発信する人。

受信する人。


受信するとき、素の状態だから

厳しい目をもつことができる。


発信するにあたっては、その受信する人たちに向けて

厳しい目に耐えられるような、「突き詰め」が求められる。


「突き詰められた状態」とは、解りやすくて、見やすくて、使いやすくて

要は「ユーザビリティー」に優れている状態のこと。


「ユーザビリティーに」に優れているものを作るのは

大変なこと。


時間もかかるし、お金もかかるし、人もかかる。

その過程で素の状態=受信者の視点をなくしがち。


きっと受信者の方が、短期的には楽だ。


でも2,3カ月「受信だけをしていると」

何か物足りなさを感じてします。


受信しているだけでは

いつまでたっても人生は受け身だ。


やっぱり、僕は「発信」できる人でありたい。


さきほど、銀行に行ってきた。

都市銀行から、ネット銀行に

少なからずの金額を移動させるために。


書類の依頼人名の欄

「依頼人」と書いてあったから、自分の名前を書いた。


窓口で、そこは「法人名」を書くところですと言われた。

少し「は?」と思った。


そして、その後「書き直します?」と聞かれた。


銀行が「人」と書いた用紙を渡していることを棚に上げてないか?


相手は白髪混じりの30代後半の女性だけど

「お客様」のはずの自分に対して敬語を使われななかったことに
気分が悪くなった。


少なくとも


   「書き直されますか?」


→住所から、口座番号まで書き直すのと、

  訂正印で名前だけ書き直すのと、


  相手がどちらを選択するか解らないのだろうか?

  しかも、選択しを絞っての質問の意味が解らない。


正答は


  「書類が解りづらく申し訳ございません。

   訂正印を押して頂くか、気にされるようでしたら
   お書き直し頂くことも可能でございますが・・」
   
だと、思う。


その人が正しい敬語を使えないのか?
それともお客様の年齢によって、使い分けているのかは
さだかではないが、


サービスに対して、お金を支払っている
お客様に対して「敬語」を使わないこと(使えないこと)は罪だと思う。

信頼はどんどん損なわれていく。


翻って、自分たちのサービスはどうだろう?


一人ひとりが、「敬語」に対してしっかりと意識できているだろうか?

年下のお客様もたくさんいる。
心のどこかで「年下」という意識で
接していないだろうか?

心のこもったサービスを、

自分で考えて実践しましょう。


人の駄目なところ


人の弱いところ


人の嫌なところ



見だしたら限(キリ)がない。



それは自分の優位性を保とうとする


本能かもしれないし、


その人から離れるための口実かもしれない


現実からの逃避に近い。



人のよいところ


強いところ


いいところ



探し、伝え、伸ばす。



人の駄目な所に底はない


でも


でもよい所に天井もない



じゃあ、どっちを目指しますか?


じゃあ、どっちを見たいですか?



僕は、地面や、海のおくよりも


澄み切った青空、雲の上の青空を


見にいきたいと思います。