あるアニメーション映画を観てきた。

「キミと一緒にいられるなら世界なんてどうなったっていい」

主人公の男の子がこんなことを叫びながら、雨空を晴れに変える力を持ったヒロインを助けに行く場面をみていたら、少しむかしのことを思い出した。

 

 

 

メラゾーマコンロのことを書こうと思う。

学生街で一人暮らしをしていた10年以上前、部屋で使っていたガスコンロのことだ。冗談みたいに火力が強かった。スイッチを押して「ちちちち、ぼっ!」と点火すると、高さ40~50センチほどの力強い火柱が立ち上る。初めて使ったときに前髪を焦がして以降、コンロを使うときは危険物を扱うように、体は壁に隠したまま腕だけをコンロのほうに伸ばして点火するという忍者のようなことをやっていた。ガスとコンロの規格が合ってないとかそんな原因だったと思う。

 

さらにそのコンロは、部屋のガス台よりも横幅が広くてスペースに収まりきらなかったため、本来は横に置くべきを縦に置いて使うという斬新な配置をした。ただこの置き方によって、ふたつある点火台のうちスイッチに手が届かない奥側はまったく使えなくなり、加えてもとから狭い台所の通路をさらに狭くするという結果を招いた。

 

 

メラゾーマする、縦に置かれた実質ひと口コンロ。

火災やガス漏れの危険もあるのに、なぜこんな使い勝手の悪いコンロを使い続けたのか。

答えは超単純。恋である。

 

俺は大学入学時は家具家電つきの部屋に暮らしていて、大学2年の後半にこの部屋に引っ越したため、家具や家電をそろえる必要があった。ちなみに引っ越したのは、レオパスの住環境が悪かったというより、父親が相談もなく勝手に契約してきた部屋に住み続けることに反発したかったからである。

 

それで家具や家電をそろえると言っても、たいしてお金があるわけでもないので、クレクレ星人になってもらえるものは周りの友人から譲り受けることにした。

洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、ラック、寝具、こたつ。記憶にあるだけで、これらはすべてもらった。相手にとってはただの粗大ゴミ処理だったかもしれないけれど、信頼を一緒にもらったような気がしてうれしかった。引っ越しにあたって自分で購入したものは、テーブル、椅子、本棚、蒼井優のポスター、くらいだったと思う。

 

そして、コンロは友だちの女の子からもらえることになった。その子のお姉さんが結婚して引っ越すからコンロが不要になる、とかそんな事情だったと思う。

俺はその子に恋していたので、もらえるならなんでもよかった。脚のもげた椅子でも壊れかけのレディオでもなんでもよかった。本当に使えるのか、大きさはどうなのか、なんてことは二の次で、その子の所有物(正確にはその子の姉のものであって本人のものですらないことはこの際どうでもいい)を引き継いで使う、という事実が自分を幸せな気持ちにした。メラゾーマを見た男友達はみんなゲラゲラ笑っていた。

 

 

10年前にタイムスリップできるならば、「お前それ、好きの気持ちのベクトルが完全にキモいほうに振れてるぞ。それにメラゾーマするコンロで料理作りたい女の子なんていると思うか?モテたいんなら普通のコンロ使え。あと、変なコンロ使うことが個性だと思ってるなら独りよがりも甚だしいぞ」と忠告したいところだ。

 

しかし、当時の自分にとっては、人にどう思われるかも、コンロの使い勝手もまったく気にならなかった。その子の存在を近くで感じられれば、あとはどうでもよかった。

そんなわけで、映画の主人公の「キミにまた会えるならうんぬん」というセリフは、マラゾーマコンロを使っていた当時の気持ちを少し思い出させてくれた。

 

 

ちなみにコンロをもらってから2年後、その子は俺のためにハンバーグをつくってくれた。「ちちちち、ぼっ!」とマラゾーマするコンロに、2人できゃあきゃあ言っていたっけ。

ハンバーグにパン粉を入れるということを初めて知ったのもこのときだったと思う。

 

6年くらい使ってからコンロを捨てるときは少しだけ感傷的になったけれど、それからコンロのことを思い出すことはほとんどなかった。その子はいつの間にか2児の母になった。

 

 

ハートに火が付いたのなら、周りのことなんか考えなくていい。

そういう意味ではホダカも俺も、きっと間違ってない。

「もともと世界なんて狂ってるんだから」

 

「母さんね、これから家を出ようと思って」

 

彼はあまり勘の鋭いほうではない。むしろ鈍いほうだとよく言われるくらいだ。

それでも、ここで母親の言う「家を出る」という言葉が、「ちょっとその辺に買い物に行く」とか「数日旅行に行ってくる」という意味の「家を出る」ではないことにはすぐに気づいた。

 

彼は言葉が出ない。母親は説明を続ける。

このままだといろいろダメになりそうだと思っていること、それを父にも姉にも伝えたこと、これからどこに行くのかは決めていないこと、年が明けたら家に戻ろうと思っていること。

 

 

しかしそうした説明は彼の耳を通り抜けるだけで、頭にはうまく入ってこない。

なぜだろう。彼の頭では、むかしの家族の思い出が走馬燈のように駆け巡っていた。

 

よく車庫で木炭を燃やしてバーベキューをして、そのあとは花火をやって遊んだこと。

母親は意外とボウリングが上手だったこと。

父親が夜遅く帰ってきてから一緒に食べるインスタントラーメンがおいしかったこと。

近所の小学校の校庭で友人とサッカーをやって遊んでいると、晩ご飯の時間になると祖父が呼びに来てくれたこと。

大晦日におせちを食べる実家で料理をつくる母親を姉と一緒に手伝い、彼は手伝いをしながらカズノコのつまみ食いばかりしていたこと。

 

彼は自分が幸せいっぱいの家族だったとは思っていない。

でも、こんなときに思い出すのは、楽しかったことばかりだった。

 

 

母親が「冬休みに妻子が実家に帰省するか」を彼に尋ねたのは、もし妻子が家を空けるなら、彼の住む東京の部屋に身を寄せようとしていたからだった。

「1人寝泊まりするくらいのスペースならあるよ」と彼は言ったが、母親は「奥さんに悪いからいいよ」と断った。彼の母親はそういう人だった。

 

彼の母親は携帯電話を持たずに家を出るという。

専業主婦の母親は、収入がないのに自分の勝手で家を出て携帯代まで父親に払ってもらうのは申し訳ないと思っているフシがあった。

この電話を切れば、彼から母親に連絡をとることは事実上不可能になる、ということだった。

 

 

彼は勘は鈍いけれど、そのとき自分に何ができるか、自分が何をすべきかを判断するスピードはまあまあ早いと思っている。

だから、彼はすぐにわかった。残念だけど自分にできることはなにもない、と。

 

もちろん彼は瞬時にいろんなことを考えた。

とにかく東京に呼びつける、父親に相談して引き留めてもらう、へそくりを引き出して金銭的に援助する、でかい家に引っ越して母親と一緒に暮らす…。

でも何をしても誰かを傷つけてしまうのは確実だった。母親を助けようとすればするほど、姉は「母親をとられた」と思ってしまうだろう、ということを彼は理解していた。

 

彼は熟年離婚という言葉を知っているし、世の中の夫婦の3組に1組が離婚する時代だということも知っている。親が離婚している友人も何人か知っている。でもそれは情報として知っているだけであって、自分が当事者になるとか、親がそうなるかもしれない、ということは考えたことがなかったそうだ。

 

母親は「年明けには家に戻る」と言っているし、離婚まで考えているのかをはっきり聞いていないので、彼にはなにが真実なのか、正直よくわからない。でも、そうならなかったとしても、彼の思い出のなかにある家族の姿に戻ることはもうないだろうということを彼は認めざるを得なかった。

「あのころはもう戻らないんだなあ」と彼が思うことは、家族のことに限らずたくさんある。

でも、彼の帰る家、もしくは帰りたいと思える家がもうなくなってしまったのだと思うと、彼は「どうしてこうなっちゃったんだろうなあ」と、ため息をつくしかなかった。

 

 

母親は最後に彼にもう一度謝った。

母親は彼の息子にサッカーボールをクリスマスプレゼントにする約束をしていたが、その約束は果たせなさそうだということ。

 

電話は終わりに近づいていた。

「いや、それは仕方ないっていうか、どっちでもいいっていうか、そんなことは全然いいんだけど

 

もしかしたら、ひょっとすると、万万万が一、これが最後の電話になってしまうんじゃないか。そんなわけないだろと思いつつ、心のどこかでそんな気がして、彼は電話を切るに切れなかった。

 

彼は息子であり、夫であり、父であり、一人の男だった。

彼は運動会で会った母親の姿を思い出す。一見マニキュアをしているように見えた母親の指は、よく見るとほとんどの指に絆創膏を貼っていただけだった。白髪が増えた髪の毛。しわが増えてくたびれた顔。

 

彼は思う。

かつては安らぎを感じていた家族という存在がバラバラになってしまうとしたら、悲しくてとてもやりきれない。でも、あなたが心身をすり減らすほどつらい思いをしてまでそれを守らなくていい。そこまで頑張らなくていい。ぼくはもう大丈夫だから、と。

 

 

「困ったらっていうか困ってなくても、とにかく電話してよね」

彼はそう言って電話を切った。

自分にはなにもできることはない。でも、なにかできること、言えることがあったんじゃないか。彼はいまでもそんな思いにとらわれているそうだ。

 

 

彼は最近観た映画「ボヘミアン・ラプソディー」に影響されて、QUEENの曲をよく聴いている。メロディーの美しさだけが理由ではない。ギターのブライアン・メイがつくった「save me」という別れの歌があり、「I’m far from home」というフレーズが彼の頭から離れないのだという。

 

 

 

 

彼は4歳の息子にクリスマスプレゼントとして、子供用のデジタルカメラを買っていた。

2万円と決して安くはないが、仮面ライダーのベルトやら、なんとかレンジャーのピストルやら、あと半年すれば飽きてしまうようなおもちゃを買うより100倍いいと彼は信じていた。

 

彼は息子にこう言い聞かせていた。

「サンタは遠い国から『いい子にだけ』プレゼントを運んできてくれる。世の父親はサンタにプレゼントを依頼できる代理人である。したがって、サンタからプレゼントがほしければ、家で『いい子』にすべし。我が家としては、サンタにはカメラがほしいとすでに伝えてある。しかし、もしも悪い子にするようなら、サンタに『プレゼントは不要』とすぐに連絡する」と。何歳まで信じてくれるのかは不明だが、効果はまずまずだったそうだ。

 

 

クリスマス前夜。

「サンタさんはどこから入ってくるの?うちには煙突あるの?」

彼の息子は意外と鋭い質問をぶつけてきた。

 

「えーと

彼は自らの設定の甘さを少し悔やみながら「じゃあ窓のカギを開けとこうね。そしたらサンタさんはうちに入って来られるじゃん?」と答えた。

 

彼は布団に入りながら息子に「カメラもらえたら、なんの写真撮りたい?」と尋ねた。

息子は「う~ん」と、うなってからこう答えた。

「父ちゃんと母ちゃん。ピースしてるとこ撮るの」

 

「お前は優しい子だな」と彼は息子の頭をなでて、ちょっとだけ泣いたという。

 

 

 

「母さんね、もう嘘つくのはやめようと思ってさ」

 

それに続いて電話口から聞こえてきた言葉に、彼は言葉を失ったという。

さながら、友人との飲み会でおごった代金を「取引先との打ち合わせ」と称して会社に領収書で経費精算を請求したら「税務署から『疑義あり』と指摘があったため詳細を報告せよ」と会社の経理部から連絡が来たときの感覚に似ていた、と彼は力なく笑っていた。

 

 

今回も「彼」の話を書こうと思う。

 

彼の携帯に実家の固定電話から電話がかかってきたのは、およそ2カ月ぶりだった。

2カ月前は息子の運動会の前日。姉との約5年ぶりの会話では、両親が嘘をついて彼の息子の運動会を見に来ていたことが判明した、という経緯がある。

悪い予感しかなかったが、急を要する電話の可能性であることも考え、今回も彼はその電話をとった。

彼は電話の相手が姉ではなく、母親だったことに少しだけ安堵した。しかし彼はその電話を切った後に思う。やりきれなさは前回の電話といい勝負だったな、と。

 

 

母親は季節のあいさつをしてから、冬休みに彼の妻子が実家に帰省するのか尋ねた。

彼の妻子は北海道の実家へ2人で帰省することが時々ある。そうした話は母にも以前したことがある。しかし今年はそうした予定はないことを伝えると「そっかあ」と少し残念そうな声が返ってきた。

彼は当然のように「なんで?」と聞いた。母親からは「うーん、いやちょっと行こうかなと思ってたんだけど」といまいち要領を得ない答え。母親は彼と同じで、それほど口頭での説明が得意ではない。

 

よくわからない、と彼が思っているうちに、母親は2カ月前の運動会のことを話題にした。

運動会の日に帰宅して姉から「弟に電話した」と知らされたことを教えてくれた。そして姉に嘘をついて出かけたことと、彼にも嘘をつかせてしまったことを謝った。

 

覆水盆に返らず。彼は原因や責任を追及するよりも、起きてしまったことは仕方がない、次はそういうことにならないようにしていきましょう、と比較的前向きに考える性格だ。

だから、今回も彼は「いいよ、いいよ。母さんたちの気持ちもわかるし」と答えた。

それでも、やはり「これは一言言っておくべきだ」と思い、「でもやっぱ嘘つくのは姉さんに悪いし、会いに来てくれるのはうれしいけど、嘘ついてまで来るのはちょっと違うと思う。今度からはちゃんと説明してから来るようにしてほしい」と2カ月越しに伝えることができた。

 

「そうだよね。ごめんね」

申し訳なさそうな母の声を聞くのは、彼もつらかった

 

「そうだよね」。今度は自分に言い聞かせるように、彼の母親は繰り返したという。

「だから母さんね、もう嘘つくのはやめようと思ってさ」

彼の母親はこう続けた。

 

 

「母さんね、これから家を出ようと思って」

 

 

 

 

つづく。