前回からのつづきです。


翌週24週冒頭から。桜子、山長に松井兵長を訪ねる。


平助(山長の従業員)。
■平助:『もうそろそろ(大将に)まともになってもらいたいですわ。帰ってきたはいいが、店に出られんじゃ、置物もいいとこだがん』『戦争に行って来たのは、こっちもおんなじだがん、どっこも悪くないのに、一体何考えとられるだが…』


(23週にて)--------------------


■お弁当ドロボウ君:『俺は今でもアメリカが憎い!だからジャズも嫌いだ!…』『おかあちゃん死んだんだ。空襲の後ずっと病気がちで、そしたらお父ちゃんの戦死の公報が来て、だからおれ…』 ……


■松井兵長『自分達が何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて、なんでそんなに浮かれてられるんだ?こんな世の中を作る為に俺たちは戦ってきたのか?何人も人を殺して、死なせたくない仲間を何人も死なせてきたのか?半年前まであった地獄を、みんなきれいさっぱり忘れとるじゃないか!どうしてなんだ?!』


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〇”敵愾心”について。
ここで一旦。以下、引用です。


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大岡昇平 それで思うのだが、一五日の放送(引用注:玉音放送の事)を聞いて、くそっとおもったところは、大体において食料があったんじゃないだろうか。


会田雄次 くそっなんて、少なくとも思ったものは僕のまわりにはいなかったですね。幽霊に意地なんてありませんよ。


池部良 もともと兵隊に敵愾心なんかありませんものね。条件反射としてはありましょうけど。


岡部冬彦 ありませんでしたね。


村上兵衛 ただ目の前で仲間がやられると、敵愾心がおこる、とある友人がいっていましたが。


会田雄次 それは起こります。僕も経験しました。


有馬頼義 空襲だってアメリカがやっている気がしない。天災みたいな気がしてね。


扇谷正造 兵隊に敵愾心など、いつの時代にもないものではないですかね。


(『日本のいちばん長い夏』半藤一利編(文芸春秋))


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ある者には『兵隊に敵愾心など、いつの時代にもない』、ある者には『それは起こります。僕も経験しました』。


前回引用した、会田雄次氏(故人)です。(『…英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはその事である。』)


わたしは、戦争の経験はありませんから、ここは先人から意を汲み取るしかないので。引用します。


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半藤 でもP51(引用注:アメリカの戦闘機)の機銃掃射はそれにとどまらない。付近を歩いている人間も撃つんです。私自身が機銃掃射を受けました。魚釣りの帰りに叔父と並んで小貝川の土手を歩いていた時です。P51が二機、スウッと通り過ぎて行ったんですよね。「敵だ、敵だ」、「でも大丈夫だ、オレたちなんか狙うはずないよ」なんて言ってのんびり歩いていたら、クルッとこちらを振り向いたんです。そしたら急降下して撃ってきた。


宮崎 ああ。


半藤 「飛行機がまん丸く見えたら当たるから横へ逃げろ」と言われていたんですが、そのとき、まさにまん丸に見えました。そのとたん、パーっと土煙があがりましてね。いま思うと、実際は30センチか50センチ向こうだったのでしょうが、当時は体スレスレの10センチくらいの近さに思いましたね。横に逃げるどころか恐怖でしばらく動けなかったです。叔父は、土手の上から転げ落ちて、畑の中に逃げ込んでいました。あの時腰を抜かしながら「飛行機っていうのはなんて卑怯な野郎なんだろう」と(笑)


宮崎 それは卑怯ですね。確かに。


半藤 知らん顔して、クルッて向き直った瞬間、ものすごい速さでしたからね。そういう経験がありまして、飛行機が大嫌いなんです。
(引用『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』49~50ページ)


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少々回り道しました。
つまり、お弁当ドロボウ君も、平助さんも、達彦さんも、みんな正しいと思います。


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〇松井兵長、周回遅れ、について。

ところで、以前にも申しました通り、このドラマは、地元岡崎の、三河の当時の方々、及び、ご親族が大挙してご覧になったはずです。
そして、実際に地元に豊橋の連隊跡(現豊橋公園)や、連隊の慰霊碑などの史跡が多々残されている事を考えると、やはり、23週の松井兵長の件を、まがりなりにも、きちんと入れるのは、これは、避けて通れなかったのでしょう。


もし、そこは何もなかったかの様に描くと、当事者の方、そのご親族の方々から、クレームの電話が殺到するに違いない。


という事で、物語中の『豊橋の連隊』を、編成や戦歴等から割り出した、史実の旧帝国陸軍歩兵第十八連隊とします。


日中戦争において、南支那での長沙作戦等の戦闘等の後は、一旦は満州への駐屯(昭和17年7月~)で比較的平穏な時期があります。


しかし、その後昭和19年2月に動員下令で、内地寄港を経てマリアナ諸島(■注1)に…の途中でまず船団が襲われ轟沈し(略。以降、あまりにも凄惨に過ぎる)。

 

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■注1:マリアナ諸島:当時の日本委任統治領で戦略の要衝。米軍に攻め落とされ、B-29本土空襲の前線基地となる。

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ですので、平助さんは、その前に、運よく怪我か病気か何かで帰ったんでしょう。


そういえばキヨシも、平助さんと同様に違いない。


ところで、23週のヤミ屋のキヨシ(転向者)『山長はどうでもいいんだよ。』『これからの世の中は、カネだよ!』『桜ちゃん、結婚してくれ!』(ぷっ)の場面です。戦時中での最後の場面でのキヨシからは180度反転の、清々しいほどの転向者っぷり。


まあ、この場面では、流石にコミカルにデフォルメにしてあげないと、と。キヨシをそう仕立てた以上、配慮したのでしょう。


…いや、本物の転向者はあれだな、笛姉ちゃんと麻雀やってた、芸術を工業製品の様に売り買いする人達。


…いや、史実でもっとガチにいえば、戦後のエゲツナイ本当に胸糞悪いあの(自重します)。


もとい。


ところで、冒頭の松井兵長の言葉には続きがあって『…俺は、幸せになる資格なんてないんだよ。俺はむこうで…戦場で死ぬべきだった…帰ってくれ!』


ここもやはり、24週冒頭の『前週のおさらい』シーンで出てきました。

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本記述の冒頭でもある、24週冒頭に戻ります。

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『おはよう。』


『ああ、有森』


『どこか行くの?』


『亡くなった戦友の家を、一軒一軒まわって挨拶してこようと思うんだ。』


『そう。』


『付き合いの濃い薄いはあったけど、みんな共に戦った仲間達だ。これをせんと俺の中で、整理がつかんのだよ。』


『……うん。』


松井達彦 / 有森桜子 (139回)


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いったいどうしたんだ桜子!?(笑)。


ところで、松井兵長:
『亡くなった戦友の家を、一軒一軒まわって挨拶してこようと思うんだ。』
付き合いの濃い薄いはあったけど、みんな共に戦った仲間達だ。これをせんと俺の中で、整理がつかんのだよ。』


なお、この少し後、冬吾さんと兵長との場面。


『…俺、戦友を死なせたんです、一緒に戦った、殆どの人間が死にました。


これらから察するに、やはり、あの史実の豊橋の連隊を再現しているに間違い無い…
(前記以外の山長出征者はもう現れない)


長いので一旦区切ります。

 

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おまけ

 

原案本”火の山”でのあの人(3)


斉藤先生。


期待しないでください………… わりとゲス野郎です。


(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その前に、

宮崎駿氏 の”埼”って本当は”﨑”(たづざき)という情報があるんだけど、世の中の書籍(つまり文字化けしないハードコピー)でも映画等でも9割5分は”埼”なんですよ。上記で引用した書籍でもそう。でも…残り5分は”﨑”(たづざき)表記なんだよね…うーんこの。で、ここでは9割5分の”宮崎駿”表記に致しました。間違っていたらお詫びします。

 

(今度こそつづく)