イタ語には過去形が5つもある。
これって、日本人からすると、わけわかんない事だと思うのよね…。
1つでいいじゃん!
って。
1つでいいじゃん!
その5つとは。
・近過去
・半過去
・大過去
・遠過去
・前過去
・半過去
・大過去
・遠過去
・前過去
もう、過去形には、イタ語独学時代、どれだけ苦しめられてきたか…。
イタ語の動詞なんかは人称の単複によって6通りに活用するんですけど。
5つの過去形を、活用させる事自体はそんなに難しくはないのね。
法則に当てはめればいいだけだから。
5つの過去形を、活用させる事自体はそんなに難しくはないのね。
法則に当てはめればいいだけだから。
だから、それは、できた。
何に苦しんだかと言うと。
いつどれを使ったらいいのか、わかんなかったってこと。
いつどれを使ったらいいのか、わかんなかったってこと。
「今朝雨が降った」
「昨日君が来たとき、僕はテレビを見てた」
「第二次世界大戦は1945年に終結した」
「昨日君が来たとき、僕はテレビを見てた」
「第二次世界大戦は1945年に終結した」
こーんな過去形の文があるでしょう?
すると。いつ近過去を使って、いつ大過去を使うのか…それが、わかんなかったの。
すると。いつ近過去を使って、いつ大過去を使うのか…それが、わかんなかったの。
これには本当苦しんで。
留学したときも。
学校が始まる前に、にっくんに教えてもらってたわけ。
学校が始まる前に、にっくんに教えてもらってたわけ。
にっくんはね、数学(それとも算数?)で使ったような、表を書いて説明してくれるわけ。
例えばこんな感じ…。
例えばこんな感じ…。
Quando mi hanno chiamato, mi ero appena alzato.
(彼らが私を呼んだとき、私は起きたばかりでした)

時間の流れの軸に沿って見てみると。
青い部分と赤い部分は重なっておらず、間には緑の部分がある。
だから、ここでは近過去を使う。
(彼らが私を呼んだとき、私は起きたばかりでした)

時間の流れの軸に沿って見てみると。
青い部分と赤い部分は重なっておらず、間には緑の部分がある。
だから、ここでは近過去を使う。
Pioveva tanto quando sono partiti.
(彼らが出発したとき、たくさん雨が降っていた)

青の部分と赤の部分は重なる。
だからここでは半過去を使う。
(彼らが出発したとき、たくさん雨が降っていた)

青の部分と赤の部分は重なる。
だからここでは半過去を使う。
大まかに言うと、こんな感じで説明してくれたわけ。
だから。いっつもこの図を描いて過去形の練習をしてたんだけど。
しゃべるときにいっつもこんなもん頭の中で描けるわけないし。
しゃべるときにいっつもこんなもん頭の中で描けるわけないし。
やればやるほどわからなくなる…。
ここは絶対に近過去だ!って自信を持っていたのに、実は半過去だったり。
あまりに理解できなくて。
冗談抜きに泣いた事も、あった…。
冗談抜きに泣いた事も、あった…。
にっくんはにっくんで。
留学に関して、家探しとかでかなり迷惑かけたから(←家が決まるまで1ヶ月はにっくんのところに泊めてもらってたり…)。
自分の家に引っ越すときに、私、全部まとめて謝ったのね。
自分の家に引っ越すときに、私、全部まとめて謝ったのね。
そしたら。
「siiliが1ヶ月家にいたことも、あれもこれもそれも、全然問題がない。反対にいてくれて楽しかったし。だから怒ってなんかないし。だけど…もしsiiliに対して何か怒ってるとすれば…それはsiiliに過去形教えてたときだけだから」
ここまで、言わせちゃいました、はい…。
後で聞いたら。
にっくんは「どうしてもっと上手く教えられないんだろう」って悩んでたそうですけど…。
にっくんは「どうしてもっと上手く教えられないんだろう」って悩んでたそうですけど…。
これだけ苦労した過去形も。
気が付けば、ある日突然、全てが理解できてたんですね…。
気が付けば、ある日突然、全てが理解できてたんですね…。
今ではあんな図を描かなくても普通に話せるし。
反対にあの図を見てると余計分からなくなると思う…。
反対にあの図を見てると余計分からなくなると思う…。
分からないときは無理に勉強しない方がいいのかしら…。
分からないときには何をしたって分からない、そのうち分かるさ、ぐらいでいいのかも…。
分からないときには何をしたって分からない、そのうち分かるさ、ぐらいでいいのかも…。
ってか。
私のイタ語の参考書の「過去」のページには。
私のイタ語の参考書の「過去」のページには。
今でも上記のような図が残ってるんですよ…。
それを見るたびに、当時の事が思い出されます…。
それを見るたびに、当時の事が思い出されます…。

