同居人の妹は今、遠く離れた地で一人暮らしている。
彼女は十代で妊娠、いわゆる「できちゃった婚」をする。
しかし、すぐに離婚。
産まれた子を連れて家出。
仙台でホステスをしていたところを連れ戻される。
けれど、子どもを実家に置いたまま、その後も家出や行方不明を繰り返す。
いつからか彼女はクスリに手を出し、どちらが先かは知らないが借金と犯罪の連鎖の中に墜ちていった。
十年ほど前から同居人の頼みで彼女の相談に乗っていた。
しかし、何もしてあげられなかった。
お金を貸して、話を聞いていただけ。
嘘を繰り返され、私の用立てたお金は彼女のクスリ代に消えた。
なす術もなく、彼女は警察のお世話になる。
それでも、同居人と、彼女の母親の頼みで、その息子の面倒を見ることにした。
彼は本当に飢えていた。
絶対的な愛情不足だった。
幼く、脆く、弱かった。
言葉は拙く、理解は遅く、余りに多くのものを欲していた。
二年かけて少しずつほぐしていった。
幸い私には懐いてくれた。
そして、3月11日。
全てが流された。
彼は、周囲の猛反対を押し切って彼を守ってきた祖母を喪う。
彼の母は刑務所の中で、その死を知る。
そんな二人を同居人は必死に支えた。
そんな同居人のために私もできるだけのことをした。
だが、去年の8月に出所し母の墓前に更生を誓い涙ながらに息子との未来の実現のために生き直すと同居人に語った彼女は、今、また万引きで書類送検されそうである。
彼女の息子は、亡き祖母の遺志と多くの方々の好意に支えられて入った高校の寮で喫煙。
今、謹慎処分を受け、私の隣で鼾をかいている。
クスリが悪いとばかりは言えないだろう。
それを生産し、それを売り、それを求めるのは、ヒトである。
そこに至る経緯はそれぞれ様々だろう。
そうせざるをえない生き方の分岐点も他人にはわからないだろう。
しかし、しかしである。
尾崎氏の唄を聞くたびに私は辛くて仕様がない。
彼の声も、詩も、歌も私はいいと思う。
カリスマ化したり、祀りあげたりする気はない。
しかし、その才能、魅力はわかる。
だから、だからである。
悔しいのだ。
尾崎豊は死んだ。
残念ながら死んでしまった。
同居人の妹とその息子は、これからどうなるのだろう。
彼らの明日を憂うるばかりである。