通勤の途中、駅の近くのベンチのようなところに杖がぽつんと置いてあった。

周囲には誰もいない。

 

ちょっと待てよ。おかしい。

その杖はもともと誰かが使っていたはずだ。

 

 

よっとこ、よっとこ、言いながら腰を曲げて、杖をついて歩くじいさんを俺は思い浮かべる。

じいさんは敬老パスを使って地下鉄に乗るためにやってきたが、駅の手前にベンチを見つけ、ちょっと一休みしてから電車に乗ろう、と考えた。

じいさんは80歳を過ぎてから急に足腰が思うように動かなくなった。動悸、息切れ、めまい。若いころには市販薬のCMでしか耳にしたことのなかった症状が、最近は毎日自分を襲うようになり、外出するときに杖が手放せなくなっていた。

じいさんはベンチに腰掛ける。まだ少し肌寒さは残るが、春めいた日差しがじいさんを包む。

そうして数分もしないうちに、じいさんは眠くなってきた。

3年前に死んだばあさんは、一度もじいさんの夢に出てこない。亡くなる前日までじいさんに「靴下をひっくり返して洗濯物に入れるなって何遍言えばわかるの」などと小言をぶつけてきたばあさんなのに、次の日の朝には隣の布団で呼吸を止めて冷たくなっていて、じいさんは腰を抜かしたものだった。

どのくらい時間が経っただろう。じいさんはまどろみから覚めると、昼飯と晩飯を買うために地下鉄で近くのデパートに行こうとしていたことを思い出す。

そろそろ行くか。じいさんは立ち上がる。よっこらどっこい、どっこいしょ。

「よっこらしょ」でも「よっこらどっこいしょ」でもなく「よっこらどっこい、どっこいしょ」が最近のじいさんが立ち上がるときのリズムだった。

そしてじいさんは駅の改札に通じるエスカレーターへすたすた歩き出す。杖を置いて。

 

 

杖が置き去りにされたのは、まあたぶんこんな理由だろう。

きっとじいさんは杖がないと歩けないと思い込んでしまっていただけで、ほんとうはまだ自分の足でしっかり歩くことができたのだ。

もし本当に杖が必要だったならば、立ち上がって数歩歩いたところでバランスを崩すなどして杖の必要性を思い出したことだろう。

そうではなく、そのまま杖を置いてどこかに行ってしまったんだとすれば、じいさんにははじめから杖など必要なかった、ということなんじゃないだろうか。知らんけど。

 

 

 

そんなことを考えながら職場に行って仕事をしていると、後輩の女の子から電話がかかってきた。

この後輩のことは以前ブログで書いた。まあこのブログ自体、すべて妄想で書いているので実在するのかどうかは怪しいところだが、俺がかつて教育係を務めていた、爆笑するとちょっぴり魔女みたいな笑い方をする後輩の女の子だ。

 

俺は半年前に転地異動しており、その後輩と毎日顔を合わせることはなくなっていた(送別会の別れ際、後輩は泣きながら俺の胸に飛び込んできた。これは事実)が、時々仕事の相談の連絡をよこすことがあったので、きょうもなにかの相談事だろうか。それか、少し前に後輩が韓国出張に行くと聞いて、「海外出張はチェックが緩いから、食事も土産も全部経費で落とせばいいよ」などと俺が送ったメッセージを真に受けて、帰国して精算しようとしたらストップがかかって「先輩どうしてくれるんですか」的な責任問題に発展したりはしてないだろうな、などと思いながら電話をとった。

 

「お~、久しぶり」

「お久しぶりです。いまだいじょぶですか」

「いいよー」

韓国でうまいもの食べてきたかい、と聞く前に後輩は切り出した。

 

「実は、仕事辞めることにしました」

 

いつものように自信なさげで、寂しげで、でも覚悟を決めたような声だった。

 

俺は悟った。

これは相談じゃなくて、報告なのだと。

 

 

それぞれの人生がある。会社に残る人間が正しくて、会社を去る人間が間違っているなんてことは絶対にない。俺なんて「こんな仕事辞めてぇな」と毎日思いながら10年以上経ってしまっている。誰かに謝る必要なんてない。得るものよりも、失うものが大きいと感じる仕事を続ける必要もない。だけど、だけども、これは辞めないでほしいってことじゃなくて、ひとり言みたいなもんだけど、もう一緒に働けないってのはさみしいなぁ・・・。いま俺おじさんみたいなこと言ってるかな? ナーンチャッテ!

 

 

 

だいたいこんな感じのことを話した。

以前のブログにも書いたけど、関わりのあった後輩が辞めるのは初めてではない。

でも、この後輩は特別だった。息子が2人生まれて、会社でも多少の責任ある立場になって迎えた最初の後輩であり、いくつもハードルを一緒に乗り越えてきた気がしていたからだ。

 

 

一緒に働いていたころ、後輩が辞めそうになったことは何度かあった。

 

あるとき。俺からすれば「別にどうでもいいじゃん」という程度の話で、後輩は別の上司にしつこく怒られ、彼女は職場の自席で泣き出してしまった。

日付が変わるか変わらないか、くらいの時間だったと思う。後輩が泣き止んだころ、俺は「お腹空いたからご飯食べいこう」と誘い、びっくりドンキーのハンバーグとミニソフトクリームを一緒に食べた。

「支社って本社の下請けみたいなとこあるからさ。別に気にしなくていいよ」。何の気休めにもならない慰めの言葉に、後輩はわかったような、わかってないような表情でうなずいた。

 

 

あるとき。後輩は言いづらそうに、取引先の高齢男性からセクハラまがいの行為を受けていると打ち明けてくれた。俺はその聞き取り自体がセクハラになるんじゃないかという気がしつつ、「それは具体的にどういう行為?」と聞いたりした。何かの拍子に肩や手を触ろうとしてくるというような詳細を聞いて、もしかしたら先方は孫とのスキンシップのような感覚でセクハラの自覚はないかもな、と思いつつ、された側がセクハラと受け止めたらそれはセクハラだよな、という気もした。

俺には判断がつかなかったので、後輩にその話を管理職に伝えていいかと確認して、そのまま聞いた話を管理職に報告した。管理職はその高齢男性と懇意にしていたが「そんなやつのところにはもう行かなくていい」と言った。俺はその言葉に安堵したが、管理職は言った。「ただ、俺がまたその話を彼女に伝えたり聞いたりしたら、また傷つけてしまうかもしれない。行かなくていい、ってお前言っといて」と。

俺は伝書鳩かよ、と思いながら、後輩にそれを伝えると少しだけほっとした表情を浮かべていた。ただの伝書鳩で終わるのも悔しいので、後輩にはこんな言葉も伝えた。

「社会人である前に、尊厳ある一人の人間であることを忘れるな」

 

むかしの偉人じゃなくて、俺の言葉なんだけどな、と言ったかどうかは覚えていない。ちなみに取引先はその後、閉店した。理由は知らない。

 

 

 

あるとき。ちょっとだけ面倒な仕事を前に、後輩は途方に暮れていた。

まだ急ぐ時期でもないのに、ケツの穴の小さいマウンティング上司が「いつ完成するのか」などと急かしまくっていた。後輩は俺に打ち明けた。

「無理です。もうできません。自信がありません」

 

俺からすれば後輩は十分に準備を進めており、あとは周りのフォローでどうとでもなるように思えた。なら、あとは辛抱強く待って、本人が形にするだけだ。俺は後輩の不安をひとつひとつ聞いて、そのひとつひとつに、解決策を提案していった。打ち合わせルームで2人で話しているうちに、2時間くらい経っていた。

 

数カ月後、後輩の仕事は無事に世の中に発信された。

マウンティング上司には、別の人間を通じて、飲み会の場で「だからお前は結婚できねぇんだ。後輩いじめをやめろ」と言ってもらった。後日、後輩は「あのひと急におとなしくなりました!」と喜んでいた。

 

 

 

あるとき。休日に職場の4人くらいでボウリングに行って、俺は後輩とペアの席だった。

親が教員で比較的厳しい家に育ったという後輩は、ほとんどボウリングをしたことがなかったという。

そんな後輩がよたよたした足取りで、7ポンドくらいの球をどうにかゴロゴロと転がし、球はとろとろとレーンを進み、ぱたぱたとピンを倒して、奇跡的にストライク。

目を丸くして喜ぶ後輩とハイタッチしながら、俺はボウリングというものを考えたひとに心からの称賛を送りたいと思った。

 

 

 

 

退職すると打ち明ける後輩の話を聞きながら、ここ数年のことを思い出していた。

「お前はあの子にとっての精神安定剤だな」と笑う同僚もいた。

 

 

 

もう少し早く相談してくれれば、という気持ちが生まれる一方で、俺がずっと後輩の横に居続けられるわけではない以上、俺に引き留める権利はないように思えた。

 

 

 

電話をしていた20分くらい、後輩はずっと涙声で、俺は魔女みたいな笑い声を聞くことはできなかった。

「またね」と言って切った電話のあとに感じた、この喪失感。

なんだか懐かしい痛みだった。正直に言うと、失恋に似ていた。

 

 

 

帰り道。

駅の近くにベンチに置き去りにされていた杖はなくなっていた。

俺は混乱する。どういうことなのだ。

 

 

なにをすべきなのか、なにをすべきだったのか。

答えはわからないまま。それでも人生は続くのだ。

 

 

「プロフェッショナルとは、ケイスケホンダ」

 

何年か前、NHKのドキュメンタリーで本田圭佑はインタビューで「プロフェッショナルとは?」と聞かれてこう答えていた。

ビッグマウスで知られる本田の言っている意味が当時はよくわからなかったが、自信にあふれたその表情はずっと記憶に残っていた。

 

 

その言葉を思い出したのは、プロレスの試合後インタビューの動画を見ていたときだった。

昨年末、鈴木みのるが鈴木軍の解散を発表した。プロレスを知らないひとにはなにを言っているのかわからないと思うけど、鈴木軍の解散というのはプロ野球の球団が1個消滅するくらい衝撃だった。

さまざまなプロレス団体で10年以上暴れ回り、新日本でもノアからの移籍、飯塚の引退、永田やライガーとの死闘など爪痕を残してきた鈴木軍。50歳を過ぎてなおバリバリ現役の鈴木を見ていたら、ユニットがなくなるなんて想像もできなかった。

 

鈴木軍の解散を発表した試合後のインタビューで「鈴木選手にとって鈴木軍とは?」と聞かれた鈴木はこう答えた。

 

「鈴木軍とは、鈴木軍なんだよ。以上だよ。なんだよ。それ以上でもそれ以下でもねーだろ」

 

 

 

それから少しして、ELLEGARDENというバンドのドキュメンタリーを見ていた俺は、また本田と鈴木の言葉を思い出した。

このバンドは人気絶頂だった2008年に活動を休止。知らないひとには「誰?」って感じだろうけど、当時の俺にとっては、自分の故郷の村が合併でなくなると聞いたときと同じくらいの衝撃だった。

俺はセカンドアルバムが最高だと思っていて、高校時代に付き合っていた彼女から携帯電話にメールを受信すると「風の日」の着メロが流れるように設定していた。着メロ!

 

ドキュメンタリーでは、別のバンドでボーカルをしていた細美武士が「指輪」を歌う声にほかのメンバーが惚れ込んでメンバーに加えたことや、「風の日」の歌詞は細美が飼っていたハムスターが死んだ日に書いたことや、活動休止のときなにが起きていたかとか、バンドの結成から活動再開後の現在に至るまでをメンバーに丁寧にインタビューしていて、知らない話ばかりで新鮮だった。アマプラで視聴できます。(ちなみに俺は自分がアマプラに加入していることを10年くらい忘れていて、年間4900円×10年を無駄払いしていたことに最近気が付きました)

 

 

そしてドキュメンタリーの最後に「細美さんにとってELLEGARDENとは?」と聞かれ、細美はこう答えた。

 

「俺にとってELLEGARDENがなんなんだ、じゃなくて、俺がELLEGARDENのボーカルなんだよ、って気分ですかね」

 

 

 

本田も鈴木も細美も、みんな違うことを言っているけれど、本質的には同じことを言っているような気がした。圧倒的な努力に裏打ちされた「自分こそがプロ」という自負、とでも言えばいいのだろうか。

 

 

 

いつの日か。

俺も「あなたにとってプロフェッショナルとは?」と聞かれる日が来るかもしれない。

俺は少しだけ目をつぶってから、こう答えるだろう。

 

「これまで歩んできた人生そのもの、ですかね」

 

 

そんな俺の好きな言葉は「備えあれば憂いなし」です。

 

 

雪のちらつく帰り道。シャーベットのような雪をしゃくしゃくと踏みしめて歩いていると、むかしのことをふと思い出した。

 

 

 

あれは10年以上前のクリスマス。社会人1年目だった俺は出張先にいた。

その年は秋のはじめに付き合いだした彼女と一緒に過ごすはずだったが、運悪く出張と重なってしまい、お互いリーマンショック直後の就職難時代の新社会人ということもあって「しょうがないよね」「帰ってきたらケーキでも食べようぜ」とか物わかりのいいことを話していたと思う。

 

現地での仕事を終えてビジネスホテルにチェックインの手続きを済ませると、フロントスタッフはこんなことを言った。

 

「746さまにお届け物です」

 

 

宛名に俺の名前が記された小包。

漢字の「へん」と「つくり」が少し離れた見覚えのある字。

表情が緩みそうになるのをこらえながら「ああ、はい」と努めて冷静に答える俺。

 

気恥ずかしくて、フロント係の顔を見ることはできなかったけれど、たぶん「若いっていいなあ」という穏やかな表情をしていたんじゃないかと思う

 

部屋に向かいながら、出張前に彼女からどのホテルに泊まるのか聞かれた気がすることを思い出した。不覚。一本取られてしまった。

 

小包のなかには、紺色のカーディガン。

もともと俺が持っていたグレーのカーディガンの色違いのものだった。

 

「なんかさ、きょうホテルにサンタさん来てたさ」

「へえ~、そうなんだ」

 

とぼける彼女の声をガラケー越しに聞きながら、早く会いたいな、と思った。

 

 

人間の記憶はパソコンやスマホみたいに容量を増やすことはできない。

新しいデータが入力されれば、古いデータは消去されるか、記憶ボックスという引き出しの奥の奥に押し込められていく。

 

毎日毎日、やることはたくさんある。

むかしの思い出なんて、道端の石ころほどの役にも立たない。

 

それでも、忘れてしまうなんてさびしいじゃないかと思う。

あの一人で過ごした心温まるクリスマスの夜の記憶は、俺になにか大事なことを教えてくれているような気がする。

そういう、どうでもよくて、はかなく、すこしせつない記憶をこれからも書き残していこうと思う。