私の結核治療(1) | 食道がんと闘います

食道がんと闘います

65歳食道がんサバイバー。
初発は2013年、ステージ3aリンパ節に転移。
手術で切除し抗がん剤治療。
しばらく無事でしたが2016年に肺転移、切除手術。
以来、異常はありません。
定年退職後、大学で医療系を学び卒業、再度就職するも3か月で解雇、その後思いきって開業。

さて、私の結核治療の経緯につきまして。

年も押し迫った12月26日金曜日、入院しました。

以前にも書きましたが、病院まで公共交通はおろかタクシーも使えないということで、保健所が民間の患者搬送車をチャーターしてくれまして、朝の9時30分に自宅出発、11時に病院到着、新型コロナとインフルエンザの陰性を確認した上で入院しました。

夜に担当医から説明があり、明日、つまり12月27日から早速、抗結核薬の服薬を開始するとのことでした。

翌27日の朝食後、その日の担当の看護師から服薬についての説明を受け、すぐに服薬を開始。

抗結核薬4剤、すなわち

・イソニアジド

・リファンピシン

・エタンブトール

・ピラジナミド

これに加えて末梢神経障害を予防するためのビタミンB6剤、さらに私の日常薬ともいうべきネキシウム、クエン酸第一鉄。

これらをまとめて飲みます。

これを、DOTSという方法ですが飲み残しがないよいう看護師さんの監視の下で服用します。

看護師さんは服用の記録をその場で取っていきます。

以前も記しましたが、結核治療においては耐性菌の発生に重大な予防体制を取っており、例えば抗結核薬を飲んだと言っては実際には飲んでいない、飲み忘れてしまった、そういったことを起こさないために厳重に服薬管理をしているというわけです。

常識的な患者に対してそこまでしなくてもという感じもしますが、例えば認知症の入った高齢者、ことばの通じない外国人、そういった人にも間違いなく飲んでもらわないといけません。

普通の病気であれば自己責任と言っていれば済みますが、そこは結核のこと、完治しない人を野に放つわけにはいきませんし、自ら完治しないことを選んで病院に居座られたのではいつまでたっても公費で養っていくのと同じことになってしまいます。

無理やりにでも治して早く出て行ってもらう。

これが病院側の基本的なスタンスであろうと思います。