第32回FNSドキュメンタリー大賞作品。

 

 

 

 

結局両親を、病院と施設に任せっきりで看取った不肖の息子の私は、感動なのか、悲しみなのか、後悔なのか、いろいろな思いが交錯し、涙ボロボロ。

 

病院での面会もままならなくなってきたコロナ禍の時代に、家で最期の時を迎えたいという患者さんや、最期まで寄り添うと決めたそれぞれの家族の想いに寄り添う映像が心に沁みる。

 

「死ぬのではなく、最期の日までその人らしく生きる」ためにと松本市で訪問診療に取り組む瀬角英樹医師は語る。

 

 

もちろん、どうしたって喪うことは悲しい。

でもどう喪うか、どう悲しむかは選べる。

その選択は残された家族のこれからに生きるのだろう。

 

 

母も、脳梗塞で失語するまで、いつも「家に帰りたい」と言っていた。

施設を抜け出して家を目指し、途中で歩けなくなりラーメン屋さんンの前でしゃがみこんでいるところを店の方に助けていただいたm(__)m

 

父はそんな母を「遺して逝けない」と無理を承知で胃瘻を決断したが、それもかなわずただ無為にベットで余命を潰し、最後は点滴の管を鼠径部から引っこ抜き、枯れるようにして逝った(;゚Д゚)

 

「死ぬのではなく、最期の日までその人らしく生きる」

その言葉は重く私にのしかかる。

 

そう私は彼らの最期を看取ってはいない。

たぶん、その仕打ちは私に戻ってくるだろう。

あの喪い方が、悲しみ方が、あのときの選択が、これからの私の死にざまを決めるのだろう。