最近トイレでは主に読んでいるのは『田中慎弥の掌劇場』(田中慎弥/朝日新聞社)。
お風呂では『遠い記憶』(村上春樹/講談社文庫)。
今日は休みでいつものようにトイレを済ませて一時間ほど長湯をした。
なんの加減だろう?
『・・・掌劇場』の「扉の向うの革命」で1970年の作家Mの自決に触れる箇所があり、『・・・太鼓』の「ティタニア映画館の夜は更けて」の中にクリント・イーストウッドの主演したマカロニ・ウェスタンのポスターの話が出てきたからだろうか。
ユニット・バスの中で不意に幼い頃にタイム・トリップしたような思いに耽った。
そう50年前の記憶。
軽く目を閉じるとスーッとどこかの河岸にまで連れて行かれそうな狂おしい切なさで一杯になる。
多分、いつか死にかけた時、こんな感じになりそうな・・・。
いつも最初に浮かぶのは茶の間の炬燵の周りを跳ね回っている自分。
祖父母におだてられて落語の真似っこなんかしていた。(しかも、いまでもそのネタを覚えてる!)
次に浮かんだのは「ロー・ハイド」(今知ったけど、若き頃のクリント・イーストウッドが出演してたらしい)かなんかのカウボーイ・ハットの青年の描かれたメンコ(津軽弁では「ビタ」という。たぶん打ち付ける音からの命名。そういえば「パッショ」と呼んでいた小さなメンコも小学校の頃流行ったなぁ)。
当時流行っていた西部劇(なんかね。燃えた革の地図の向こうから馬に乗った主人公たちが登場するの。)をそのビタを懐かしむたびに思い出す。ほとんど忘れたけどテーマ・ソングも好きだったな。
そう、これと山城新伍さんの「白馬童子」の2枚は特に大事にしていたんだ。
なんか紙の質が違うんだよね。
これと「靴隠し」がそのころの遊びの定番だったと思う。
20センチ四方ぐらいの紙の箱に特に大切にしていた十数枚を入れておいたのだが小学校の低学年ぐらいのとき何故か紛失。
高校生ぐらいまでは事あるごとに探してた。
その2枚は今でも覚えている。
本当にショックだった。
だって今回の実家の改築のときもありそうなところを探したもん。
50年近く前の探し物があったら感動だよね。
・・・でも出てこなかった。
久しぶりに幼馴染のK君のことも思い出した。
何故か隣町のキリスト教系幼稚園に当時部落で2人だけ路線バスで定期持って通ってた。
なんでだろう?
一度母に聞いたが「暴れん坊だった」みたいな答えしか返ってこなかった。
最初は村の保育園にいたという。
うっすらと鉄棒の上を歩いて落ちてケガをした覚えはある。
あとお昼寝の時間に寝ないで怒られたような・・・。
そのときK君が一緒だったかは覚えていない。
あと隣の集落の幼稚園?にも通ったというがそこの記憶は全くない
でも卒園したのはこの幼稚園。
先生のことが好きだった記憶はある。
先生に見とれて押していた友達のブランコをモロ顔面に受け前歯が折れているのに、駆けつけた先生に「お嫁さんにするから」って笑うイタイ子だった。
K君の額にブリキの機関車のオモチャをぶつけて流血させる怪我を負わせたのもこの頃。
ん~、だから小学校に上がってからいじめられたのかな。
なんか「暴れてた自分」が全くイメージできない。
K君とは中学校まで一緒だった。
前にもブログに書いたが小学校の時、卑怯な私は彼を裏切った。
それから親しく話をした記憶はない。
去年実家の荷物を整理していて、10年ほど前に届いた中学校の同窓会の写真が出てきた。
私自身は卒業してから一度も出席したことはない。
何故かその年の同窓会の写真だけがある。
少し好きだった子も小学校の時のいじめっ子もみんな年相応におじさん、おばさんになっていた。
誰?って人も数人。
そして、その中にK君もいた。
気のせいかもしれないがその瞳はまだ私を許してはいないようだった。
ふと、気付いて『遠い太鼓』を読み直したが、もう充分汗は出ていた。
そういえば村上氏は『遠い太鼓』の題名はトルコの古謡から取ったと書いている。
遠い太鼓に誘われて
私は長い旅に出た
古い外套に身を包み
すべてを後に残して
洗濯機をかけてたから、ユニット・バスにはずっとその振動とモーター音が響いていた。
小一時間のタイム・スリップのような半身浴も、ちょっとした旅のようなものだった。
