ああっもう無茶苦茶!からあの人が帰ってくると大変な展開になりますが、その前に23週前半で残してきたことを回収します。その流れであの22週『一人で暮らしてみたい』と、最終週の冬吾さんドボンの件も。
まず、キヨシ退場後の3人です。


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『キヨシさんの事はいいけど、あんた、やっぱり誰とも結婚する気はないのか?折角平和な世の中になったんだもん、あんたもこのまま一人じゃ、寂しいでしょう?』


『……………うん』 『わたしは戦争で、人の命ははかないものだと、つくづくわかっちゃったからなあ。』


『桜ちゃん、結婚ていいもんよ。わたしも最初の結婚に失敗して、おんなじように臆病になったことがあるからわかるけど、幸せってね、そんなに難しいもんじゃ無いの。自分の手で、拾おうと思えば、そこにあるもんなの。』

 

『……』


杉笛子 / 鈴村杏子 / 有森桜子 (135回)

 

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まず『やっぱり誰とも…』です。こんなやりとりが度々あった事がわかる。
自分の手で、拾おうと思えば』とまで言われている。

次に、桜さんの最後の所。ほほ笑んだけど返事はしなかった。

 

そこで、観る人は、『桜子、一体何を考えてるんだ?』って。だって人の命ははかない、って、人はいつかはみんな■注1


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■注1:おっと今の価値観で当時をみちゃあいけない。この当時って戦争だけじゃなくても病気で本当に人があっけなくぼろぼろと死んで行ったそうです。そういえば原案本でもいやになるほど…。
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…ここは『一体何を考えているんだ?』でいいと思います。


そこを野暮にも現実的に掘り起こしてみますが、まず、視聴者は、23週の予告編でもう達彦さんは生きて帰ってきたというのが分かります。なんたって週タイトルが『思いがけない帰還』だし。


そうすると、桜さんのほほ笑みは、『いいえ』か『どちらでもない or ごまかす』に絞られてしまう。(勿論『はい』だっていいけど、そうするとストーリー展開上ちょっとね…)。絞られてしまったけど、まあ、いずれにせよ、わたしはこう思ってしまった。『ああ、まだ隠遁(心の中での)を続けるつもりなんだな』と。誰を待つでもなく。


ところで、話を少し戻して、あの22週の桜子の『一人で暮らしてみたい』です。


これも『一体何を考えているんだ?』でいいと思います。


そこをあえて。わたしが思っていたのは、あの時、隠遁、とか、出家、みたいなつもりでああいったんじゃないか。


まず、桜子は山長で万座の席できっぱりと『達彦さんは死んだんです』と宣言する。いやこれ従業員向けの宣言では、と思いきや、その後の冬吾さんとの場面で、それが本音だったと見せつけられます。


その顛末は以下に記述しました。

 

 


しかし、非情な出来事が重なって、図らずもあの人に惹かれてしまう。よりによって笛姉ちゃんの大事なあの人に。それは絶対に許されない。しかし、その許されない想いがだんだん強くなり、なればなるほど…そしてその想いが相手に伝搬してしまって制御出来なくなってしまった。そして、このアンビバレンツに耐えきれずに、『一人で暮らしてみたい』(だれとも関わらない)ときっぱり宣言する。


だから、『なんなの桜子さんきらい』『不純情だわ』といってる場合じゃないと思います。逆ですよ真逆。桜子は苦しみ抜いているんですよ。


『代用教員のあてが見つかって』なんていうのは、そりゃ事実ではあるが、自責の念のに捕らわれた自分の真意に対し、ウソを付く事になる。ましてや、当の笛姉ちゃんの前で言うのは、自分が自分を絶対に許せない。かといって核心は間違っても口には出せない。だから、一人で暮らす(隠遁する)理由を述べる。でも、核心には触れられない。


アンビバレンツに苦しんだあまり、『もう誰とも関わらない』そう決意したからには。そうしたら、あろうことか、桜子の『一人で暮らしてみたい』に対する笛姉ちゃんのの返しが、よりにもよって『…もしも冬吾に何かあって、一人になるような事があったら、わたしなんか、一日も生きていけえへん』だという。

ところで、『一体何を考えているんだ?』でいい。の理由です。

これ、矛盾ですが『感情移入させない』の図式じゃないでしょうか。


創作物の作者って、時に、自分自身の中の核心に近づけば近づく程、どこか一歩身を引いてしまうらしい。何か、例えば、比喩にしてしまう(■注1)。例えば、何を考えているのか、という表現にしてしまうらしい。

 

逆に、どっぷりと主人公に感情移入させる事で、観客が100人いたら100人が同じ共感で感動してしまう、それが過度になれば、”そんなのはもはや麻薬であり(■注2)”、カタルシスじゃないか。そんな過度のカタルシスを否定するというか、自身の核心に迫れば、というか逆に、迫られたら迫れらるほどに、一歩引いてしまう、というアンビバレンツ。要は、例えば、登場人物を、客観的な目で観て考えて欲しい。そういう事なんじゃないかと思います。


うーん。別の例で。桜子の『一人で暮らしてみたい』。自責の念から真意を話しているのだけれど、核心には近づけば近づくほど比喩にしてしまう(間違ってはいない)。


そうだ、これかな。逆説的に言うと、ここで、マサさんのナレーションで『その時桜子の気持ちは…』なんてやる手法も、あるにはあると思います、が、これ、野暮でしょ。


同じ意味で、この物語内では、いくつかエピソードほったらかしが、あえて散らばっているのじゃないかな。別に全てのピースが繋がらなくてもいんじゃないだろうか。だって原案本からして、あの、記憶の中の、そこにあった現実、その羅列、それに各人の日記と、後世での各人の描写での補完、無数のバラバラなピースで成り立っている=細部まで残らず全部、理路整然とつながるわけがない。というか、もし仮に理路整然と全部つなげられてしまったら、それはただの”上出来”なカタルシスになってしまう。


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■注1:”例えば比喩にしてしまう” これの最も典型的な代表例は、昔のドイツの頭のおかしい人が書いた、主人公に『神は死んだ』と言わせる頭のおかしい本。
■注2:”そんなのはもはや麻薬である” 岡田斗司夫氏によるとアニメ作家高畑勲氏の主張だそうです。

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ところで、前回から再度引用です。
八重さんの登場:


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『わたし、戦死の公報を聞いて初めて気付いたの。ああ、わたしはまだ守田の事あきらめていなかったんっだって。覚悟してたつもりだったのに』


野上八重(133回)


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わたしはここの八重さん妙に記憶に残っていました。というのも、『公報が来て初めて気付いた』のです。


ああ、桜子にも『無意識の中』で『一縷の望み』の『残骸』が残っていたんじゃないかと、ちょっと思います。でもそれが何かは、桜子は全く気付かずに。


わたしは以前の20週の記述(上記リンク)で、観る者は達彦さんの生存に一縷の望みもあってはならない、みたいな事を書いておいてアレなんですが。でも、もしあの人が23週で帰ってこなくて、あと何年か、いや何か月かしたら、そりゃ分からないですね。


そういえば、最終週の冬吾さん川へドボンのあれ、わたしは現実の桜子+冬吾の夢ミックス説です。寝台で寝ている桜子は現実(冬吾現れる)で、廊下のシーンだけ冬吾の夢の中の桜子。だって、そう考えると、現実と夢の境目が交錯して、でもシンクロして、お互いが魂で通じ合っているじゃないですか、いい意味で。だから、どっちにしても冬吾は笛姉ちゃんのもとに帰って行く。あとでこの一件の話を聞いた桜子、妙にほほ笑むだけ。


いろんな受け止め方があってもいいですよね。

 

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おまけ

 

原案本”火の山”でのあの人(1)


キヨシ(笑)


わりと序盤から登場。やはりガキ大将!…だが、割と笑えない処遇にされる。


(ネタバレは無しで。楽しいよ!)

 

(続く)