あなたを忘れない ー木村拓也ー | のざっちの独り言

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2009年9月4日
巨人4―4ヤクルト
捕手がいない!
“何でも屋”木村拓也
心臓バクバクの23球 

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東京ドーム一塁側のベンチ裏へ
巨人・鶴岡一成が
すっ飛んでいった

「タクさん!」

鶴岡が大声で呼ぶと
20年目のベテラン
木村拓也内野手が振り返った

延長11回、ヤクルトの
6番手鎌田祐哉の
投げたボールが
巨人・加藤健の
頭部に当たった。 
打席に倒れこんだ加藤は
そのまま担架で運ばれ病院へ
巨人ベンチは凍りついた

この時点で先発出場していた
鶴岡はベンチに下がっており
正捕手の阿部慎之助は
この日一塁手として
出場していたが
この時点で
鶴岡同様交代していた

捕手がいない

延長戦の規定は12回まで
巨人は11回に
サヨナラ勝ちを収めなければ
勝ち負け以前に
試合そのものが
続けられなくなる
危機に陥った

試合を放棄するわけにはいかない

原辰徳監督はすぐに手を打った
「タクに行ってもらう」
90年、日本ハムに
ドラフト外で入団した時には
捕手だった木村に
指揮官は白羽の矢を立てた

もう10年マスクを
かぶっていなかった
最後に捕手として
公式戦に出場したのは
広島時代の99年7月6日
横浜12回戦(広島)
この時も“緊急出動”だった

元は捕手といっても
常にプロの投手が
投げるボールを
捕球していなければ
そう簡単に捕れるものではない
しかし、全く捕手経験のない
プレーヤーよりは任せられる

「こういう時のために
オレはいるんだ。
オレしかやれるヤツが
いないんだからやるしかない」

自他とも認める
ユーティリティープレーヤーは
覚悟を決めた

鶴岡のミットを借り
用松淳ブルペン捕手の
レガースとマスクを付けて
定位置に座った。

まずは豊田清と
バッテリーを組んだ
初球はいきなりフォーク。
木村が出したサインだった。

「実はベンチから西山さんから
サインが出ることに
なっていたんですが
見る余裕なくて
自分で出しちゃいました」と

二塁を守っている時から
「自分のチームの
ピッチャーがどんな球を
どういう時に投げているか
頭に入っていた。
その知識を総動員した」

豊田には5球のうち
3球を決め球の
フォークを投げさせ
田中浩康を中飛に仕留め
続く青木宣親と
対した左の藤田宗一には
裏をかいてシュートから入り
2球目にカーブを要求
最後はスライダーで
三振を奪った

1安打1四球を許したが
この回3人目の
野間口貴彦がユウイチを
151キロのストレートで
空振り三振に切って取り
急造捕手は
無事大役を果たし終えた

「心臓がバグバグ。
とにかく無事に
終わって良かった」

汗びっしょりの木村に阿部は
「脱帽です。完ぺき」とひと言。

ベンチ入り25人中
24人を使った
巨人は試合を引き分けに持ち込み
優勝へのマジックを
1つ減らし19とした

チェンジになった瞬間
真っ先に出迎えた原監督は
ガッチリ握手
肩を何度も叩き
感激の面持ちで
労をねぎらった

「本当に困った時の拓也頼み。
冗談も言えない。
よく救ってくれた」と言った
監督はそれから7カ月後
大粒の涙を流しながら
あの日のことを思い出すとは
夢にも思わなかった


ピンチのときこそ
最大限の力を発揮する
木村拓也は
何者も代わりのきかない
最高の“何でも屋”だった