前々回の、ああっもう無茶苦茶!から、つづきます。


(再)勇太郎の現況 by 八重さん:
『えらいわねぇ!こんな世の中なのに志を貫いて』


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夜のCafe マルセイユ。セントルイスブルース。


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『陸軍さん、そこ閉めとくれん。寒くていかんわ。』


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桜子の弾くリストの『愛の夢』に引き寄せられる。桜子と達彦の再会… と、ここで終われば良いのですが、そうはならない。


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少し進みます。桜子、松井兵長に何度も追い返される。
松井兵長:『有森、悪いが、今の俺に何も期待しないで欲しい。俺との間にあった事は忘れて欲しい…すまないが、忘れてくれ。』。


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…突っ走った桜子、今度は、松井兵長の為に『陽の当たる場所』を弾く。


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『自分達が何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて、なんでそんなに浮かれてられるんだ?こんな世の中を作る為に俺たちは戦ってきたのか?何人も人を殺して、死なせたくない仲間を何人も死なせてきたのか?半年前まであった地獄を、みんなきれいさっぱり忘れとるじゃないか!どうしてなんだ?!』
『君もそうだよ!なんでジャズなんて弾けるんだよ?!なんでそんなに明るく、わらってられるんだよ?!』


松井達彦 (137回)


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顛末は上記にて記述しました。

 

引用します。

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”それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはその事である。”(2ページ ”まえがき”)
”私たちはまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない。そういう立場もあって差支えないと私は考えている。それを奴隷的心理だとも言えないであろう。
だから敗戦と同時に、鬼畜米英が救世主や 解放者になったのを帰還後知って非常につらかった。また戦争に抵抗もせず、軍部や政府から特別いじめられたということもなかった人々が、勝利者に対し「日本は軍国主義の鬼だった」「気ち〇いだった」(注:〇部分は引用者による伏字)と言って廻ってくれたのには抵抗を感じた。今でも感じる。私が素直でないのだろう。そう言って廻った人々は、日本の良心の代表者なのかもしれない。そういう人は心から日本の民主化の為努力しているのかもしれない。しかし、そういう人は実にたくさんいるのだが、そういう人たちのなかで、日本的な後悔の仕方であるはずの、「申し訳ないから死んでおわびする」という人も、「頭をまるめて隠遁と懺悔の日々を送る」という人も出なかったも不思議な事である。“(70ページ” ”強制労働の日々”)
“「イギリス人を全部この地上から消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう」私はつくづくそう考えた。いまから考えるとずいぶん感情的な結論だが、そのときは心からそう思ったのである。“(75ページ “強制労働の日々”)
(会田雄次著『アーロン収容所』(昭和42年初版)より引用)


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ところで、まず、八州治さん、奴らの犠牲になる。という事は、あの絵本を書いた八重さんも...。勇太郎には褒めてもらったのに。


次。女を連れた米兵達が酔っぱらってなにかヘンな店から出てきて、松井兵長にぶつかりガン飛ばす。…『ゴメンナサーイねェ』。
長くて恐縮ですが、ある著書からの引用です。


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”またわたしの個人的な体験になるが、お許しいただきたい。昭和二十二年五月、復員後すぐ東京に行ったわたしは、混雑混乱を極めた東京駅で異様な光景にぶつかった。なだれのような人波が急に止まって、ピッ、ピッという警笛が聞こえる。女をつれたアメリカ将校が数人、プラットホームをゆうゆうと降りて行くのだ。その間、数人の警官が縄をはり、呼び子をふいて群集を整理しているのである。わたしはその警官の表情を見ていて、どうしたことか昭和十七年冬、妙高山麓でスキーをかついでのんびり歩いていたわたしたちを、やはり呼び子と縄でもって制止してしまった警官の表情とそっくりなことを思い出した。梨本宮かだれかが来られるというので交通遮断していたのである。なにか献身的で、なにか得意気で、なにかわたしたちを見さげているような、あの外国大使館勤めをしている日本の、とりわけ若い女性によく見られるのと同じような(原文ママ)表情である。
それはこの警官だけではない。戦前は日本の軍部の、戦後には占領軍につらなったすべての日本人の持った表情である。そして、それは昭和二十五年一月一日、マッカーサーが日本の自衛権を強調するまでの労組幹部など左派指導者に見られたはずのものだ。なぜならゼネストは禁止したとはいえ、占領軍ははっきりと労働運動を支持していたからである(この点については、『自由』昭和四十年六月号のわたしの論文「敗戦直後の日本人」を参照していただきたい)。
わたしがその年、五月三日施工されたばかりの「日本国憲法」を読んだのは、まさにそのときのことだった。こういうわたしは、あのあきらかに翻訳であり、日本文というにはあまりにみにくいあの憲法を読むと、どうしてもあのピッピッという呼び子と警官と表情と、ゆうゆうと歩いて行ったアメリカ将校と、激しい空腹と疲労といらだちの中で、じっとその途方もなく長く―と思われた―遮断をじっとこらえていたボロ服の日本人群集の顔が、ひっついて離れない。
この偶然の出合いの結果、わたしにとって憲法はこの耐えがたい屈辱感と共存しているのである。憲法には理性的には多くの共感点をもつ。だが感覚的には―内容というよりも、むしろ特にその文章に―その背後の力を感じて激しい反撥を感じる。この私自身を二つにひきさくような矛盾は、現在もすさまじい力でわたしを苦しめるのである。”まことに個人的な体験から生まれたものであるが、しかしこのような感情を持つのはわたしだけだろうか。なにもかも打ちあけあえる同じ復員仲間の戦友たちのほとんど共通したものであることをわたしは確かめている。同じ感覚を持つ人は案外多いのではないか。
(「戦後の虚妄」-会田雄次著『日本人の意識構造』(昭和47年10月25日第1刷昭和51年5月20日第11刷発行))


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あの場面にいつもこの一節が頭をよぎってしまう。


あの場面は、24週冒頭の『先週あらすじ』の場面でも再登場しますので、23週の象徴的な場面だと思います。


ところでこの顛末、お弁当ドロボウ君vs.桜先生で、桜先生が弾いた『陽の当たる場所』と全く一緒の事を、つまり、松井兵長に対して『陽の当たる場所』』を弾いている。ここは、個人的には、ちょっとばかりあざといような気もして、あまり結びつけたくありませんが、ありのままにいえば、そういう事です。


普通に考えたら、桜子『達彦さんとの思い出の曲を弾くから』、といったら、第77話で連弾した、リストの『愛の夢』でしょうj。


これワザとですよ。でもそれは何故か。ここはひとまず、置いておきます(多分次あたりで)。


以下、先程のリンクの続きの記述です。桜子、全力で逆走して周回遅れの松井兵長にガンとばす。浩樹さんが派手に轟沈していますが、浩樹さん、杏子さんが、少なからず支えになったのは確か。

 

 

 


若山のお姉さん訪問の後。目の前にいる様で、実は周回遅れだった松井兵長。桜子、その側に寄り添う。

 

 

 


すみませんが、長くなりましたので、救われないまま、一旦区切ります。

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おまけ

 

原案本”火の山”でのあの人(2)


達彦さん。


意外と出番が少ない、というか殆どない。でも出たら割とひょうきん者。


(ネタバレは無しで。楽しいよ!)


(つづく)