『伝承者』 | クライストのROCK ON♪

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自分の思い入れや思い出の曲、名曲等を洋楽中心にを紹介させて頂きます!音楽を流しながら読んで下さいね♪♪ 
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おはよう&こんにちは&こんばんは!

今日のここ広島尾道は、青い空が広がり、真夏の太陽が容赦なく降り注いでいます!
8月に入り、ここ広島では、8月6日の原爆の日が近づき、連日ローカルニュースでは、平和、原爆、放射能についてのニュースが報道されています!
きっと、被爆地長崎でも同じではないのでしょうか?
ただ、残念なのは被爆国日本で、この2県だけが原爆についての報道をしている事です…
広島では、1年を通して原爆関連の報道をしています!
それは、被爆者の方々の事、核実験等の事、放射能等の事、そして原爆を「伝承」する事!

戦後、多くの被爆者の方が放射能に苦しみながら亡くなっていきました!
被爆体験をされた方々の多くは、この世を去り、今、その伝承者の育成に力を入れています!
戦争も原爆も経験の無い、我々にその体験を未経験の若者達が伝えて行こうとゆう試みです!
ある意味、わしもその中の一人……
父親が被爆者であり、小さな頃から原爆の恐ろしさを伝え聞き、少しでもそれを役に立てれば良いかなって思っています!

15歳になった父は、汽車に乗り広島(広島市内)へ働きに出る事になりました!
末っ子で、姉2人、そして兄2人の5人兄姉!
長男の兄は、戦場へ行き、姉2人は女学校に通っていました!
父の夢は、軍隊に入り零戦に乗る事が夢だったそうです!
身長が足らなかった事で、その夢は破れ、貧しい事もあり学校にもろくに行けず、広島の工場へ働きに出る事になったそうです!
まだ15歳……もう何十年も昔の事なんだけど、今でも時々父は思い出した様に言います…
『尾道を発つ駅で、お母さんが手渡してくれた巻き寿司が一番美味しかった…』
それを、涙を流しながら電車の中で食べたそうです……
そして8月6日……
原爆投下地点から4キロ離れていた工場内で働いていたそうです!
その工場は、迫撃砲の弾を製造していたと……
その瞬間の事は、覚えていないそうです……
ただ、工場の建物自体はしっかりした作りだったそうで、屋根は残っていたとまでしか教えてくれませんでした!
そして、外に出た時の周りの光景は、言葉では伝える事が出来ない惨事だったと……
あの去年の、『大震災のあの光景そのものだった…』
工場内に居た事もあって、外傷はなく15歳の父は、何があったのかを悟るまでに少し時間が掛ったそうです!
ただ、その光景を目にした事で、ただならぬ事が起きた事だけは、理解出来たそうです!
後日、尾道へ帰る様にと言われ、一緒に働いていた3人とで歩いて尾道へ向かったそうです!
その時に、渡された物……マスクだけだったそうです!
東へ向かい、汽車に乗る事も出来ず、瓦礫となった市内を歩いている時、目を反らす光景が視界に容赦なく飛び込んで来たそうです……
人とは思えない黒焦げになった死体、全身が火傷でただれ動けなくなった人、表現の仕様のない惨事がそこにはあったそうです…
中でも酷かったのが、墓石に覆いかぶさり、その顔の肌がただれ落ち、墓石にひっついていたその光景は、目に焼き付いているそうです……
歩く事数時間、西条の手前まで来た時、お腹を空かせて休んでいると、農家の30代の女性が声を掛けて来てくれ、父達におにぎりと数枚の沢庵をくれたそうです!
その優しさと、今まで見て来た光景を思い出すと自然と涙が出て来たそうです……
お腹は空いてるけど、食欲はない…ただ、生きて尾道へ帰りたい!とその思いだけで、そのおにぎりを食べたって……
運良く、父達は西条から汽車に乗れたそうです!
そして、ここからが父の悪夢だったそうです……
尾道へ帰ってから、3日後、再度広島へ来る様にと伝達があり向かったそうです!
そして、その仕事は……
太田川の河川敷で、死体を焼く仕事だったそうです……
腕を掴むと、ずるっと剥け、異臭が漂い、山積みになった黒焦げの死体にガソリンを掛け焼く仕事だったのです……
その光景は、言葉では言い表せないと言ってました……
今でも、夢を見るそうです……
生きる為にした行為だけど、今でも心苦しいって……
15歳です!まだ、子供です!
そんな父は、その時の事を殆ど、語ることはありませんでした!
それは、言葉で言い表し、伝える事の出来ない出来事……
それくらい、酷い惨事だったのだと思います!
ただ、時を重ね、ここ数年、少しずつ語ってくれる事があります!
それは、わしと姉が被爆2世になっている事もあると思います…
そして、甥っ子は、3世となる事……
今、我が家族には、原爆による影響は、殆ど無い様に感じています…
それは、身体的な事であるけど、父にはトラウマとなって今も心に傷を負っている様に感じます…
戦争によって日本中の人々が、何かしらの傷を負ったのも事実!
それは、原爆だけじゃなくて、戦争そのものによって多くの人々が亡くなっていきました…
その戦争被害者の人達の戦後の頑張りによって、今の日本がある事を忘れてはいけません!
8月6日…ここ広島では、多くの殆どの学校が登校日になっていると思います!
それは、平和学習の為!原爆の怖さを伝承する為!
わしが、幼稚園の頃から8月6日は、登校日でした!
それが、当り前!日本中全ての学校が同じなんだと思っていたのだけど…違っていました…
驚きであり、とても残念で、今の教育の現場の指導者に、怒りさえ覚えた程です!
それは、政府の「喉もと過ぎれば…」って事ではないのかと思う事もありました!
震災により、放射能の被害の恐ろしさを、多くの人が知ったと思います!
ただ、事実を誤認している人も多くいるのも事実です!
「放射能がうつる」とか……大の大人が言ってる事です!
それは、原爆の恐ろしさ放射能の恐ろしさを、今まで教育の中で教わる機会が無かったからだと思います…
だから、今、平和の祭典オリンピックが開催されている時にこそ、原爆、戦争がこの世に必要の無い事を学習する必要があるのではないかと感じています!

『伝承者』……その時あった事実を伝える事は、簡単な事!それより、父や被爆者の方々の原爆によって起きた事や原爆や平和についての思い、感じた事を少しでも伝える事が出来ればって思います!
8月6日が近づき、少しでも多くの方に、67年前の惨事を気に掛けてもらえればと思います!

       なげ~の読んでくれてありがとうござます