昨日の夕方、私はお仕事である場所へ行ってました。
もちろんベンゴシは運転手。
翌日ベンゴシは大事な裁判があったので急いで帰っていたのだけど。
なんと、交通事故を目撃してしまいまして…。
そこは丁字路だったんですけど、私達は下の道から右に曲がろうとしていました。
事故が起こったのは道が交わるところの左側。
時々車は通るものの、大通りでもないし、日曜の夜ということもあって、その時は寂しい感じでした。
それに位置的に私達が一番この事故を見ていたと思うの。
もうすぐ右折ってところから曲がるまでには全部終わっていたんだけど。
私とベンゴシが見たことを合わせるとですね…。
道を渡ろうとしていた老夫婦の左から、スピードは出てなかったのだけれども車がやってきて。
奥さんが車と接触?
旦那さんが慌てて奥さん引き抜いて、後ろの歩道に座らせ、その車の窓をものすごい勢いで叩く。
…ここまでの時点で、私はたいした事故だとは思ってなかったのです。
車はかなりゆっくりだったし。
車にあたりそうだったのかな、と。
だけど、その後。
旦那さんが一瞬かたまり、そして腹の底からうなるような声で「ウォーウォーウォー」と1回1回力をためてから、すごい声で叫びだす。
これはただ事ではないなと、道を曲がってすぐ車を止めて駆けつけた私達。
ベンゴシが言うには奥さんの脚が車(バンパーかタイヤ)の下に入ってた、と(私の位置からは見えず)。
奥さん脚が痛いし恐怖で震えてるし(もしかしたら折れていたかも)。
旦那さんパニックだし。
あっという間に人だかりができまして。
今まで人なんてほとんどいなかったのに、気付けば30人ぐらい。
車で通りかかった人が何事だと車を止めて降りてきたり、旦那さんの叫びを聞いた近所の人が出てきたり。
野次馬根性っていえばそれまでなんですけど(実際昨夜から今日にかけて、この話はすごい勢いで広まったと思うもの)、この辺ではそうとばかりも言い切れず。
野次馬根性も大ありなんですけど(だって近くで見れば翌日の話の中心は自分になれるんだもの)、親切心もかなり持っています。
写真だけ撮って立ち去る、みたいな野次馬はいません。
近所の人はお水を持って来て差し出すし、通りかかった女の人は奥さんに優しく話しかける(励ます)。
青年は奥さんの手を握って励ますし、奥さんを道に寝かせようとなったときに男の子が自分の上着をさっと脱いで丸めて枕にしてあげる。
パニックで携帯を操作できない旦那さんに代わって、男の子達が番号を聞いて自分の携帯で電話をかけてあげる。
救急車が来てストレッチャーに乗せるときには、皆が手伝う。
「病院まで乗せてってあげるよ」と旦那さんを病院へ送っていく男の子(病院はかなり近いところでしたけど)。
私、イタリア人のこういうところは素敵だなと思います。
いつだったか、日本で、電車とホームの間に挟まった女性を助けるためにそこにいた人が一丸となって電車を押すということがありましたね。
これが世界各国でも放送されて、「イタリアでは、イタリア人だったら見ているだけだろう、と報道されていた」と日本で報道されました。
これを聞いたとき、私にはすごい違和感。
これを言った人は北の人か、大都会の人なんだろうなあ、と思いました。
私の偏見かもしれませんが…。
でも今回の事故を見てもわかるように、南の人間って、何かあれば我先に人を助けるんです。
北の人間がそうしないというわけではなくて(というか北の人間の事はあまり知らないし)、南ではあまりにも当たり前のこの光景、なのに「見てるだけだろう」なんて言う人は南の人間ではないな、ということです。
ちょっとイタリア人を見直した夜でした。
でもいい話で終われないのがイタリア。
この事故の話が一気に街中に広まるだろうなあと思う根拠はですね。
まず被害者の旦那さんが街では結構有名人。
地位があるとかそういう意味ではなくて、友達が多いといいますか。
そして加害者…。
これが何と神父さんでした。
別に神父さんでも事故を起こすことはあるだろうし、それはしょうがないとは思うんです。
思うんですけど…。
まず警察に事情を聞かれていたとき。
「いや、突然(夫婦が)出てきたもんで…」と。
奥さんのそばに付き添っていた旦那さん、バッとそっちに駆け寄り。
「お前が来たときには俺達はもう道を渡っていた!」と叫びだす。
実際、その通りでして。
神父さん、嘘はいかんでしょう…。
そして今回のオチともいう言葉。
神父さん、警官に言いました。
「ミサの準備があるので教会に行ってもいいですか」
…嘘のような本当の話。