2010年の堀北真希さん、2014年の有村架純さんに続き3度目の公演。
私はどちらも見られなかったので今回が初見。
(ネタバレを含みます。後注意を。)
見事だった。
シンプルで機能的な構造の舞台はそのままに、装置、照明、音響、映像を駆使し、まさに縦横無尽に使い尽くす演出は有機的で、臨場感たっぷり。
100人近い戦士(これほどの人数が立ち回る舞台は初めて見る)が入り乱れ、観客席から舞台までを駆け抜ける迫力と、城や牢屋、心象風景での静謐なるシーンの対比が印象的。
小関裕太さんをはじめ、神保悟志さん、岡田浩暉さん、榎木孝明さんなど実力者が脇を固める中、ま、主役だから当たり前と言ってしまっては身も蓋もないが、ジャンヌ・ダルク(清原果耶さん)が文字通り光っていた。
初舞台・初主演とハードルを上げられた中、それを超え遥か高みへと翔けた2時間半に拍手を送りたい。
清原さんの凛とした気高さは得難い資質だろう。
神の啓示を得ての毅然とした言動には迷いがなく、祖国を、民衆を救おうと旗を振る姿は美しく、まさに神々しい。
シャルル7世の妹という設定や、突然神の声が聞こえなくなるあたりの物語の揺らぎとその後の展開にはやや戸惑うところもあるが、後半ブルゴーニュ公国に捕えられてからの史実としてのジャンヌ・ダルクを考えれば適っているのかもしれない。
異端審問、牢屋、そして最後の時へと、その凄みはさらに増し、神秘的な気配すら身に纏っていく。
覚悟を決めてから最後の火刑の瞬間まで、神へと捧げる献身に微塵の揺れも見せないジャンヌ・ダルクに見惚れた。
2度目のカーテンコールで、もう観客は総立ち。
しかし、清原さん、小関さん始めキャスト全員がその賛辞にもたじろがず毅然とした表情を崩さなかったのも印象に残った。
最後のカーテンコール、客席全体を左から右へゆっくり嚙み締めるように見渡したジャンヌ・ダルクそのままの清原果耶さんの瞳は潤んでいた。
13才で神の声を聞き、17才から約3年ほど仏軍を率いて戦い、19才で処刑されたとされるジャンヌ・ダルク。
フランスはおろか世界中に知れ渡る「オルレアンの乙女」は、のちにカトリック教会の聖人に列され、宗教的シンボルとして、歴史上の人物として語り継がれてきた。
舞台は、史実をなぞりながらも、偉人とか、聖女とか、教会の象徴という側面以上に、ただ懸命にその胸に抱えた強い思いを貫いた生身のジャンヌ・ダルクを描いて見せた。
私は配信の舞台を見ながら、ずっとひとりの乙女の敬虔なる精神と信念と熱情に、それ故に訪れる酷くも哀しい運命を嘆いた。
まだ17,18の少女が恋も夢も語らず、公衆の面前で辱めを受け、命を賭して戦い、火炙りにさせられる不条理に、それが史実だから抗えないことが辛かった。
もちろん、時代も国も宗教もそれぞれだ。
私は無神論者だし、宗教にはそれゆえの救済とともにそれゆえの危険性もあることを知っている。
事実、今も中東では神の名のもとに今も多くの悲劇が生み出されている。
神がいるなら、そして神が全能だと言うのなら何故この無垢な少女は焼き殺されなければならないのか。
戦争がなくならないのか。
結末の決められている歴史モノはその意味で大きな制約の中にある。
しかし、時や場所は違っても、そこで必死に生きたそれぞれの人のリアルな感情は今の私たちと寸分も違わないし、むしろその時代の制約の下でより苛烈である。
清原果耶さんのジャンヌ・ダルクでその意味を改めて教えられた。
さて、長くなったが、蛇足と知りつつ、もう一つ。
個人的にドラマの頃からその高い演技力、存在感に刮目してきた役者さんだから、初の編集も撮り直しもきかない生の舞台がどうなのか、どうしても観たかった。
しかし、抽選は悉くハズレ。ほとんど諦めながら一縷の望みを配信に託していた。
だから配信決定の報に、マジで小躍りした。笑。
そして配信映像がまた良かった!
もちろん劇場で見る舞台の面白さは格別である。
私自身、今年も10回以上足を運んだ。
しかし、歳を取りその脚が言うことを聞かなくなり、さらには目も霞み、耳も遠くなった。
「何をその若さで」と諸先輩方には怒られそうだが、長年の無理がタタリ、100メートル歩くだけでも脚は軋み出し(おそらく30代の腰の手術と激務が原因。)、立っていられなくなる。
30代後半から始まった老眼もひどいし、30年以上騒音の中で働いてきて、毎夜耳鳴りにさいなまれている。劇場10列目以内でも台詞がなかなか聞き取れない舞台が多い。
もちろん、そんな私の些末な現状はどうでもいい。
ただ私にとってこの配信がどれだけ有難かったかという感謝を伝えたいだけである。
演出の方が舞台の隅々まで配慮されているのは重々承知だが、それでもジャンヌ・ダルクやキャストのみなさんの表情まで細かに映し出され、イヤホンを使えば言葉もほとんど聞き取れ、とても嬉しい。(聴き逃しても、もう一度リピートもできるのだ!)
舞台芸術論や演劇論とかじゃなく、単純に身体が不自由になりつつある老人の感謝の念であるm(__)m