倒した。(第100回)

…ごめん。
(つづく)