村上春樹さんの文章はエッセイや紀行文もいい。

活字の向こう側からその旅にまつわる香りや訪れた土地の景色が立ち昇ってくるようでクセになる。

 

 

 

 

 

「アメリカ」(ボストン1・2、オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド、ニューヨークのジャズ・クラブ)、「アイスランド」、「ギリシャ」(ミコノス島・スペッツェス島)、「フィンランド」、「ラオス」(ルアンプラバン)、「イタリア」(ドスカナ)、「日本」(熊本1・2)の7つの国で、11の紀行文が掲載されている。

 

 

このなかで、私が行ったことがあるのはニューヨークと熊本ぐらい。

でもそれ以外の場所も読んでいるとなんとなく身近に感じられるから不思議。

 

 

どれもそれぞれ素敵な肌触りのエピソードで面白かったが、なかでも「大いなるメコン川の畔で」(ルアンプラバン ラオス)は強く印象に残った。
 

村上春樹さんがおススメするのは寺院巡り。

街に物語(そのほとんどは宗教的な)が満ちいるという。

多くの物語が人々の意識の中に集合的にストックされ、その物語を前提としてコミュニティーが出来上がり、人々がしっかり地縁的に結びつけられていることに感動されていた。

 

そして次のように書く。

 

"「宗教」というものを定義するのはずいぶんむずかしいことになるが、そのように固有の「物語性」が世界認識のための枠組みとなって機能するということも、宗教に与えられたひとつの基本的な役割と言えるだろう。当たり前のことだが、物語を持たない宗教は存在しない。そしてそれは(そもそもは)目的や、仲介者の「解釈」を必要としない純粋な物語であるべきなのだ。なぜなら宗教というのは、規範や思惟の源泉であるのとどうじに、いやそれ以前に、物語の(言い換えれば流動するイメージの)共有行為として自主的に存在したはずのものなのだから。つまり、それが自然に、無条件に人々に共有されるということが、魂のためになにより大事なのだから。"

(P180.L10〜17)

 

 

「宗教」は私もいろんな意味で思考の対象となってきたが、この表現が沁みた。

何度も読み返した。

 

 

そのくせ、「あとがき」まで読み通して私の脳裏に浮かんだのはこの地球の大きさだった。

 

例えば、オーストラリアは今までに何度か旅行しようと思いながらもまだ未踏の地なのだが、同じ島国ながらその大きさは日本の20倍くらいある。

けれど、日本が小さいとはいっても、今、少し高い場所から遥かを眺めたところで、見渡せるのはせいぜい数十キロぐらいで、沖縄なんて見えやしない。

 

オーストラリアはもちろん、世界は広いのだなとあらためて思い知る。

 

 

世界にはほんとに何があるんだろうね( ̄▽ ̄;)