繰り返しとなりますが、自分のがんの治療方法を自らの意思で選択し、しかしこれでよかったのだろうかと今になって迷っている人、選択を誤ったと後悔している人、気分を害されるかもしれないのでそういう方は読まないで下さい。
このテーマについて語るのであればどうしても「川島なお美」さんが想起されてしまいます。
若い人はご存じないでしょう。
40歳台くらいの方ならあるいはご存知かもといったところでしょうか。
クイズ番組「アイアイ・ゲーム」のマスコット的キャラで注目されて後に俳優に転じられ、確か「失楽園」だったか「愛の流刑地」だったかのヒロインを演じておられたと思います。
ワイン愛好家としても有名人であった方で、「私の体はワインでできている」という名言(迷言?)を残していらっしゃいます。
肝内胆管がんという悪性の腫瘍のため54歳でお亡くなりになりました。
ここは記憶に頼らず正確に書きたいので、以下ちょっと調べて記します。
・2013年8月に肝内胆管がんが見つかり、手術および代替策としての抗がん剤治療も拒否。
・その1か月ほど後、近藤誠先生のセカンドオピニオンを受ける。
・2014年1月に一転して切除手術を受ける。しかし術後の抗がん剤治療は拒絶。
・その後は高濃度ビタミンC点療法や食事療法、ごしんじょう療法などの代替療法を行なう。
・同年7月、再発。
・同年11月、死去。
そもそも肝内胆管がんというのは発見も難しく予後もよくない、なかなか難しいがんなのだそうです。
ですので、もしあの時点でこうしていれば、のような「たら、れば」の推測も困難です。
しかし気になることがいくつもあります。
がんの発見時に手術および代替策としての抗がん剤治療も拒否されたのはなぜか。
担当の医師は積極的な治療を勧めたのではないかと思われますが、始めはそれを拒絶した。
本当にご自身の強い意志で治療を拒まれたのでしょうか。
私は何となく第三者の介入を想像してしまうのです。
そしてこともあろうにかの近藤誠先生のセカンドオピニオンを受けている。
これは偶然のことでしょうか。
いや、そうではないでしょう、たまたま近藤誠先生のセカンドオピニオン外来を受診したのではなく、近藤誠先生ならこう言ってくれるはずだという前提に従ってセカンドオピニオン外来先を選択しているような気がします。
「近藤誠」の存在をよく知っている人の意見に強い影響を受けていたのではないか。
まったくの想像ですが、がんもどきなら放っておいても進行しない、進行がんであれば手術や化学療法は余命を縮めるだけである、結果的には何もしない方がいい、近藤誠先生からはなんかこんな説明を受けたのではないかと思うわけです。
しかしその後に積極的な治療をした方がよいと猛烈に勧める人が出現し、その結果、一転して発見から5か月後に外科手術を受けることとなった。
この5か月の重みというのは私にはわかりません、もしも発見されてすぐに外科手術を受けていたならば。
まさに「たら、れば」の世界のことです。
加えて術後の抗がん剤治療を拒絶し、民間療法に突き進んでしまったという背景はまったく理解できませんが、やはり第三者の影がちらついているような気がしてなりません。
亡くなられた人のことをどうこう言うのは気が引けるのですが、どうもいろいろな人が自分の考えや信念を披瀝し、あるいはミスリードして、迷走を重ねた末に余命を縮める結果となってしまったように思われます。
近藤誠先生は、切除手術を受けなければ余命がさらに延びた可能性が高いと述べておられるそうですが、これは「がんもどきかと思ったらそうではなかった、ごめんね」といっているのに等しいと思うのですが、いかがでしょうか。