



スフィンクスの謎はアトランティスへ続く
『超古代文明 奇跡の真相 ピラミッドが知っている人類創生の秘密』(佐和宙著、KKベストセラーズ、1997)2章。(つぎはぎ引用)
http://www.asyura.com/sora/bd15/msg/105.html
◆スフィンクスの謎に挑んだルービッチ
史上はじめてスフィンクスの建造年代に疑問を抱いたのは、R・A・シュウォラー・デ・ルービッチというフランス人科学者だった。彼は一九四〇年代、著書『SACRED SCIENCE』(聖なる科学)の中でスフィンクスの本体に水による侵食の痕跡があるという事実を指摘していた。この侵食痕はエジプト文明発祥のはるか以前に残されたものであり、したがってスフィンクスはエジプト文明独自の遺跡ではないというのが彼の持説だった。
しかし当時の考古学界は、当然のことながらルービッチの学説を一蹴した。圧倒的な砂漠気候が占める国の遺跡に、水分による侵食痕など認められるわけがない、というのがその理由である。
ルービッチの学説発表から三〇年ほど経過した時点で、それに大きな興味を抱き、大々的な現地調査を実施しようという人物が現れた。ジョン・アンソニー・ウェストというアメリカ人研究家である。スフィンクスの謎について語る際、彼の名を外すことはできない。
ウェストは『SERPENT IN THE SKY : THE HIGH WISDOM OF ANCIENT EGYPT』(天空の大蛇:古代エジプトの叡智)という著書の中で、ルービッチ説について詳しく触れている。彼がこの本を書いたのは一九七二年だったが、それでも決してルービッチ説が快く受け入れられることはなかった。当時の主流派エジプト学者たちはあえてウェストの主張と著書を無視するような行動をとったのである。
主流派学者の冷たい態度には目もくれず、ウェストは独自の研究を着々と進めていった。やがて一九八〇年代後半、千載一遇のチャンスが訪れる。ボストン大学の著名な地質学者、ロバート・M・ショーク博士がエジプト現地調査に同行するのを快諾してくれたのだ。
かくてウェストは、ルービッチが行ったのと同様の調査を再現できることになった。最初の調査からは約四〇年が経過している。この間科学技術は飛躍的な発達を遂げた。ルービッチの調査ではわからなかった事実も明らかになるかもしれない。ウェストの期待はいやが上にもふくらんだのである。
◆衝撃の新事実
ウェストが一九九〇年に行った現地調査の結果明らかになった事実は、まさに衝撃的と呼ぶにふさわしいものだった。スフィンクスの本体には、やはり水による侵食痕が歴然と刻み込まれていたのである。ルービッチ説は正しかったのだ。
しかし、この時点でスフィンクスに関する命題ともいえる疑問がウェストとショーク博士をとらえた。砂漠が国土の大部分を占めるエジプトの歴史的建造物に、水による侵食痕があるというのはどういうことか。スフィンクスは、エジプトが砂漠に覆われるはるか前の時代から存在していたのだろうか。
エジプトに最後の大規模な雨期が訪れたのは、紀元前五〇〇〇年である。水による侵食を受けるためには、スフィンクスが紀元前五〇〇〇年より前の時代に造られていなければならない。しかし、最後の雨期からエジプト文明発祥までには、何千年という単位の歴史的ギャップがあるのだ。
九〇年代の最新エジプト学では、スフィンクスの建造年代がこれまで考えられていたよりもはるかに昔だったということが科学的事実となっている。その建造年代は、紀元前七〇〇〇年から五〇〇〇年くらい前ではなかったか、というのが現在の学術的コンセンサスとして認められているのだ。この数字は放射性炭素年代測定法を使って算出されたもので、信頼性はきわめて高い。これがもし事実であるならば、にわかには信じがたい話ではないか。脈々と研究され続けてきた考古学という学問分野に、疑念が生じてしまうことになりかねない。今から何世紀か前の時代のスフィンクスは、頭部だけを砂の上に突き出した姿だったということが考えられる。
ライオンの形をした胴体は、後の時代になってから掘り出されたものなのだ。スフィンクスの顔は東に向いているが、その視線の先には“スフィンクスの寺院”と名づけられた遺跡があり、南方向に向かって続く寺院と一対で“カフラの谷の遺跡”と呼ばれていた。
さて、ウェストとショーク博士はスフィンクス本体、そして隣接する寺院の風化状態を比較することから調査を開始した。本体および周囲の壁の状態はひどく、風化が激しいことは見た目にも明らかだったという。風化で特に目立ったのは、建材として使われている岩の角の部分が丸くなってしまっていることだった。エジプトの遺跡の特徴として挙げられるのは、砂まじりの風が強く吹きつけるために生じる直線的・鋭角的な風化の痕跡である。
現在の地球の気候分布は、氷河期の後に完成した。氷河期前の時代におけるサハラ砂漠は、青々とした草原に覆われたアフリカのような気候帯に属していたのだ。氷河期の後に急速な砂漠化が進行し、現在のエジプトの砂漠気候が完成した。こうした気候的変化が起こったのは、紀元前一万年から五〇〇〇年くらいの間ではなかったかと考えられている。
調査では、水による侵食痕が一番顕著なのはスフィンクスの上部半分であることが明らかとなった。この事実は、スフィンクス全体が長い期間雨にさらされていた事実を示すことにほかならない。水分による侵食の痕跡は、頭に近づくにつれてきわだっているのだ。
翌年の調査には、地球物理学者トーマス・ドベッキも同行した。スフィンクスの土台部分に対し、ドベッキの専門である音波による測定を加えるためだ。こうした調査を行えば、土台の部分にも降雨による侵食の痕跡が存在するかどうかを確認できる。岩石の内部にできた亀裂や侵食の痕跡は、全体に音波を当て、反響を測定することによってその存在を知ることが可能なのである。
検査の結果、スフィンクスの正面から側面を囲っている壁に残された痕跡の深さは一五~二〇センチに達していることがわかった。
ところが、真後ろの部分を囲う壁の岩に残された傷の深さはせいぜい一〇センチ程度である。ショーク博士は、スフィンクスの後ろを固める壁は比較的新しい時代に造られたものであるという結論を下した。前にも述べたとおり、現在のエジプト学においては、スフィンクスの建造年代は紀元前七〇〇〇年から五〇〇〇年ということになっている。これまでいわれてきた建造年代は、せいぜい紀元前二五〇〇年程度だった。
七〇〇〇年も昔からエジプトを見つめ、人類の発達を見守ってきたスフィンクスを造ったのは誰だったのか。
これまで明らかになった科学的事実を見る限り、それが古代エジプト人でなかったことだけは確かだ。どうやらわれわれは、人類の歴史や世界最古の文明という概念を根本から見直さなければならなくなりそうだ。
◆“さそり座の時代”の到来とノストラダムスの予言
スフィンクスとピラミッド、そして秘密の大記録庫に関する予言を行ったのは、エドガー・ケイシーだけではなかった。あのノストラダムスもエジプトのどこかに隠された大記録庫の発見を予言していたのである。
「人々は土地に隠された秘密を知る
知恵を閉じ込めた壺が奉られた遺跡の扉が開き
聖なる哲学の知識が解き放たれることになるだろう」
秘密の大記録庫の存在については、歴史的文書から見ても、ケイシーやノストラダムスの予言から見ても共通点があるのだ。
一、スフィンクスの下にあること
二、一万二〇〇〇年前に作られたものであること
三、記録庫を作った存在についての記述
四、記録庫が作られた目的
五、保管されているものについての記述
主流派エジプト学者の大部分は、大記録庫は単なる伝説にしかすぎないと考えているようだ。このようなものが存在すると仮定すれば、歴史観の大幅な修正が必要となってしまうからである。
しかし、ここまで見てきたように、“失われた叡智”の存在を示唆する古文書は枚挙にいとまがないのだ。記録庫が発見されれば、過去の一切が明らかになるだけでなく、新世紀を迎える人類の行く末も見えてくるに違いない。失われた叡智は、人間の時代観念をまったく変えてしまうほどのインパクトを持っていると考えて間違いないだろう。
◆新発見を取り巻く陰謀?
前章の終わりに、大ピラミッドとスフィンクスは同じ時代に建設されたと書いた。本章ではスフィンクスに関する数々の不思議と事実について述べてきたわけだが、すべてを総合して考えると、スフィンクスと大ピラミッドは一つの施設として造られたのではないかという疑念がわいてくる。
古代エジプトを象徴する二大モニュメントは、巨大地下施設のごく表層的な部分ではないだろうか。スフィンクスの本体が長い期間にわたって砂の中に埋もれていたという事実も、どこかしら謎めいている。今から三〇〇〇年前に描かれた粘土板にはっきりと残されている秘密の記録庫への入り口は、この期間中に砂で閉ざされてしまったのかもしれない。
隠し通路が見つかったことで、大ピラミッドおよびスフィンクスの地下構造に対する興味がぐっと高まってきている。現地ギザでの発掘調査も、これまでになかったほどの活況を呈している。しかし現場では、さまざまな憶測が飛び交い、各研究グループがありとあらゆる権謀術数を駆使しているというのが事実のようだ。
つい最近スフィンクスに関する本を書いたグラハム・ハンコックは、発掘現場で伝わってきた陰謀めいた話について公の場で語っている。
ショール財団という団体の代表を務めるジョゼフ・ショール博士という学者がいる。彼は、エドガー・ケイシー研究啓発協会と協力して現地での発掘調査を行っているが、この費用を捻出しているのはアメリカのとある大学だ。発掘調査の内容が、アメリカのネットワーク局が製作するテレビ番組になるという話もあった。
現地でささやかれている噂の核心部分はこうだ。この発掘調査プロジェクトに関わっている団体が、他の研究者の妨害を企てているというのだ。一説によると、エジプト考古庁までもが陰謀に巻き込まれる形となっているらしい。
水による浸食を、50年間調査しなかった考古学界。(調査したのも結局別の人だが)
「認められない」と言っていたが、最終的には認めるはめになった。
私の勝手な見立てでは、ギザのピラミッドとスフィンクスは、セットで紀元前1万年以上前のような気がします。
ピラミッドは、表層があったのでスフィンクスのように浸食することはなかった。(現在は、脱皮したように剥がれ落ちている)
紀元前七〇〇〇年から五〇〇〇年の判断も、メソポタミア文明と整合性を取るためと見てます。
それ以前に文明が存在した事実があると困る方々が居る(笑)
リンク先にいろいろ書かれてます。
スフィンクスから、ピラミッドへの隠し通路がある話は昔聞いたことがあった。
それを証明するように、ピラミッドには入口がない。
大記録庫が発見されたらスゴイな。
オーパーツ、ギザのピラミッド。
考古学調査に妨害があるのは確かなようで、歴史改ざんが騙し支配のキモであろうと見てます。
ピラミッドの謎は、想像するだけでワクワクする。
スフィンクスの謎 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=IIaBSrOuDLs
スフィンクスの謎 2/3
http://www.youtube.com/watch?v=NI7S5hVIC5U
スフィンクスの謎 3/3
http://www.youtube.com/watch?v=xrcVso-8dxA